2008年7月17日木曜日

病院へいく4:3点式手術

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病院へいく4:3点式手術
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 話を戻そう。

 あれから十日少々たった正月5日、こんどは息子が腹が痛いので会社を休んで病院にいくと言い出した。
 前日より痛い痛いといっており、夕食も食べてない。

 近くの診療所がオープンする朝8時に電話をしたら、9時に来るようにということであった。
 新年5日の金曜日、ちょうど予約が空いていた先生がいたのだろう、幸運にも時間がとれた。
 帰ってきて、虫垂炎らしいという。

 公立病院でよく診てもらうようにと紹介状と診断書をもらってきた。
 もし、盲腸ならそのまま入院して虫垂除去の手術をすることになるので、パジャマ・着替えなどを持っていくように言われた、という。
 ヒマつぶしの文庫本とiPodなどとりあえず必要と考えられるものをリックに詰めて、病院に向かうことになった。
 今度は私が、病院にいく息子を乗せて運転していく。

 公立病院は、先日、目のゴミをとってもらった時間外診療所のまん前で、大病院である。
 最近、近くの大学に医学部ができたため、この病院に併設されて医学部の校舎がオープンした。
 また、大学病院も近くの大学の隣の敷地に建設される計画で進行しており、早晩このあたりは2つの公立病院となり、医療機関がすこぶる充実することになっている。

 11時に外来に入り、カウンターで手続きをする。
 病院はどこでも同じ、2時間待っても、3時間待っても呼ばれない。
 2,3日前に岳父が倒れて入院したという知らせが入っていたので、女房は急遽、日本へいくことになり、その航空チケットの予約をしに旅行会社へ行く予定がある。
 とりあえず、息子をおいて女房と私は病院をあとにする。


 ちなみに病院ドラマの決定打は、その後すぐに姉危篤の報が入り、女房に続いてこの月、私も日本にいくことになったことである。
 事実は「小説より奇なり」である。
 起きるときは起きるもの、重なるときは重なるものである。
 普通ではありえないが、この月、3軒の病院のベッドを見て廻ることになった。


 戻ってきたとき、息子の姿はなかった。
 しばらく待っていたが、出てくる様子がないので、息子の居場所を聞いたら会わせてくれた。
 広いフロワーに真ん中にカウンターがあり、その周囲をカーテンブースの診察室が取り巻いている。
 10くらいのブースがあっただろうか、その間を数人の先生方がいったりきたりしている。
 ただ、日本のように白衣ではない。
 そのためどれが先生かは、まるでわからない。
 ユニフォームで先生、看護師、技師、事務員、検査師、などに分けられているようだが、はじめのこととて分類がつかない。

 個室診察ではなく、オープンスペース型診療室である。
 その一つに息子がいた。
 すでにベットに寝ており、虫垂炎らしいが、オペレーションの先生がいないので、手術になるかどうかは分からないという。
 とりあえず、今日は病院泊まりになるという。
 数分の面会の後、明日、電話をもらうということで、引きあげてきた。

 翌朝、電話があった。
 これから手術に入るという。
 手術を想定しており、昨日から何も口にしておらず、点滴で栄養補給をしているという。
 手術は腹を「切る」ということではなく、3カ所に穴を開けてやるという。
 そのため傷口はすぐにふさがり、経過が良好なら翌日には退院できるという。
 電話をかけられる状態になったら連絡するようにと言っておいた。

 私の知っている虫垂炎の手術は、小学校の同級生が飯田橋の厚生年金病院でやって、それを見舞いにいった記憶しかない。
 その記憶では、傷口が接合されるまで、一週間ほど腹に鳥カゴを縦半割りにした網のカゴをかぶせていた。
 いったい、3つの穴を開けそれで手術をするとは、どうやってやるのだろう。
 切り取ったあとの虫垂は引き抜けるのであろうか。
 それとも切りっぱなしで体内に放置してしまうのであろうか。
 自然除去で体のメカニズムが死んだ虫垂を排出してくれるのであろうか。
 分からないことである。

 今なら、電子網が使えるようになって、この3点穴開け式の手術の概要を知ることができる。
 しかしそのころ、といっても1年前のことだが、私はまだこういう道具を使えなっかたので、いろいろ想像をたくましくしていた。

 昨今は便利このうえない。
 見知らぬものを知る喜びがあり、「なんでも検索」する、「かんでも検索」する。
 目玉が痛くなり、根気も続かないのだが。
 それに、マウスとやらをクリックするので、肩が凝ってしかたがない。
 夕方になると、「お仕置きトンカチ」で肩を叩いている。

 お仕置きトンカチとは、先端がゴムの塊でできたトンカチで、子どもが小さかったとき、ワルサをしたら「お仕置きトンカチだぞ」と脅かしたカナズチである。
 こいつで、ばんばん叩いても、痛みを感じないほど凝ってしまう。
 まあ、老人なのだからしかたがない。

 「肩こりはつらい」な、と思いながらもついつい、面白いからインターネットをやってしまう。

 そのインターネットでWikipediaをみてみよう。

 虫垂切除術
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 古典的には右下腹部に数cmの切開を入れ、その小さいキズから虫垂を引っ張り出して切除する手術である。
 局所麻酔(脊椎麻酔)で施行可能であるが、脊椎が未完成な小児では全身麻酔で行うこともある。

 近年では「腹腔鏡手術」の発達により、虫垂切除も「腹腔鏡下」に行われるようになった。
 臍の下や下腹部に1cm前後の切開を「数カ所」おき、その穴からカメラや器械を入れて、画面を見ながら虫垂を切除する手術である。「気腹(おなかをガスで膨らませること)」を行うので通常は全身麻酔下で行われる。
 』


 夕方、電話をもらった。
 手術が終了したという報告のだろう、と思ったのだが、なんと「まだ、手術を受けていない」という。
 エエエッツ。
 6階の病室にいるので来てもらいたいというので、会いにいった。
 中央に広いカウンターがグルリとあって、中で事務関係の人が働いている。
 それから放射状に病室が並んでおり、その仕切りはドアではなく、カーテンでいつもは開け放たれていて、カウンターから常時見えるようになっている。

 6人部屋だが、日本の3倍から4倍はあろうかと思う広さである。
 何しろベットが大きい。
 そのベットには何でもついている。
 病人はベットに寝たまま、その大きなベッドで手術室まで送りこまれる。
 乗り換えはない。
 よって廊下は、この馬鹿でかいベットがすれ違えるほどに幅広い。
 こちらの人の体形に作られており、息子などはチンマリと寝ているだけである。
 「地面が安い」というのはすべてにとって、豊かさが実感できる。
 何でもビッグにできる。

 窓は天井下から脇壁まで全幅である。
 まるでホテルの展望だ。
 目の前遠くに美しいビーチが見え、反対側は山々が連なっている。
 眼下には緑に囲まれた住宅街の屋根瓦がおもちゃのように彩りをそえている。
 床は毛足のあるカーペット。
 日本のようなニードルパンチではない。
 瀬戸物類をおとしても壊れはしない。
 ベッドの周りにイスをおいても隣のベッドまで十分なほどの余裕がある。
 まるで、豪華なリゾートに来ているような感じ。

 途中で係りの人がやってきて、いま女の子の手術をしているので、その後にやる予定だと言っていった。
 ということは明日の夕方には退院ということになりそうである。

 帰宅して10時過ぎに電話がかかってきた。
 手術が終わったころだから息子は電話をかけれないだろう、誰だろう。
 相手はその息子。
 今日の「手術は中止」になったという。
 オイオイ、すでに48時間絶食中で、あすの朝なら60時間になる。
 その後の手術ということになる。
 泣きそうな声で「腹すいた」という。
 さもありなん。

 こちらの食事は、メニューのリストが配られ、その中から欲しいものをテイックして渡すと、見合うものが配膳されるという形である。
 日本のまずい食事とは違う。
 日本では病人はあまり食べてはいけないという先入観に支配されているが、ここでは病人には気分を高揚させるためにも豪華な食事でないといけない、という思想がある。

