2008年7月17日木曜日

病院へいく4:3点式手術

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病院へいく4:3点式手術
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 話を戻そう。

 あれから十日少々たった正月5日、こんどは息子が腹が痛いので会社を休んで病院にいくと言い出した。
 前日より痛い痛いといっており、夕食も食べてない。

 近くの診療所がオープンする朝8時に電話をしたら、9時に来るようにということであった。
 新年5日の金曜日、ちょうど予約が空いていた先生がいたのだろう、幸運にも時間がとれた。
 帰ってきて、虫垂炎らしいという。

 公立病院でよく診てもらうようにと紹介状と診断書をもらってきた。
 もし、盲腸ならそのまま入院して虫垂除去の手術をすることになるので、パジャマ・着替えなどを持っていくように言われた、という。
 ヒマつぶしの文庫本とiPodなどとりあえず必要と考えられるものをリックに詰めて、病院に向かうことになった。
 今度は私が、病院にいく息子を乗せて運転していく。

 公立病院は、先日、目のゴミをとってもらった時間外診療所のまん前で、大病院である。
 最近、近くの大学に医学部ができたため、この病院に併設されて医学部の校舎がオープンした。
 また、大学病院も近くの大学の隣の敷地に建設される計画で進行しており、早晩このあたりは2つの公立病院となり、医療機関がすこぶる充実することになっている。

 11時に外来に入り、カウンターで手続きをする。
 病院はどこでも同じ、2時間待っても、3時間待っても呼ばれない。
 2,3日前に岳父が倒れて入院したという知らせが入っていたので、女房は急遽、日本へいくことになり、その航空チケットの予約をしに旅行会社へ行く予定がある。
 とりあえず、息子をおいて女房と私は病院をあとにする。


 ちなみに病院ドラマの決定打は、その後すぐに姉危篤の報が入り、女房に続いてこの月、私も日本にいくことになったことである。
 事実は「小説より奇なり」である。
 起きるときは起きるもの、重なるときは重なるものである。
 普通ではありえないが、この月、3軒の病院のベッドを見て廻ることになった。


 戻ってきたとき、息子の姿はなかった。
 しばらく待っていたが、出てくる様子がないので、息子の居場所を聞いたら会わせてくれた。
 広いフロワーに真ん中にカウンターがあり、その周囲をカーテンブースの診察室が取り巻いている。
 10くらいのブースがあっただろうか、その間を数人の先生方がいったりきたりしている。
 ただ、日本のように白衣ではない。
 そのためどれが先生かは、まるでわからない。
 ユニフォームで先生、看護師、技師、事務員、検査師、などに分けられているようだが、はじめのこととて分類がつかない。

 個室診察ではなく、オープンスペース型診療室である。
 その一つに息子がいた。
 すでにベットに寝ており、虫垂炎らしいが、オペレーションの先生がいないので、手術になるかどうかは分からないという。
 とりあえず、今日は病院泊まりになるという。
 数分の面会の後、明日、電話をもらうということで、引きあげてきた。

 翌朝、電話があった。
 これから手術に入るという。
 手術を想定しており、昨日から何も口にしておらず、点滴で栄養補給をしているという。
 手術は腹を「切る」ということではなく、3カ所に穴を開けてやるという。
 そのため傷口はすぐにふさがり、経過が良好なら翌日には退院できるという。
 電話をかけられる状態になったら連絡するようにと言っておいた。

 私の知っている虫垂炎の手術は、小学校の同級生が飯田橋の厚生年金病院でやって、それを見舞いにいった記憶しかない。
 その記憶では、傷口が接合されるまで、一週間ほど腹に鳥カゴを縦半割りにした網のカゴをかぶせていた。
 いったい、3つの穴を開けそれで手術をするとは、どうやってやるのだろう。
 切り取ったあとの虫垂は引き抜けるのであろうか。
 それとも切りっぱなしで体内に放置してしまうのであろうか。
 自然除去で体のメカニズムが死んだ虫垂を排出してくれるのであろうか。
 分からないことである。

 今なら、電子網が使えるようになって、この3点穴開け式の手術の概要を知ることができる。
 しかしそのころ、といっても1年前のことだが、私はまだこういう道具を使えなっかたので、いろいろ想像をたくましくしていた。

 昨今は便利このうえない。
 見知らぬものを知る喜びがあり、「なんでも検索」する、「かんでも検索」する。
 目玉が痛くなり、根気も続かないのだが。
 それに、マウスとやらをクリックするので、肩が凝ってしかたがない。
 夕方になると、「お仕置きトンカチ」で肩を叩いている。

 お仕置きトンカチとは、先端がゴムの塊でできたトンカチで、子どもが小さかったとき、ワルサをしたら「お仕置きトンカチだぞ」と脅かしたカナズチである。
 こいつで、ばんばん叩いても、痛みを感じないほど凝ってしまう。
 まあ、老人なのだからしかたがない。

