2009年1月22日木曜日
バンジージャンプ:無謀な挑戦
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バンジージャンプ:無謀な挑戦
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書棚を整理していたらクリアファイルに挟まれた写真の束を見つけた。
17年も昔の若き日に、バンジージャンプに挑戦したときの写真である。
このときの資料があるかどうか調べてみました。
日記が残っていました。
写真があり文章記録があるとすれば、いくら古いものとはいえゆめゆめ見過ごすのはもったい。
日記をベースにウエブ風に書き換え、写真をはさんで載せてみます。
『
★ 1992年5月11日
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ザ・スピッツに行く。
シーワールドの横で行われているバンジージャンプを観るためである。
海岸ぷちの現場ではジャンプへ挑戦する人が7,8人並んで待っている。
22、23歳くらいだろうか、おそらく旅行中の日本の女性であろう、それが3人並んでいる。
料金は69ドル、写真を撮ってもらうと15ドルかかる。
ここのジャンプの話は聞いて知っていた。
海に向かって飛び込むのである。
体を水中に沈めることができる。
でも、見ていると、そのときのタイミングで腹までもぐることもあれば、まったく水面にとどかないこともある。
体重でロープの長さを加減するようだが、なかなか思ったようにはいかないようである。
日本の女性3人は水につからないようにやってもらっていた。
3人とも元気に飛び降りた。
ジャンパーが並んで待っているが、次から次へとジャンプしているのをみると、怖いという心理が働らかなくなるのではなかろうか。
もしこれが、ポツン、ポツンであったら、ものすごい恐怖感との戦いになるだろう。
中には前から飛び込み、次は後ろからと連続2回飛びこんだオッサンがいた。
ここのバンジーは建設用のクレーンを使ってカゴを吊り上げ、「150フィート」でジャンプする。
150フィートというと「45m」ほどになる。
ケーブルスキーワールドにもバンジージャンプがある。
ここは斜めのヤグラを組んで、それを3本ほどのトラ綱で固定している。
言い換えると半永久的な施設で、この斜めのヤグラの上をカゴが登っていく形式である。
エスカレータ方式であり、費用は半値で35ドルである。
ここは水に浸かるようにはなっていない。
弟たちは「紅の翼」の水上飛行機、「タイガーモス」を乗りにいった。
タイガーモスは水上をしばらく滑走して、スピッツの先端近くまでゆっくりと移動する。
それから機首をサーファーズ側に向けスピードを上げて離水する。
低空のまま街から外海へ出る。
そこから高度を上げて回り込むようにスピッツへ戻り、さらに高度を上げてカジノの方へ飛んでいく。
飛行時間は15分で65ドルである。
飛行機は一旦姿を消すが、しばらくすると海上に現れてくる。
そこで上下のウエーブをする。
「これがきつかった」と後で話を聞いた。
このときはしっかりと前のバーを握り締めていたという。
確かに陸から見ていても、このウエーブは怖いだろうということが分かるほどである。
バンジーを見ていたら、無性にやりたくなった。
いとも簡単にみな飛び降りてくるので、たいしたことないのではないのだろうか思うようになってきている。
ちょっとためらいはあったが申し込みをした。
写真も撮ってもらうことにした。
帰ってきた弟にバンジーに申し込んだと話したら、「エー、飛ぶの」と驚いていた。
そりゃ驚くわな。
私は四歳年上である。
まずはじめに体重を計り、それを手の甲にマジックで書く。
「54」
順番を待つ。
このときが一番イヤ。
大丈夫だという思いと、ヤバイかなという気持ちが錯綜する。
足にゴムマットのようなものを巻く。
足首にかかるロープの衝撃を和らげるためである。
それからロープを巻きつける。
自分の番がくる。
足がきかないので、カゴまでウサギ跳びでいく。
縛ったロープにフックがかけられる。
このフックにゴムのロープがつながっている。
腹まで水に浸かるようにして欲しいと要求を出していたので、濡れてはまずいのでシャツを脱いで弟に渡す。
● カゴに乗る、ニコニコ笑ってはいるが。
そこそこのスピードでカゴがあがっていく。
恐怖感はない。
上につく。
45mの高さというが、高いという感じはしない。
ここのハイライズに泊まると、この高さは経験できる。
もし45mなら、15階建て近くの高さに相当するはずだから、結構な心理負担になるはずであるが。
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン、バンジー」と声をかけるから、「バンジー」と言って飛び込めと説明を受ける。