 そのためか、これが「病人食」かと思うほど、ひじょうにカラフルに出来上がっている。
 食欲をそそるためには、「色彩が優先」するという思想があるのだろうか。
 また、民族的宗教的、あるい菜食主義者、個人的な主義主張の信奉者などいろいろな人がいるので、一律の食事とはいかない。
 3時にはテイブレイクもある。
 息子はそのすべてがダメ。
 なにしろ水が飲めない。


 翌朝の電話で、先生が診にきたが、何時、手術に入れるかはわからないという。
 とんでもない大病院である。
 それほどに先生は忙しいということである。
 夜中まで手術をし、また朝から手術で、その合間に診療もしないといけない。

 公立病院こそ、先生の稼ぎ場所なのである。
 ここでかせげば、もう三十代で豪華な邸宅を構えることができるのだ。
 資産を作ったら、私立病院に移ってのんびりやるか、数人で朝7時から夕方7時までのローテーション型の診療所を開いて、人生を楽しむかである。

 とりあえず、面会にいく。
 昼前に着いたが、ベットがない。
 カウンターの人が、手術に入った、という。
 ホー、やっとこれで一安心。

 午後一番で電話があった、終わったとのこと。
 再び電話があって、来て欲しいと言う。
 チョコレートの「マーズバー」を持ってきてくれという。
 すでに食事は「full」になり、何を食べてもいいのだという。
 手術が終わって4,5時間もたっていないのに、食事オールOKである。
 虫垂炎なんてそんなものなのだろうか。

 やはり、手術は3つの穴を開けて終わりだという。
 どうも「切開」という感じではない。
 レーザーでも使って切ってしまい、残物は新陳代謝に任せてしまうのであろうか。
 後で見せてもらったが、えらく離れた3点である。
 よくこれで虫垂の切断ができるものだ、どうやるのだろうと首をひねってしまった。

 ところで何で突然、手術が実行されたかという謎が残る。

 謎解きは意外と簡単だった。
 最初に見舞いにいったとき、隣のベッドは空だった。
 次にいったときは入っていた。
 これが同じく盲腸。
 息子のは軽いヤツ。
 こちらの人は激痛を伴うようだ。
 ときどき唸っていた。
 つまり、この重症患者の手術をしないといけないのだが、同じ盲腸で息子が先に入っている。
 よって、後回しにされつつあった息子の虫垂炎手術が急遽実行され、続いてこの緊急を要する人の手術が行われたということなのである。
 もしお隣さんがいなかったら、もう一日くらいは日延べになっていた公算があったということである。
 もう一日延びると、どうなる。

 80時間ほどの「ファイマン・ファイター(絶食体験)」になったのだが。

 虫垂炎手術の経験談がありましたので、その一部をコピーさせていただきます。
 ほぼ息子のと同じだと思います。


★ tyuusui
http://www.h7.dion.ne.jp/~wwshima/tyuusui.htm

 手術は「腹腔鏡手術」という、カメラを使った手術で行われることになり、簡単な説明を受けた。
 「全身麻酔のあと、おヘソ、右下腹部、恥骨のあたり3箇所に穴を開けます。そして、腹腔鏡という機械を使って、患部を手術します。」
 なんでも、この「腹腔鏡」を使うことで術後の感染症にかかる確率を大幅に抑えることができ、傷口が小さいため回復が早いのだとのこと。

 車椅子に乗せられ手術室へ。
 そこで、ストレッチャーへ乗せかえられ、そのまま手術台へと直行した。
 ストレッチャーに横たわり、流れていく天井の風景は、よくありがりなドラマのシーンのようだった。
 手術台へ移し変えられ、

 「それではこれから手術を行います。点滴へ麻酔薬を注入しますので、すぐに意識がなくなりますよ。」
 全身麻酔とはいかなるものかと、興味津々に点滴を見ていると医者が何やら液体を注入した。
 その数秒後、頭がもやーんとして強烈なトリップ感を覚えたかと思ったら手術は終了していた。
 手術時間は1時間くらいだった。

 拙者は眠っていたので見れなかったが、切除した虫垂を見た嫁は、タラコが充血しているようだったと言っていた。
 拙者も見てみたかった。



 翌朝、電話があり、今晩か明日の朝、退院できるという。
 昼過ぎに見舞いに行ったら、退院許可が出ているという。
 昨日の今日である。

 勘定の支払いは「なし」。
 そのまま「はい、さようなら」と引き取ってきた。
 何の手続きもない。
 「3泊4日、3食ベットつき、診察代・手術代無料」。

 その後の「定期健診」は。
 「痛くないからいいや」と行っていない。
 「タダ」ともなれば、どうしてもそういう心境になる。
 金を払ったら、それだけ価値あるものとみなして、慎重になる。
 無料なら「心配ない、心配ない、タダ、タダ」で終わってしまう。

 タダ、というのは決していい制度ではないように思う。
 どうしても安易な方向に流れやすくなる。


 ところで、これを日本で受けるとどうなるでしょう。
 上記の経験談の方の場合を見てみましょう。

 費用は、その病院や入院する日数にもよるが、拙者の場合
・ 入院日数:3泊4日
・ 腹腔鏡手術(切開手術の場合は2,3割安いそうです)
・ CTスキャン
などで「約16万円」ほどでした。

 この手術、3泊4日、十数万円が標準のようです。
 でも息子の経過をみていると、2泊3日でも十分なようです。


 ここ10年ほど、目玉を見てもらった以外は医者にかかっていない。
 内臓がどうなっているのかまるでしらない。
 知りたくもない。
 姉はガンであった。
 ガンとは「遺伝子の突然変異」だとすると、私もこの突然変異にかかりやすい傾向を有していることになる。
 ガンは遺伝しないといわれているが、ガン系の家族はガンで死ぬ確率が、そうでない家族よりも高いことは確かなようだ。
 ということは、私もガンにかかりやすい体質かもしれない、などと勝手に思い込んでいる。


 「痛い」と思って医者に駆け込むようなことがあれば、それで終わりだろうと心得ている。
 しつこく生きたいとは思わない。
 身辺整理もやっており、分かるようにしてある。

 弁護士立会いの「遺言」も書き残してある。

 「六十になったら遺言を書け」

 それが、生きる価値であり、生きる意味だ。
 「生」「人生」を見直すキッカケが作れる。


 「健康に死ぬための努力」をしないといけない。
 常々そう思っているのだが。



<おわり>




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2008年7月14日月曜日

病院へいく3:ドクター・デス

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病院へいく3:ドクター・デス
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 話は飛ぶ。
 マジメな方へ。

 なぜ、「インド人医師が怖い」か。
 ここはインド人の医師が多いのです。

 ご存知の方も多いと思うが、先般ロンドンのテロ未遂事件があり、その実行犯の兄弟がここの病院に勤めていて、空港で逮捕されたというニュースがありました。
 この人は若いインド人医師。
 しかし、いくら調べても事件の関係が出てこず、勇み足ではなかったかとウワサされています。
 このテロ未遂事件の内容は下記のサイトで読めます。


★ 怪しさが増すロンドンテロ事件
http://tanakanews.com/f0719London.htm



 なんといっても、インド人医師のトップニュースは「ドクター・デス」。
 こちらはウワサなどではなく、現実の話。
 下記のサイトから一部をコピーしてみましょう。


★ 25today.com
http://www.25today.com/news/2006/11/qld_18.php

 州検察局は地裁から、「ドクター・デス」のあだ名を得たジャヤント・パテル医師の逮捕令状を取った。
 これでアメリカに同医師の引き渡し請求をすることができ、「ドクター・デス」事件が一方前進する見通しがついた。