 「肩こりはつらい」な、と思いながらもついつい、面白いからインターネットをやってしまう。

 そのインターネットでWikipediaをみてみよう。

 虫垂切除術
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 古典的には右下腹部に数cmの切開を入れ、その小さいキズから虫垂を引っ張り出して切除する手術である。
 局所麻酔(脊椎麻酔)で施行可能であるが、脊椎が未完成な小児では全身麻酔で行うこともある。

 近年では「腹腔鏡手術」の発達により、虫垂切除も「腹腔鏡下」に行われるようになった。
 臍の下や下腹部に1cm前後の切開を「数カ所」おき、その穴からカメラや器械を入れて、画面を見ながら虫垂を切除する手術である。「気腹(おなかをガスで膨らませること)」を行うので通常は全身麻酔下で行われる。
 』


 夕方、電話をもらった。
 手術が終了したという報告のだろう、と思ったのだが、なんと「まだ、手術を受けていない」という。
 エエエッツ。
 6階の病室にいるので来てもらいたいというので、会いにいった。
 中央に広いカウンターがグルリとあって、中で事務関係の人が働いている。
 それから放射状に病室が並んでおり、その仕切りはドアではなく、カーテンでいつもは開け放たれていて、カウンターから常時見えるようになっている。

 6人部屋だが、日本の3倍から4倍はあろうかと思う広さである。
 何しろベットが大きい。
 そのベットには何でもついている。
 病人はベットに寝たまま、その大きなベッドで手術室まで送りこまれる。
 乗り換えはない。
 よって廊下は、この馬鹿でかいベットがすれ違えるほどに幅広い。
 こちらの人の体形に作られており、息子などはチンマリと寝ているだけである。
 「地面が安い」というのはすべてにとって、豊かさが実感できる。
 何でもビッグにできる。

 窓は天井下から脇壁まで全幅である。
 まるでホテルの展望だ。
 目の前遠くに美しいビーチが見え、反対側は山々が連なっている。
 眼下には緑に囲まれた住宅街の屋根瓦がおもちゃのように彩りをそえている。
 床は毛足のあるカーペット。
 日本のようなニードルパンチではない。
 瀬戸物類をおとしても壊れはしない。
 ベッドの周りにイスをおいても隣のベッドまで十分なほどの余裕がある。
 まるで、豪華なリゾートに来ているような感じ。

 途中で係りの人がやってきて、いま女の子の手術をしているので、その後にやる予定だと言っていった。
 ということは明日の夕方には退院ということになりそうである。

 帰宅して10時過ぎに電話がかかってきた。
 手術が終わったころだから息子は電話をかけれないだろう、誰だろう。
 相手はその息子。
 今日の「手術は中止」になったという。
 オイオイ、すでに48時間絶食中で、あすの朝なら60時間になる。
 その後の手術ということになる。
 泣きそうな声で「腹すいた」という。
 さもありなん。

 こちらの食事は、メニューのリストが配られ、その中から欲しいものをテイックして渡すと、見合うものが配膳されるという形である。
 日本のまずい食事とは違う。
 日本では病人はあまり食べてはいけないという先入観に支配されているが、ここでは病人には気分を高揚させるためにも豪華な食事でないといけない、という思想がある。

 そのためか、これが「病人食」かと思うほど、ひじょうにカラフルに出来上がっている。
 食欲をそそるためには、「色彩が優先」するという思想があるのだろうか。
 また、民族的宗教的、あるい菜食主義者、個人的な主義主張の信奉者などいろいろな人がいるので、一律の食事とはいかない。
 3時にはテイブレイクもある。
 息子はそのすべてがダメ。
 なにしろ水が飲めない。


 翌朝の電話で、先生が診にきたが、何時、手術に入れるかはわからないという。
 とんでもない大病院である。
 それほどに先生は忙しいということである。
 夜中まで手術をし、また朝から手術で、その合間に診療もしないといけない。

 公立病院こそ、先生の稼ぎ場所なのである。
 ここでかせげば、もう三十代で豪華な邸宅を構えることができるのだ。
 資産を作ったら、私立病院に移ってのんびりやるか、数人で朝7時から夕方7時までのローテーション型の診療所を開いて、人生を楽しむかである。

 とりあえず、面会にいく。
 昼前に着いたが、ベットがない。
 カウンターの人が、手術に入った、という。
 ホー、やっとこれで一安心。

 午後一番で電話があった、終わったとのこと。
 再び電話があって、来て欲しいと言う。
 チョコレートの「マーズバー」を持ってきてくれという。
 すでに食事は「full」になり、何を食べてもいいのだという。
 手術が終わって4,5時間もたっていないのに、食事オールOKである。
 虫垂炎なんてそんなものなのだろうか。