「上の方の景色はいいですよ」と、終わってから言ったが、思い出すと景色など見てはいない。
確かにチラリと目には映ったが、たいがいは下の方ばかりを見ていた。
後で聞いた話では下を見ると怖くなるので、係員は「下を見るな、景色を見ろ」と説明するらしい。
私にはその注意はなかった。
以前のことだが、実際、どうしても飛び込めずに、そのまま降りてきた人がいた。
カゴから出たその人の顔は真っ青であった。
● カゴがジャンプ地点で止まり、ジャンプ台に出る。
カゴのドアが開いた。
係員が進めという。
カゴから少し突き出て、飛び込み台がある。
ここへいくのが怖いのではないかと思っていた。
というのは、足は縛られており、ウサギ跳びでいかねばならないからである。
テスリにつかまり、台の先端にすすむ。
簡単にいった。
ジャンプ台から下を見てみる。
砂浜と海の景色が無意味なモザイクとして、ボーッツと点在するだけ。
景色を認識しようという力は働いていない。
ただ眼に写っているだけ。
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン」を聞く。
「ワン」を聞いたとき足に力を入れる。
「力を入れた」のであって、力が入ったのではない。
飛び込むというのはこれ、意志力である。
意志がないと飛び込めない。
飛び込めなければ、カゴで降りていくしかない。
眼におかれるべき力が、意志に置かれている。
「バンジー」で飛び込む。
飛び込むとは、テスリから手を離し、足で台を蹴り、空に体を預けることである。
水泳のスタートと変わりはない。
ただ水面の距離が遠いだけである。
理屈はそうだが、その遠さを克服するのが意志力である。
意志力がないと飛び込めない。
● 「バンジー」と叫んで空へ飛び込む
周りからみると、ただ落下していっただけだろう。
落ちていく本人には、自分が落ちていくという感覚がまったくない。
眼は開いているはずだから、風景は写っているだろうが、覚えていない。
これはスライド写真とは違う。
飛び込み台にいるときは、まがりなりにも風景は写っていた。
人がモノを見て、それを認識するというのは、時間というモノサシがあってはじめて可能のように思える。
台のところでは、見るものに対する時間が働かず、「バンジー」を聞くことに、すべてのエネルギーを振り向けていたように思われる。
「エネルギーのすべて」とは、風景を時間というモノサシで認識する、その時間を知るエネルギーをも含めてということである。
落ちていくとき、風景はない。
流れるようでは決してない。
車窓から風景を眺めるとき、意識をもってすれば、外の景色は見える。
意識が固定しないと、景色は流れるように眼に写る。
落ちていくときは景色は流れない。
見えないのである。
眼の位置がどんどん変わっていく。
その変化があまりにも早い。
流れる以上に早いのである。
その早さゆえに、風景は認識できない。
風景は見えないのである。
● 水面まで落下していく。
スピードが鈍る。
「スピードが鈍る」というのはおかしい。
自分が落ちていくという感覚がない限り、鈍るというのもないはずである。
体に抵抗を感じる、といったほうが正しい。
体に衝撃を感じる、ということもなかった。
足の膝が抜けるのではないだろうかという心配を持っていた。
それはまったくの危惧にすぎない。
ハードな衝撃はこれッポッチもなかった。
頭の上に伸ばした手に、水が触れた。
触れたと思ったらすぐに終わった。
後でおもいだしたことなのだが、カゴに乗るときシャツを脱いだのだが、その瞬間から頭が水に浸かるということを忘れてしまっていた。
よって、頭が水に浸からなかったことに、そのときは何の感慨も沸かなかった。
陸に上がって2本の足でたったとき、「そうだ、水に頭が入らなかった」と考えることができた。
客観的事実をこのときはじめて知ったということになる。
そしてしばらくして「ああ、残念だった」と感じるようになった。
● バウンドで持ち上げられる。
それに対抗するように手が上にあがりはじめる。
45mを落下するのに1秒か、2秒か、それとも3秒か。
2秒以上はあるのではないかと思う。
落下しながら、時間感覚は動いている。
ひじょうに長く感じるか、短く感じるかはさまざまであろう。
早く終わって欲しいという潜在意識があれば長く、でなければ短く感じるだろう。
何回かバウンドする。
後からおもうと、このバウンドがいちばんいやな時間である。
体が安定していない。
それでも眼をつぶったらどういう感じになるだろうと思って、目を閉じてみた。
酔っ払ったときの感じに近かった。
すべてが定まっていない。
● 相当の高さまで持ち上げられる。
手は完全に体についている。
落ちていくときは頭の先にある。
持ち上げられるときはそれに抵抗するかのように無意識に足方向へ戻している。
バウンドがおさまって、クレーンが首をふり、海側から浜に移動され、回収された。