 インド生まれで「インドで医師免許を取り」、後にアメリカで外科医としての訓練と資格を獲得したジャヤント・パテル医師が初めて疑惑を引き起こしたのは1984年ニューヨーク州バッファロの病院。
 2000年にオレゴン州当局はパテルの医療活動制限を言い渡し、ニューヨーク州当局も2001年に医師免許を取り消している。
 パテル医師はアメリカを逃れてクイーンズランド州に渡り、海外資格医誘致を急いでいた州は身元確認もせずにパテル医師をバンダバーグ基地病院に配属、2003年には外科部長に取り立てている。
 しかし、パテル医師の失格ぶりと奇行はすぐに明らかになり、病院の看護婦たちは医師を「ドクター大腸菌」と呼んでいた。

 2005年3月、トニ・ホフマン看護婦の内部告発から野党議員が州議会でパテル医師の問題を取り上げ、花火のように華々しく事件のいっさいが明るみに引き出された。

 約2年の間に診察した1,200人の患者のうち、「87人」が死亡しており、うち「30人」は確実にパテル医師の医療過誤だとされており、17件の患者死亡事件だけが立件された。
 しかし、事件発覚直後にパテル医師は、クイーンズランド州厚生当局の負担でファーストクラスに乗ってアメリカに逃亡してしまっていた。
 この事件で州政府の大臣ゴードン・ナットル議員が失脚している。
 一般市民にはアメリカでの厚生当局の対応の遅さ生ぬるさ、クイーンズランド州厚生当局の失態はほとんど信じられない。


 というようなことで「インド人医師」というと、どうしても構えてしまうのです。

 急激な人口増加に見舞われたこの州では、医師の供給が追いつかない。
 なにしろ医学部のある大学が州に1校しかなかったのだから。
 「州」とは「共和国」である。
 州政府とは「共和国政府」である。

 ということはつまり、共和国に医学部がある大学はたった一校だけということになる。
 間に合うわけがない。
 医学部の新設があちこちで許可された。
 計4校が医学部を持つことになった。

 でもそこから新米の医者が出てくるまで6年かかる。
 それまでの穴埋めをやっているのが外国人医師。
 インドは英国が作り上げた医療システムを持っているため、そのままここで通用する。


 実をいうとインドは医療大国なのです。

 インド政府観光局は「メディカル・ツーリズム」の促進のため、インド各州の観光局に優れた病院施設と治療が提供できるパッケージを提案するよう要請。
 「インドの伝統医療システム」を紹介するCD-ROMを制作し、世界各地で配布している
」。

 「ボイス・オブ・インデイア」の記事。
 下記のサイトでみられます。

 Voice Of INDIA - インド、メディカル・ツーリズムで世界のハブへ
http://www.voiceofindia.co.jp/artdisplay.php?art_id=200705292110&art_aid=2111&art_sid=16&art_ssid=48


 「インド医学」の体験談がありましたので、載せておきます。


★ インドニュース・トラックバック: 2005年09月 アーカイブ
http://www.inmaru.net/news/archives/2005/09/index.html
 2005年09月20日
 インドは世界的な医療大国なのだ!

 「饒舌な国インド」(石川好)【日本経済新聞05年9月18日付朝刊36面】

【ジャンル】作家の石川好さんの寄稿
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【概略】
 石川さんは2年前に血行障害とリウマチがあわせ重なった難病に苦しみ、病院を転々とするうちに、若いインド青年の勧めでインドの病院に入院することに。
 インドに行ってみて驚いたのは、「インド医療の実力」。
 石川さんの病状が大きく改善したことのみならず、欧米の患者が年間数千人単位で入院中であるという事実。

 インドの医師は、その理由のひとつをこう説明する。
「インドにはヒマラヤから熱帯まであらゆる自然があり、スコールが原因の疫病もある。
 あらゆる自然があればあらゆる死が存在し、そういう土地では医者の技術がためされる」
 ドイツ医学の根っこにあるのは、古代インドの医術やヒマラヤ山系の薬草を侵略者だったアーリア人が持ち帰ったことにあるという歴史も(真偽の程は不明だが)あるとか。

【ここがすごい!】
 「アメリカを困らせるためなら、テロなど行わず、アメリカの医療機関で働くインド人に帰国命令を出せば、アメリカの医療システムはパニックに陥るだろう」
というインド人の言葉にびっくり。

「国際会議の名司会者とは、インド人を黙らせて、日本人をしゃべらせられる人」
との箴言には思わず感心!


 ついでにビデオもどうぞ。
 10分と長いです。
 でも、あなたの明日について考えるとき、価値があります。


★ YouTube - インド医療ビジネス
http://jp.youtube.com/watch?v=88R5K2_aDus




【 ■■ ちょっと余談を
■■ 】

 このビデオを見ると懐かしい車が走っている。
 「ダイハツ・ミゼット」。
 乗用車ではない、軽三輪トラック。
 それが、最新の4WDとならんで近代病院の中に列をなして消えていく。
 なんとも感激。
 これだけで、ダイハツ・ミゼットが「名車中の名車」であることがわかる。

 「コニー復元クラブ」で書きましたが、ミゼットは1955年に発売されている。
 ということは、ビデオで登場するミゼットは「半世紀、走り続けている」ことになる。
 たったわずかに「250cc」のエンジンしか搭載していない車。
 「250cc」とは、一般用オートバイのエンジンの大きさである。
 エンジンは50年前のものだろうか。
 車体は。
 疑問はつきない。
 でも、うれしい。
 この健気にちょこちょこと走っている姿をみると、涙がホロリ。
 「思い出の名車」が路上で生きている。

 コニーは復元という作業を必要とするのに、ミゼットは現役である。
 ちなみに、「軽三輪トラック、コニー360」は復元作業に入っている。
 2005年末に第3話「やる気満々」で終了。
 やっと、2年余の月日を経て、満々が再開された。

 工場の片隅で朽ち果ててしまうのではないかと心配したが、ちゃんと作業に入っていた。
 でもなぜ、2年も非公開でぽっぽらかしになっていたのだろう。
 これは当事者しか知らない謎。
 現在、第7話まで、これもこれからが楽しみである。

 なを、「どういうわけか、そういうわけか」しらないが、「コニー復元クラブ」で検索すると、当然トップにコニーの復元記事が出てくる。
 これは当たり前のこと。
 その後に出てくるのが、この稿のはじめに書いた情報会社の情報。
 もしかしたら、この情報会社の無言の圧力が、2年目にして復元記録の公開を促したのかもしれない。
 もし、そうだとしたら復元に携わる人にとって、「いいことをしたのだろうか、それとも悪いことをしたのだろうか」

 どうもこの情報会社の情報は、復元クラブの名をあちこちにばら撒いているような気がしてならない。
 クラブの方々にとっていいことであることを祈るのだが。
 でも、踊らされているような気がしないでもない。
 少しばかり考えさせられてしまう。
■■■


 話を元に戻します。

 息子の州立高校の同級生にチェコ・リパブリックからの移住者がいた。
 プライベート校なら親の収入の粒が揃っている。
 パブリック校だと中から下。

 ハイスクールとは「中学高等学校」。
 よほどでなければ中学から持ち上がりで高校へ入れる。
 日本のように入学試験はない。
 都立高校を落ちたから私立高校に入る、といったことはない。
 よって、プライベートとパブリックの差はほぼ「親の収入」で決まる。

 ビンボー人の子どもがプライベートにいくということは全くといっていいほどない。
 子どもにビンボー人の同級生を持たせたくないという収入のある親は、必ずプライベートに入れる。
 ということは、自分はパブリック・スクールの先生をしていながら、わが子はプライベート・スクールへいれるのが、ごくごく当たり前の「先生の一般常識」となる。

 先生は知的な職業。
 ビンボー人の職業ではない。
 「先生」といってもきれいごとで働いているわけではない。
 ごく一般の庶民。
 ごく一般の庶民が、ごく一般の庶民行動をしても、後ろ指をさされることはない。
 それだけの収入が得られれば、子どもをプライベートへやって何の不思議もない。

 プライベート・スクールの学校行事は日曜日にある。
 これは日本と同じ。
 例えば運動会。
 子どもの運動会を親は楽しみにしている。 

 ところが、パブリック・スクールの学校行事はウイーク・デイに行われる。
 どうして、日曜日でないのか。
 これでは、誰も見にいかれないではないか。

 その理由。
 パブリックの先生が、
 「日曜日は子どもの学校行事がありますので」
といって、「日曜日の出勤を拒否」するから。
 他人のガキより、わが子が可愛いのは当たり前のこと。
 非難される筋合いはない。