 やはり、手術は3つの穴を開けて終わりだという。
 どうも「切開」という感じではない。
 レーザーでも使って切ってしまい、残物は新陳代謝に任せてしまうのであろうか。
 後で見せてもらったが、えらく離れた3点である。
 よくこれで虫垂の切断ができるものだ、どうやるのだろうと首をひねってしまった。

 ところで何で突然、手術が実行されたかという謎が残る。

 謎解きは意外と簡単だった。
 最初に見舞いにいったとき、隣のベッドは空だった。
 次にいったときは入っていた。
 これが同じく盲腸。
 息子のは軽いヤツ。
 こちらの人は激痛を伴うようだ。
 ときどき唸っていた。
 つまり、この重症患者の手術をしないといけないのだが、同じ盲腸で息子が先に入っている。
 よって、後回しにされつつあった息子の虫垂炎手術が急遽実行され、続いてこの緊急を要する人の手術が行われたということなのである。
 もしお隣さんがいなかったら、もう一日くらいは日延べになっていた公算があったということである。
 もう一日延びると、どうなる。

 80時間ほどの「ファイマン・ファイター(絶食体験)」になったのだが。

 虫垂炎手術の経験談がありましたので、その一部をコピーさせていただきます。
 ほぼ息子のと同じだと思います。


★ tyuusui
http://www.h7.dion.ne.jp/~wwshima/tyuusui.htm

 手術は「腹腔鏡手術」という、カメラを使った手術で行われることになり、簡単な説明を受けた。
 「全身麻酔のあと、おヘソ、右下腹部、恥骨のあたり3箇所に穴を開けます。そして、腹腔鏡という機械を使って、患部を手術します。」
 なんでも、この「腹腔鏡」を使うことで術後の感染症にかかる確率を大幅に抑えることができ、傷口が小さいため回復が早いのだとのこと。

 車椅子に乗せられ手術室へ。
 そこで、ストレッチャーへ乗せかえられ、そのまま手術台へと直行した。
 ストレッチャーに横たわり、流れていく天井の風景は、よくありがりなドラマのシーンのようだった。
 手術台へ移し変えられ、

 「それではこれから手術を行います。点滴へ麻酔薬を注入しますので、すぐに意識がなくなりますよ。」
 全身麻酔とはいかなるものかと、興味津々に点滴を見ていると医者が何やら液体を注入した。
 その数秒後、頭がもやーんとして強烈なトリップ感を覚えたかと思ったら手術は終了していた。
 手術時間は1時間くらいだった。

 拙者は眠っていたので見れなかったが、切除した虫垂を見た嫁は、タラコが充血しているようだったと言っていた。
 拙者も見てみたかった。



 翌朝、電話があり、今晩か明日の朝、退院できるという。
 昼過ぎに見舞いに行ったら、退院許可が出ているという。
 昨日の今日である。

 勘定の支払いは「なし」。
 そのまま「はい、さようなら」と引き取ってきた。
 何の手続きもない。
 「3泊4日、3食ベットつき、診察代・手術代無料」。

 その後の「定期健診」は。
 「痛くないからいいや」と行っていない。
 「タダ」ともなれば、どうしてもそういう心境になる。
 金を払ったら、それだけ価値あるものとみなして、慎重になる。
 無料なら「心配ない、心配ない、タダ、タダ」で終わってしまう。

 タダ、というのは決していい制度ではないように思う。
 どうしても安易な方向に流れやすくなる。


 ところで、これを日本で受けるとどうなるでしょう。
 上記の経験談の方の場合を見てみましょう。

 費用は、その病院や入院する日数にもよるが、拙者の場合
・ 入院日数:3泊4日
・ 腹腔鏡手術(切開手術の場合は2,3割安いそうです)
・ CTスキャン
などで「約16万円」ほどでした。

 この手術、3泊4日、十数万円が標準のようです。
 でも息子の経過をみていると、2泊3日でも十分なようです。


 ここ10年ほど、目玉を見てもらった以外は医者にかかっていない。
 内臓がどうなっているのかまるでしらない。
 知りたくもない。
 姉はガンであった。
 ガンとは「遺伝子の突然変異」だとすると、私もこの突然変異にかかりやすい傾向を有していることになる。
 ガンは遺伝しないといわれているが、ガン系の家族はガンで死ぬ確率が、そうでない家族よりも高いことは確かなようだ。
 ということは、私もガンにかかりやすい体質かもしれない、などと勝手に思い込んでいる。


 「痛い」と思って医者に駆け込むようなことがあれば、それで終わりだろうと心得ている。
 しつこく生きたいとは思わない。
 身辺整理もやっており、分かるようにしてある。

 弁護士立会いの「遺言」も書き残してある。

 「六十になったら遺言を書け」

 それが、生きる価値であり、生きる意味だ。
 「生」「人生」を見直すキッカケが作れる。


 「健康に死ぬための努力」をしないといけない。
 常々そう思っているのだが。



<おわり>




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