この間、宙吊り状態であったわけであるが、おかしいかな、自分が逆さに宙吊りになっているという感じはなかった。
逆さ宙吊りというのは、日常生活のなかではありえないことであるから、身体が宙吊りを認識できないのではないかと思う。
眼は開いており、落下しているわけでもないのに、何かを見たという記憶がない。
経験したことのない逆さ宙吊りだと、視覚は正常に機能しないのではないかと思う。
眼に写ったものを認識するのは脳である。
が、これまでになかった写り方なので、記憶に分類できずに終わり、認識不能となり、そこで脳はこの写ったものを抹消してしまうのではなかろうか。
突然、砂浜が目の前にあった。
● 砂浜に戻ってくる。体はダラーンと伸ばしっぱなし。
回収され、係員に「どうだった」と聞かた。
思わず「グッド・フィーリング」と言ってしまった。
確かにフィーリングはグッドだったのだが。
気つけのシャンペンが配られ、証明書をもらい、写真を日本に送ってもらうために封筒に住所を書いた。
帰るのが先か、写真が届くのが先か。
子どもには
「お父さんはね、45mのところから飛び降りたんだぞ、尊敬しないといけないぞ」
と言ってやろうと思う。
バカにされるだけかな。
● 150フィート、バンジージヤンプ証明書[11th May 1992](名前は消してあります)
頭がジーンと鳴っている。
頭の中で何かが唸っているみたいだ。
集まった血が首の下へさがってこない感じ。
やばいかな。
運転はちょっと無理、代わってもらう。
一時間後の約束で、浜辺のベンチで横になる。
気分がすぐれない。
でも夕食は食べられる。
血の集まった頭と、その血のなくなった足の調子が悪い。
それでもビールを2本飲む。
冗談だが「バンジーは45歳以上はダメ、という年齢制限を設けるべきである」と思う。
年齢を考えずにやる方が悪い。
恐怖心のことばかり考えていて、やったあとの身体の回復のことをまったく考えていなかった。
四十半ばを過ぎたら、あれはやらないほうがいい。
帰ってきてすぐに寝る。
体調が悪い。
軽いムチウチか、脳細胞血管があちこちでぶった切れたか、それとも脳血液滞留症状か、といろいろ心配してみた。
吐き気でも出たら救急車でも呼ばねばならないだろうか。
こちらで医者にかかったら、旅行保険をかけていないので、相当とられるだろうなと考えたりした。
★ 1992年5月12日
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昨日の夜から雨。
弟たちは出かけていった。
昨日の後遺症があって、気分がすぐれないので、留守番をすることにした。
ベッドでブラブラするが、頭がジーンとしている。
バンジーはやらなかった方がよかったかと考えれば、やらなかった方がよかったといえる。
では、やらないで済ませられるかと考えると、今回やらなかったらきっと次回にやったのではないかと思う。
もし来年、子どもたちと来ることがあったら、きっと子どもたちの前でやることになるだろう。
やったあとの後遺症はやってみないとわからないのである。
次回に苦しむか、今回苦しむかの違いだけである。
24時間何もなければ、気分がすぐれなくとも、どうということもあるまい。
★ 1992年5月13日
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もうじき丸2日になる。
気分もおさまってきた。
バンジージャンプの後遺症はないようである。
』
こちらに定住してから、観光にくる若者には
「バンジージャンプをやりなさい」
と薦めている。
だが、誰も反応しない。
どうもやはり、先ごろの青年は軟弱になっているようです。
とおもいきや、ついに「バンジージャンプをしたいので連れていってください」という人が現れた。
ところがこれがなんとなんと親戚の子どもの嫁さん。
幼稚園の先生という。
新婚旅行中。
男はダメだが、女性は強くなった。
日本はまだ大丈夫だ。
日本でも女性首相の誕生が望まれるところである。
終わったあと「どうでした」と聞いたところ「面白かった」
「怖くありませんでしたか」とたずねたら「まるで」
そういえば、ここでバンジーに挑戦する日本人は、男性より女性の方がはるかに多いらしい。
いらぬことかもしれませんが、忠告を述べておきましょう。
もしあなたが「四十歳以上で、はじめてバンジーに挑戦」するならこの忠告を真摯に受け止められることをお勧めします。
まず、高さは「15m以内」にすること。
それでも5階建てのビルの高さに匹敵します。
足を縛る「逆吊りジャンプは避けること」。
落下傘のように胴体にファーネスを取り付け、バウンドするとき常に頭が上にあるようにすること。
そして、最後にして最高の忠告は
「面白いと思っても、四十過ぎたらバンジーはやらない方がいいです」
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