 もちろん、パブリックの学校でも運動会は行われる。
 平日に。
 父母はよほどのヒマ人でない限り、見にいかない。
 「見にいけない」
 なにしろここは共働きの世界である。
 参観者はヒマ人の家族がわずかに、あちこちにちらほらいるだけ。
 運動会とは近所の時間をもてあました老人の楽しみ行事。

 パブリックの親は、子どもの学校での姿を見ることはない
 学校行事に出向くこともできない。
 親は「子どもの運動会」など、長い子どもの学校生活の中で一度として見ることはない。

 圧倒的な差別の中で、パブリック・スクールの子どもは育っていく。
 これが「平等原則」。
 それが、世の中と知っている。
 日本のように甘くはない。
 「厳しさ」
 それが「社会のテーゼ」
 それに対して誰もグタグタ言わない。
 
 それがいやなら、プライベートへいくしかない。
 もし、子どもの運動会を見たかったら、プライベートへいれろ。
 でも、「ビンボーなんだから仕方がない」。

 特別な考え方を持つ親の子でない限り、パブリックの生徒はビンボー人の子どもと言って大きな間違いはない。
 「ビンボー人はビンボー人」であり、正解であって間違いはない。
 ビンボー人はビンボー人らしく生きていくしかない。


 この同級生は全校ナンバー・ツーの生徒。
 歯学部にいき、歯医者になった。
 ビンボウだって頭のいいヤツはいる。
 初任給「700万円」。

 ちなみにナンバーワンは工学部を出て、年収550万円で企業に入った。
 なんと大卒のフレッシュマンの初任給が「550万円」ということになる。
 優秀と目をつけた人材を企業は金で買っていく。
 今では年収「700万円」という。
 日本のように横並び一線ではない。
 これも「平等原則」。

 二十代終わりまでに財産を作るヤツもいる。
 同級生でインターネットがらみのソフトを売りさばき、既に家持ちになっているのがいる。
 先般、稼いだ金でガールフレンドと一緒に1カ月の世界旅行に出かけた。
 ガールフレンドの方はその後、日本でワーキングホリデイをやるという。

 「平等」とは、生きる能力をもった生物としての平等である。
 エテ公のボスが力で入れ替わったところで、それを不平等とは言わない。
 能力のないやつは、その能力分しか稼げない。
 エサを獲れないヤツは飢えるしかない。
 当たり前の自然の、そして「生物の法則」

 「平等」とはつらい原則
 それをできるだけ凹凸の少ないようにしようというのが社会の役目。
 これは平等ではない、「平準」である。

 平等なら弱肉強食の世界で、弱いヤツは息絶える。
 「機会平等」である。
 「適者生存」の「進化論の世界」になる。
 平準だから弱者も生き延びられる。
 それが社会というもの。

 「ミスター・カウンセラー」という人望高き同級生は工学部を出て陸軍に行った。
 小隊長で少尉殿。
 プライベート出身で軍人になるヤツはまずいない。
 軍隊にい続けて、准将クラスに名を連ねるか、それとも佐官クラスで退役し、政治にうって出て、共和国議員(州議会議員)になるか、運がよければ連邦議員か。
 「RSL」という「退役軍人連盟」のパワーは圧倒的に強い。
 ちなみに、息子のハイスクールの友だちでは三人が軍隊へ行った。


 以下の医者の話は歯医者になったこのナンバーツーの話。

 チェコ人で有名なのはあの「ルービック」を作ったルーブス。

 ルーブスにはチェコに2系統あり、同級生はルービックでないほうのルーブスだという。
 おばちゃんはお城をもっているという。
 本当だろうか、それにしては貧乏。
 移住してきたときは、床にジュータンが敷けずにコンクリートムキダシのままで過ごしたという。
 おやじさんはタクシーの運ちゃんからはじめて、いろいろな職種を渡り歩いたという。

 ナンバーワンとナンバーツーはパブリック・ハイスクールの卒業年報に肩をならべて映っている。
 ただし、背は子どもと大人ほどの差がある。

 医者というのは、つまるところ時間いくらの賃金労働者。
 医者の時間給に年齢といった加味はない。
 医者なら誰でも同じ。
 よって長時間働いた医者が最もお金をかせぐことになる。

 ということは、稼げるのは公立病院。
 公立病院は医者が不足している。
 でも病人は次から次へとやってくる。
 よって長時間労働になり、収入もよくなる。
 若いとき公立病院で稼いで、そこそこの資産を作ったら、のんびりの私立病院に移っていくのが一般のお医者さんのルート。
 私立病院は所定人数以上は診ない。
 時間制限も厳しい。

 日本だと開業医になるのが憧れ。
 ここでは数人が組んでファミリードクター診療所を開く。
 お医者さん稼業はもともと実入りがいい。
 グダグダいう患者を相手にストレスも溜まる。
 そのため休暇をよくとる。
 夏休み1カ月のバカンスはざら。
 でも自宅で開業し、1カ月休みます、とは言えない
 自宅開業には休暇はない。
 だから自ら一人で「自宅開業」などという日本風な「アホなこと」はしない。

 数人で組んで開業し、仕事を家庭に持ち込まないようにする。

 ここではすべてに「ファミリー」が優先する。
 その優先が壊れたら「離婚」が待っている。
 「ファミリー」と「離婚」は刑務所の塀の上を歩くようなものだ。
 僅かなバランスを崩すだけで、どちらかにたおれ込む。

 診療所の先生は固有の部屋をもっている。
 そこに入って驚くことがある。
 机の上に子どもと女房のポートレートが何枚も飾ってある。
 それだけで足りないのか、壁中ベタベタ写真が貼ってある。
 日本ならこうだ、「仕事部屋に家庭を持ち込むな」。
 そんな忠告は、ここでは糠に釘を打つようなもの。

 数人のローテーションで休暇を回していく。

 自宅で開業なんてことは、地獄に足を突っ込むようなもの。
 そう、仕事は楽しむためにするもの。

 もし、24時間働きたかったら、公立病院にいくのがいい。
 仕事はいくらでもある。
 働いた分だけ銀行通帳にお金が溜まっていく。
 時間分、お役所はお金を払ってくれる。
 これが「平等原則」。

 医者は自らの技量を時間給になおして「患者に奉仕する賃金労働者」。
 決して所属する「組織に忠誠を誓うサラリーマン」ではない。


 ちなみに、医学部の増設により市内の公立病院全体では2012年までには医者が「400人」になるという。
 これは2005年を規準にすると約70%アップという。
 ついでに、看護士が40%増、医療技師が34%増。
 猛烈なスピードで増大している。


 ドクター・デスの続報を載せておきましょう。

★ 25today.com 2008年3月12日
http://www.25today.com/news/2008/03/post_2022.php

 「ドクター・デス」パテル、米で逮捕
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 QLD州で患者17人の死に関与の容疑

 QLD州バンダバーグ・ベース病院勤務中に重大な医療過誤で17人の患者を死なせたとして、過失致死と重大な傷害など16件の容疑で指名手配されていたインド出身の外科医ジャヤント・パテル容疑者が3月11日(現地時間)、アメリカのオレゴン州ポートランドでFBIに逮捕された。

 3月12日(豪東部時間)、QLD州のリアン・クレア検事総長(DPP)は、アメリカ当局に対して、ジャヤント・パテル容疑者逮捕に感謝の意を表した。
 同日朝発行の声明で、QLD州検察庁は、パテル逃亡で中断していた事件処理がこれで再開できるようになったと安堵を述べると同時に、オーストラリアの政府機関がこれ以上発言することはパテル裁判で予断と偏見を招くことになると警告した。

 アナ・ブライQLD州首相も、「パテル容疑者がQLD州で裁判を受けることを心待ちにしている州民は多いと思う」と述べた。

 パテル容疑者はオレゴン州の裁判所でオーストラリアへの引き渡しの審理を受けると見られている。
 この審理では慎重に準備し、厳格に試された証拠を提出しなければならない、としている。




<つづく>



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【 〇〇〇 追稿 〇〇〇 】
━━━━━━━━━━
 インドでダイハツ・ミゼットが走っていると書きました。
 エンジンや車体はどうなっているのだろうと調べてみました。

 Wikipediaを抜粋で載せておきます。

 インドではオート・リクシャー、パキスタンでは単にリクシャー、バングラデシュではベイビータクシー、ネパールではテンプー、インドネシアではバジャイと呼ばれている。

 最有力メーカーはインドのバジャージ・オート(Bajaj Auto)である。
 原型となったのは、イタリアのピアジオが生産したベスパカーで、当初から後部に二人乗り座席を設けたモデルが用意されていた。
 インドで1959年から1974年までライセンス生産され、契約終了後もバジャージのブランドで販売されている。

 サムロー(????????)はタイ語の単語で三輪自動車(オート三輪車)を意味する言葉。
 日本ではサムロとも言い、特にタイの三輪自動車を指す言葉として使われる。
 また、俗にトゥクトゥク(??????????)と呼ばれる。

 起源は大型バイクを改造したものであるが、日本から輸入したダイハツのミゼットなどのオート三輪をタクシーに改造したものもあった。
 日本の郵政省が郵便収集車として使用していたダイハツの三輪トラック『ミゼット』を、四輪トラックに変えた際に、中古のミゼットをODAとしてタイに輸出したのが始まり。

 
 よって、インドで走っている車の原型はミゼットではないということです。
 ひじょうによく似たスタイルなので間違えてしまいました。

 タイの「トゥクトゥク」がミゼットに近いようです。


★ いとしのトゥクトゥク | 旅の光景 2008/01/17 22:04
http://myhome.cururu.jp/himuka288/blog/article/91001742248

 トゥクトゥクって聞いたことあります?
 知る人ぞ知る、タイの三輪タクシーです。
 元は日本のダイハツ・ミゼット(軽三輪トラック)を改造した三輪車だったのですが、車体はどんどん改造されて、ほとんどタイのオリジナル。
 今ではタイから近隣諸国やアフリカに輸出されるまでの存在に。

 このスタイルがめっさ可愛いのです。

 エンジンの音がトゥクトゥクと聞こえるから、そう呼ばれるようになったらしいのですが、エンジンも改造されて出力が上がっているので、実際乗るとトゥクトゥクどころかバリバリうるさい。
 風はもろに受けるし、曲がるときはポールをしっかり持っていないと振り落とされるし、目の上(座席の上の屋根)にウインカーやブレーキランプがついてるからチカチカとまぶしくてしょうがない。


 「トゥクトゥク」は「TukTuk」と書きます。
 エンジンはダイハツの軽自動車「ハイゼット」のもののようです。
 ということは「660cc」のエンジンということで、いにしえのミゼットの250ccではないということになります。
 やはり、250ccエンジンは終末を迎えていたということのようです。
 日本の軽自動車のこの排気量はエアコンすら動かせるものですから、ミゼットとは段違いということになります。
 それが「うるさい」となると、どこかが違うのでしょう。


★ お気に入り登録・トラックバック・一言コメント禁止部屋Ⅱ
http://blogs.yahoo.co.jp/inoopyponponsp/folder/1495232.html


 上のサイトでは日本人向けに「トゥクトゥク」を販売している'様子が写真にあります。
 中ほどです。





【 〇〇 別稿(2008/08/28) 〇〇 】
━━━━━━━━━━━━━━━

★ 毎日新聞 2008年8月27日
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20080827ddlk01010276000c.html
──────────────────────────────────
 札幌市:税滞納で差し押さえの10点、ネット公売 目玉は国産オート三輪 /北海道
 ◇参加申し込み受け付け中


 ●拡大写真

 札幌市が税滞納で差し押さえネット公売する国産オート三輪

 札幌市は市税滞納者から差し押さえた乗用車など計10点のインターネット公売への参加申し込みを受け付けている。
 9月4日午後5時まで。

 今回の目玉は国内製のオート三輪「ヂャイアント・コニー」。
 最低入札価格は52万円。
 市によると、1959年製のクラシックカーで、軽四輪移行のため60年に製造中止となっている。
 生産台数は7,350台と少なく、国内には数台しか残っていないという。

 公道を走るには整備が必要だが、エンジンは始動する。

 入札は9月10~12日午後0時半。
 参加できるのは、ネットで名前、住所、保証金の支払い手続きを登録した人のみ。
 下見会は8月30日午前11時~午後2時半、市本庁舎。
 問い合わせは011-211-2265。


 「オオー」、コニー軽三輪トラックです。
 運転免許をとって、はじめて運転したヤツです。
 我が家にやってきたはじめての「自動車」です。
 現在、クラブで復元中のものです。

 オープンカーになっていますね。
 屋根と荷台側の壁は幌でしたので、なくなってしまったのでしょう。
 端はちょうどテント張りをするようにフック金具で止めていました。
 一度でも金具をはずすと、もう二度とテント張りはできなかったほどにきつく張ってあった。

 ドア上の窓枠は硬質のプラスチックフレームで、それに薄手のプラスチック透明板を差し込んで窓としていました。
 ところが冬場でこのフレームが硬く収縮すると、透明板が差し込めなってしまいます。
 しかたがないのでフレームの上端に近い縦溝部分の縁をナイフで切り取り、そこからムリに透明板を押し込んで窓にしていました。
 初期のダイハツ・ミゼットにはドアもなく、窓もありませんでしたので、強風のときは雨が吹き込むことがあり、雨具を着て運転していた人もいました。
 もちろん、配達のことを兼ねてでしょうが。
 コニーにはお手軽でもちゃんとドアとマドがついており、エンジンから暖気が流れるようになっており、冬場は助かりました。

 「コニー」のエンブレムがついています。
 もう「ない」と思っていたのですが、あるのですね。
 博物館や復元クラブの写真以外で見るのははじめてのこと。
 チョコレート色です。
 復元クラブのものもチョコレート色ですが、我が家のは黄色系統でした。
 ちょうどカタログにあるのと同じ色だったと思います。
 塗装が新しいところを見ると、塗り替えたようですね。


●復元中のコニー:[コニー復元クラブ]より

 入札最低価格「52万円」だそうです。
 高いのか安いのか、わかりません。
 この車、よほどのマニアでないと知らないのではないでしょうか。
 買い手があるのでしょうかね。
 個人が持っていて楽しめる、といった車種ではないように思えるのですが。
 どこかの博物館にでも寄贈することになるのではないでしょうか。
 落札価格はいくらになるのでしょう。
 あと半月ほど、楽しみになりました。
 「売れ残ってしまった」ということもありえますが。





【 〇〇 続稿(2008/09/14) 〇〇 】

★ 毎日新聞 2008年9月13日 地方版
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20080913ddlk01040237000c.html
───────────────────────────────
 ニュースフラッシュ:札幌市のネット公売でオート三輪156万円で落札 /北海道

 札幌市が市税滞納者から差し押さえて、インターネット公売にかけていた国産のオート三輪「ヂャイアント・コニー」が、最低入札価格(52万円)の約3倍の156万3000円で落札された。
 国内に数台しかないといわれる1959年製クラシックカーで、秋田県の男性が競り落とした。


 売れました。
 「156万円」
 どうするのでしょうね。
 見ていて楽しい車には見えないのですが。





【 〇〇 続稿(2008/10/20) 〇〇 】
 勝手ながらサイトをコピーさせていただきます。

★ 日本に3台しかない車 - ミニクロ(モンテ)の記録
   2008/10/11
http://blog.yahoo.co.jp/hoku20060522/18193965.html

 先日、妻と子供たちが北海道から帰って来たのですが、
 その際、フェリー乗り場で見たこともない車を撮影!
 妻が調べた所、愛知機械工業製コニーと判明。(三輪自動車ジャイアントAA27 1959年 )
 コニー復元クラブ
 [http://www.aichikikai.co.jp/club/]
 その車は苫小牧からフェリーに乗って秋田下船(家族と同じ経路)
 札幌の競売で出品されて、東北の人?に落札されて、届けられた所だ思われます。



  【コメント】
 足跡残していただきありがとうございます。
 末永くどーぞヨロシク願います。
 2008/10/14  [ カトちゃん ]


 運送中のコニーですね。
 エンジンは始動するとは、構内なら走れるということのようです。
 自走でフェリーに積み込むようですから。
 運転されている方か、あるいは後ろに立っている方が落札されたのでしょうか。

 「コメント」の[ カトちゃん ]とはその落札された方でしょうか。 



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2008年7月11日金曜日

病院へいく2:目にゴミが


● AFTER HOURS SURGERY
 まるで、小さな住宅レベルの大きさ。
 <クリックすると大きくなります>


病院へいく2:目にゴミが
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 ここからまじめに本題に入ります。
 本当にマジメに進むだろうか。


 最初に病院に行ったのは白目に血管が浮いて、目が真っ赤になったとき。

 「2日もすればなおりますよ」とは医者の言。
 念のための血液検査をしておきましょうと、ごっそり血を採られた。
 血を採るところは病院ではない。
 3,4軒先の場所。
 ここは何でも分業だ。

 ジーンズとTシャツで鼻歌を歌いながらゴツイおっさんがこちらの嫌がる顔を楽しみながら、腕に注射器を差し込んで試験管に何本もとる。
 白衣すらも着ていない。
 終わったかなと思ったらもう一本。
 やっと終わったと思ったらもう一本。

 このオヤジ、張り倒してやろうかと思ったほど。
 でも相手は、デカイおやじ、70キロは楽に超えるだろう。
 50キロそこそこの体で、勝てるはずがない。
 献血をしているわけではない。
 異常があったら連絡しますとのこと。
 連絡はなかった。


 2回目もやはり目。

 芝刈りでゴミが入った。
 モワー(芝刈り機)は「ビクタ:Victa」のスパーパワー。
 ちょっとのことではエンストしない。
 そのかわり、ガソリンをやたら喰う。
 そういえばそれから1年後に壊れた。
 パワーが強すぎマフラーがいかれたため。
 そういえば前のモワーもビクタ。
 これもマフラーがいかれて、オシャカになった。
 2台ともマフラーがエンジンの出力にもたなかった。

 新しいのはホンダ。
 価格はやたら高いのにパワーがない。
 すぐにエンスト。
 エンジンが芝に負ける。
 そして刈ったシバがメチャコン飛ぶ。
 でも安全。
 ガソリンも喰わない。
 でも、こいつは注意しないといけない。
 また、病院行きになる。


● HONDA芝刈り機:パワーがない
 <クリックすると大きくなります>


 昔のホンダは、オートバイでもメカ能力一杯までパワーを絞りだしたものだが。
 昨今はそういう設計思想はないらしい。
 あの私の知るホンダがこれだけのパワーしかない。
 ウソだろうと思う。
 ほどほどのところにリミットが設けられており、それ以上はいかないようになっている。
 日本の設計は何でもかんでも「省エネタイプ」にできている。
 それが「日本を救う」。

 偽善標語の王者、「愛は地球を救う」。
 ウソと分かっていながら、みんながそれにのってウソを楽しむ余裕。
 「私はウソは言いません」というのが、ウソ標語ナンバーワンというが、それと同じ。
 みんなウソだと知っていながらワイワイやっている。
 トラブルを起こす現況は「愛」。
 感動的な心を清らかにしてくれる美しい「愛」。
 美しさ、清らかさをかけた
「愛の戦い」。
 
これが世界を破滅させる。

 「神聖なる愛は、世界を滅ぼす」。
 そうと知っていながら、「愛は地球を救う」と言って楽しんでいる。
 空恐ろしいほどの、奥の深さ。
 というより、深さがない。
 底抜け、無限。
 「無限は大極に通ずる」なんてのが、どこかにあったな。
 正善標語、「ウソは日本を救う」。

 話がすぐにそれる。
 悪いクセだ。
 といいながら、面白気分でやっている。
 読まされる方のことも考えろ。
 大丈夫、「クリック一発で画面は消える」
 そして、タダ。
 いやなら消してしまえ。
 便利な世の中になったものである。


 ひと晩寝ればゴミもおちるだろうと思ったが大間違い。
 「地獄行き」の決まっている人間のサガか。
 痛くて、夜も眠れず、夜中に何回も起きて目を洗ったがだめ。
 突き刺さってしまったようだ。
 痛いのは嫌いだ。

 ここの医療対応はだいたい3つである。

 一つは近くにある医者にコンタクトをとる方法。
 いわゆる「ファミリー・ドクター」といわれているもの。
 名前ほどのことはない。
 日本の行きつけの医者なら往診してくれるが、ここはダメ。
 「ファミリー」という語にだまされ易いが、単なる診療所の先生。
 日本の医者の方がはるかにファミリー的。
 まして町内の先生なら圧倒的にファミリー的。

 これはいわゆる、普通の医者。
 ただ表現方法がないので、「ファミリー・ドクター」と言っているだけ。
 診療所のガラスドアにファミリー・ドクターと表記して、その下に5人の名前が書き込まれている。
 名前でだまされる。

 単なる「簡易医師」。
 「イージー・ドクター」では権威がつかない。
 見立てだけ、薬は近くのスーパーマーケットの薬屋で。
 難しいのは、「こちらへ行ってください」と専門医への紹介状を書くだけ。

 100%予約制。
 よってほとんど使い物にならない。
 病気なんてものは「明日、病気になりますから予約しておきます」てなもんではないだろう。
 うまく予約がとれても、夕方の最後、それでも半日はダメ。
 風邪ていどなら半日待ってもどうということはない。

 でも、目の痛みと歯の痛みはやはり早めの治療が欲しいところ。


 二つめは救急車を呼ぶこと。
 でもここでは高すぎる。
 救急車が高いというのはちょっと解せない。
 というのは後で述べるように、公立病院は「食事つき無料」なのだ。
 この矛盾の大きさは一般理解を超える。
 それに目のゴミで救急車を呼ぶわけにもいかない。


 三つめは病院に自らで向くこと。
 公立病院の一般外来はどういうわけか「エマージェンシー」の名称がついており、名前をみるとすぐにやってくれそうに思う。
 でも予約ナシでもやってくれるということだけで、どのくらい待たされるかわからない。
 それもそうだ、救急車で運ばれるならいざしらず、大勢つめかければ、救急も普通の内容になってしまう。
 それに時間制限がある。
 24時間やってくれるわけではない。

 24時間対応してくれるのは救急車の入っていくセクションのみ。
 エマージェンシーとは「救急外来」ではなく「一般外来」のことである。
 もちろんファミリードクターも実際にだらだら涙を流していけば、オフィスが無理やり先生に時間をとってやってくれる。
 さほどに不人情ではない。


 朝の6時前である。
 今日は土曜日である。
 それに明日はクリスマス・イブである。
 すべての条件がよくない。
 だからといって目の痛みは止まらない。
 涙がぼろぼろ落ちてくる。
 一時やわらぐが、また襲ってくる。

 州政府へ電話する。
 「目のゴミ」だけで共和国政府を煩わすとは、いい度胸だ。
 大げさだがそうも言っていられない。
 電話だけだが24時間の受け付けてくれる保険医療相談機関がある。
 たまたま、そのパンフレットを持っていた。

 急すれば何とかである。
 ちゃんとあるのですね、24時間の診療機関が。

 日本のそこそこの大病院なら当たり前についている機関です。
 昔、子どもが小児喘息で真夜中駆け込んだことがある。
 2キロ先でしたが、自転車に乗せて運んで、すぐにみてもらうことができた。
 ありがたいことであった。


 教えてくれました。
 公的機関で予約ナシの救急対応をしてくれる診療所を。

 「アフターアワーズ サージェリー[AFTER HOURS SURGERY] ::時間外診療所」。

 それが市の数箇所にある。
 電話番号はすべて同じ。
 住所をいうと最も近い診療所を教えてくれる。

 そこへ電話する。
 場所を確認する。
 片道20キロ、予約の必要はありませんという。
 すぐに、息子に運転をさせて向かう。
 私はときどき目を開けていられなくなるので、車の運転ができない。

 なんてことはない。
 公立大病院のまん前である。
 平屋の一般住宅より小粒な建物である。
 まるで病院らしくない。
 この違いは何だ。


● afterhoursdoctor.com
 とても公的病院の玄関とは思えない。
 <クリックすると大きくなります>

 カウンターで手続きする。
 しばらく待ってすぐに呼ばれた。
 先生は「インド人老医師」である。
 ちょっと心配、「大丈夫だろうか」。
 ベッドに横になり、瞼をひっくり返してすぐにゴミをとってくれてた。
 ほんとにちいさな刈り草のゴミ。
 たったそれだけのこと。
 アー、苦しみ続けていた痛みが消えた。
 やはり「餅屋は餅屋だ」。

 インド人、バンザイ。

 望遠鏡みたいな拡大器を使って目玉のキズをチェックしてくれた。
 傷がついているので、しばらく薬を注入するようにという。
 処方箋を貰って数軒先の薬局で薬を買う。
 でかい包帯を左目に貼り付けて、7時ちょっと過ぎにはすべてが終わった。

 ちなみに、この治療費「タダ」。
 「ほんとうにタダ」。
 もちろん薬代は保険差額分自腹ですが。

 目のゴミをとるだけで、医療行為としてはたいしたことないが、医者の時間を15分でもとれば立派な医療行為。
 24時間対応でその費用がタダ。
 そういう診療所が数箇所にある。
 ここの医療システムはどうなっている。
 救急車が誰もが嫌うほどバカ高いのに。

 それ以降、芝刈りには透明ゴーグルをつけることにした。



○:救急車の料金については下記で見られます。

★ オーストラリアの病院/医療機関
http://www.ausbiznet.com/life/medical.html




<つづく>



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2008年7月9日水曜日

病院へいく1:だから嫌われる


病院へいく1:だから嫌われる
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 送ってもらったビデオを見ていたら、六十少々の陶芸家の方が出ており、「いつ死んでもいいですよ」と言っている。
 一瞬うなった。
 この人に対してではない。

 この映像はCMで、生命保険のCMなのである。
 だいたい保険会社のCMというのは長生きを奨励するような方向で作成されるはずなのに、いともアッサリと「いつ死んでもいいですよ」ときた。

 昨今はただ「長生き」すればそれでよし、生き方よりもちょいと数年余計に生きることに無上の価値があるような風潮があり、それを作っているのがマスコミであり、マスメデイアだと思っていた。
 ジャーナリストの軽薄なヒューマニズムが、分かりやすさを求める「オブラート世論」に迎合している時代である。
 それがゆえに、この保険会社の広告部のスタンスに対してうなったのである。

 昨年、郵便が民営化され、NHKニュースで「地方のサービスの低下が起こらないような取り組みが求められます」とかいったコメントをアナウンサーが言っていた。
 このアナウンサーの後ろは、本当の田舎でわらぶき屋根の家があり、そこを自転車にのった郵便屋さんが走っている。
 これにも一瞬うなった。

 先進国、日本だ。
 どこの世界に、いまどき郵便屋さんが農村の道を自転車で駆け回っているのだろう。
 都心真ん中の細い路地を行く郵便屋さんなら分かる。
 だが地方のあぜ道もどきを、どこの郵便屋さんが自転車でいくというのだ。
 愚民でもこの程度の理屈は分かる。

 最低でもモペットだ。
 「乗ってる乗ってるヤマハメイト」だ。

 地方の郵便局へ行って採用試験を受けてみるがいい。
 必ず「運転免許はお持ちですか」と聞かれる。
 更に山奥の農村部なら最低で「エアコン付き」の軽自動車だ。
 常識であろう。
 どこの山奥に自転車での郵便配達を指示する郵便局がある。
 フケを掻き落としながら、ゲタで駈けずりまわる、金田一耕助の「八つ墓村」の昔ではないのだ。

 それが理解できない頭の「NHK」。
 国民を「バカもの扱いしている」。
 ということは、このNHKニュースは「やらせ」だ。
 予算が国会で審議される国営放送も、ニュースを「やらせ」で作るようになったのか。
 ということは、あの国会での「NHKの予算審議」もやらせなのだろうか。


 話が「NHKのやらせ」に飛んでしまったが、テーマは「病院の話」なのです。

 ここに移ってきて十年余。
 その間、医者にいったのは2回だけ。
 「じょうぶなのですね」、などということではない。
 面倒だからいかない。
 単語を並べれば老人の話を向こうは聞いてくれる。
 でも病気のことは単語も並べられない。
 「面倒だから行かない」

 昔は、畳の上で死ぬことを嫌った。
 確か宮崎滔天の母親は5人(だったかな、4人だったかな)の息子を「畳の上で死ぬことにないよう」にと育てたという。
 昨今は、バカの一つ覚えのように「畳の上で死ぬ」ことを奨励する。

 そういえば福沢諭吉が書いていた。

 わが人生の約束はただ安心居家の一時にあり、
 ---必ず畳の上にて病死すべしと覚悟を定めたらば、
 即日よりその生は「禽獣の生」となり、
 また「人類の名を下すべからず」

 「畳の上で死ぬ」とは「禽獣の生」だという。
 「人類の名」に値しないという。
 ウーン、「これはきつい」。

 昨今は「死に至る人生のプロセス」に価値を見出さなくなった、ということである。
 「死に至る身体のプロセス」として物理的なものとしか捉えなくなったということである。
 実際は病院のベットの中で死を迎える。

 自宅のタタミの上で死を迎える人はほとんどいない。
 「死」という人間の終局の場面から、人生的感動が落ちこぼれてしまった。
 物理死の「お涙頂戴」的な底の浅いストーリーがそれになりかわっている。

 そのうち日本でも浅はかな「泣き屋」が繁盛するかもしれない。
 「物理死に感動はない」
 だから、泣き屋に「時間つぶし」を依頼することになる。

 こういうことを書くから「嫌われる」。

 ただ長生きを奨励して、ほとんど自らの死を自覚しないまま、我が家でもない冷え冷えとした無感動の白いスチールパイプの上で死んでいく。
 人間に尊厳があるとしたら、この死は限りない冒涜である。
 「人がいかにして生きたか」が、まるで語られていない。

 家族は死にゆく者に対して薄情である。
 分かっていながらそうする。
 言い訳はある、「先生がそうしなさいというから」。
 家族には、それ以上のことは「できない」。

 てなことを書いたら、きっとみなさんから「袋叩き」にあうことでしょう。
 いえ、やっぱり、
 「死は病院のベッドで迎えるべきですよね、安心できますから。そう、それが一番」。
 といいながら、続ける。


 日本では、毎年健康診断をうけ、ときどき人間ドックに入った。
 でもこちらに来てからはだめ。
 病気になるとただ寝ているだけ。
 「あの世までの、ヒマつぶし」をしている人間のやることはいつも同じ。

 一週間も寝ていれば、そこそこ病気も抜け元気になる。
 汗をびっしょりかき、絶食し、2キロも体重を落とせば病気は消える。
 人間には自然治癒の能力が備わっている。

 モノを喰って元気になれば、病気も一緒に元気になる。
 これでは直らない。
 モノを食うな。

 「病気の治癒」は、ヒマつぶし人間の趣味。
 これで10日間、ヒマが潰せる。
 でも、つらい。

 もし、直らなかったら、死ぬだけ。

 苦しむくらいなら死んだ方がいい。
 苦しむのと、痛いのは嫌い。
 「それより死んだほうがマシ」
 精神的にも肉体的にもその方がはるかに「衛生的にして健康的」。

 「健康に死ぬ」か、「病気で死ぬ」かである。
 「死ぬときは、健康でありたい」

 医者は「病的に死ぬ」ことを奨励する。
 ベッドにしばりつけて、病名をつけ、手術で苦しませ、投薬で苦しませ、生きる必要がないのに点滴とやらを流し込む。
 正常に死ねる人を、無理やりこの世がわに足を引っ張る。
 どうにかして病人に「でっちあげ」ようと、悪戦苦闘している。
 死すべき人に苦痛を与えるのに喜びを感じている。
 それを「倫理」という。


 「六十まで生きれば、十分生きた」
 とりたてて悔いはない。
 六十までにできなかったことが、七十までにできるわけがない。
 七十までにできなかったことが、八十までにできるわけがない。

 できることといえば、もてあました時間を潰すために悪戦苦闘することぐらいだ。
 安いパックの海外旅行とやらを、とりあえず考えてみようか。
 足腰の老化をふせぐため、やらんでもいい散歩にも行かなければならん。
 ボケ防止のために、何か趣味でもみつけなければいかんかな。
 どうでもいいことを思い悩む。
 そんなところだろう。

 あるいは、この電子網のように勝手気ままに愚にもつかない放言をまきちらすだけ。
 「性格の悪さ、丸出し」
 できることといえば、「あの世までの、ヒマつぶし」
 「いかに、ヒマつぶしをするか」、それに悩み苦しむ人生。
 それが医療行為の発達した世というもの。
 これは、あきらめないといけない。


 六十までの営みの中に、生きてきた価値を見出さないといけない。
 そこには「生に対する死」が輝いている。
 六十を過ぎると、それが「モノとしての死」に変わる。
 ただ、「物質が消える」だけの死になる。
 「それを待つだけ」になる。
 生命保険に出てくる陶芸家と同じ。

 「老後について」能書きをあれこれ言う人は、その事実を十分認識していていながら、それを素直に見つめるのが怖いだけ。
 老後を多分に語ることによって、いっときでも、「死という見えない恐怖」から目をそらそうとしているだけ。

 「ただ、臆病なだけ」

 医者は物質が消えるのを延ばそうとする。
 それが医者の仕事ならしかたない。
 しかし、本人自体が後ろ向きで死んでいってはなにもならない。

 「死ぬときは、前向きに」

 何かCMにあったな。
 「出かけるときは、忘れずに」だったかな。
 アメリカン・エキスプレスだっただろうか。
 死とはその程度のものということ。

 「アンタがいなくなっても、世の中チーとも痛くないよ」

 大層な事ではない。
 アンタがいなくなることによって、新しい世代が活躍できるのだ。
 アンタは若い人の足を引っ張っているのだ。
 まだまだ、人類は綿々と続いていく。
 生物の連鎖だ。
 つまり、アンタは人類連鎖の「綿ゴミの一片」に過ぎない。
 その程度の価値しかない。
 ちょっと、言い方がきつい。

 正直に書き過ぎる。
 ものの分かったようなきれい事を並べて、「いい子ちゃん」ならないだけ。
 いい子ちゃんでなく、「いいジジー」にならないだけ。
 きれい事を並べたところで、もう済んでしまったもんは、取り返しがつかないということ。


 六十までの人生に「生きた核」を見出し、それを丹田に収め、六十以降のヒマつぶしの筋にすること。
 六十以降には何もない。
 六十までのものに、色彩りを添えるだけ。
 彩りを得て、核は輝く。
 その輝きが人生。
 六十までは「生」。
 「生」が先行する。
 六十を過ぎて「人生」になる。
 「生」に彩りを与え「人生」にする。
 「人生」とは「死へ向かうための仕事」

 死の向こうには、「何もない」。
 「あの世」なんぞは、「この世」の人が考えだしたこと。
 もし向こうに何かあるなら、そこにいってやればいいこと。
 なにも僅かな80年そこそこの寿命の中でやる必要など、「毛筋もない」。

 この世で、あの世のことを念じて何になる。
 前倒ししてやったら、あの世でやることがなくて困るだろう。
 あの世でも、ヒマをもてあましてしまうだろう。

 それよりなにより、この世とやらの生活態度を引きづってては、あの世とやらに「失礼に当たる」だろう。
 勝手なこの世の発想でのみ考えずに、あの世に住まわれている方のことを考えてやらねばいかんだろう。

 それが、『超究極の気配り』というもんだろう。
 見知らぬあの世に、「足を突っ込むな」

 何もない、すべて消えて「無になる」。
 だから、「人生」にしておかねばならない。
 六十以降に何かを求める愚かさは、闇に輝く星を竹竿でおとそうとするようなもの。

 野生の動物は自分でエサを獲れなくなったら死ぬだけ。
 分かりやすい。
 それが生あるものの「正しい生き方」。
 たぶん、人間の方が間違っている。
 だろう、と思うのだが。
 そのことを知っていながら、人の誰もが口をつぐんでいる。


 人間の偽善、それを「文化」という。
 文化を持つ生物がレベルが高いと思い込んでいる。
 つまり、高等生物とは如何に多くの「偽善を抱え込める生物」かということ。

 我が人生、どうひっくり返しても、偽善しか出てこない。
 偽善だからこういう文章が書ける。
 正善だったら、こんなバカを撒き散らしはしない。
 口をつぐんで、ニコニコしていられる。

 こういうことをいうから「本当に嫌われる」。
 ビート・たけしの本の題名にあったな。


 だが、よくもまあ、こんなに暴言を吐き散らせたものだ。
 きっと「苦しみながら死ぬ」ことになるだろう。
 「地獄行きの決まったヤツは」

 対策は練っている。
 「苦しい、死にたくない」と思ったら、這ってでもキーボードににじり寄り、この文章をクリック一発で削除する。
 しかし、しばらくは検索情報がグーグルに残ってしまう。
 これは、しかたない。

 ところが最近、情報会社のランキングとして「3,900,162」というオマケまで付いてきている。
 肝心の本文がまるで出てこないにもかかわらず、この情報が前の方で表示される。
 なんという「僭越な」。

 「390万」なんて、とてつもない数値の検索順位に何の価値があるのだろう。
 発表すれば目に触れる。
 中には少しばかり読んでくれる人もいるだろう。
 その程度であって、そこにどれほどの意味があるのだろうか。
 コンピュータはバカ正直に「390万」なんて数値を出してくる。
 コンピュータは検索するが、考えはしない。
 大体、百万を超えれば「その他大勢」でいいはずであると思うが。

 そういえば、日経平均株価の表示もバカの典型。
 例えば「12,345.67円」と出てくる。
 1万2345円までは分かる。
 「67銭」に何の意味がある。
 1万円台のデータに「67銭」が必要か。
 まるで「不要」。
 そのくらい、誰にでもわかる。

 東京証券取引所というのは「左巻き集団」か。
 「67銭」というどうでもいい「金魚の糞」を後生大事に抱え込んでいる。
 それを「正確」だと思っている。
 単なる「割り算の末端数字」であることすらも知らないのか。
 デイスカバリーの軌道を計算しているわけではない。

 算数は小学校まで。
 中学になると数学になる。
 数学では、こういうバカな数字は扱わない。
 「有効桁数」の定義は。
 少しは頭を使え。

 「1万2千3百円」とくれば末端の「5円」だって不要に近い。
 幼稚園児の「クレヨンしんちゃん」だって分かる。
 証券取引所とはその程度のレベルか。

 そういえばしばらく見ていないが、光り物のやたら好きな「ヒマワリちゃん」は元気だろうか。

 またやった。
 「だから、嫌われる」


 さて、このどこにでも割り込んでくるうるさい情報会社の画面を表示させない方法は、あるのだろうか。
 残念なことに、とてもそんな知識はない。
  

 いつも必要なこと。
 「傾向と対策」

 さらに重要なこと。
 「君子豹変す」


 話がこんどは「あの世」と「証券取引所」に飛んでしまった。
 もう一度確認、テーマは「病院の話」なのです。

 本当に。



<つづく>



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