_
病院へいく3:ドクター・デス
━━━━━━━━━━━━━━
話は飛ぶ。
マジメな方へ。
なぜ、「インド人医師が怖い」か。
ここはインド人の医師が多いのです。
ご存知の方も多いと思うが、先般ロンドンのテロ未遂事件があり、その実行犯の兄弟がここの病院に勤めていて、空港で逮捕されたというニュースがありました。
この人は若いインド人医師。
しかし、いくら調べても事件の関係が出てこず、勇み足ではなかったかとウワサされています。
このテロ未遂事件の内容は下記のサイトで読めます。
『
★ 怪しさが増すロンドンテロ事件
http://tanakanews.com/f0719London.htm
』
なんといっても、インド人医師のトップニュースは「ドクター・デス」。
こちらはウワサなどではなく、現実の話。
下記のサイトから一部をコピーしてみましょう。
『
★ 25today.com
http://www.25today.com/news/2006/11/qld_18.php
州検察局は地裁から、「ドクター・デス」のあだ名を得たジャヤント・パテル医師の逮捕令状を取った。
これでアメリカに同医師の引き渡し請求をすることができ、「ドクター・デス」事件が一方前進する見通しがついた。
インド生まれで「インドで医師免許を取り」、後にアメリカで外科医としての訓練と資格を獲得したジャヤント・パテル医師が初めて疑惑を引き起こしたのは1984年ニューヨーク州バッファロの病院。
2000年にオレゴン州当局はパテルの医療活動制限を言い渡し、ニューヨーク州当局も2001年に医師免許を取り消している。
パテル医師はアメリカを逃れてクイーンズランド州に渡り、海外資格医誘致を急いでいた州は身元確認もせずにパテル医師をバンダバーグ基地病院に配属、2003年には外科部長に取り立てている。
しかし、パテル医師の失格ぶりと奇行はすぐに明らかになり、病院の看護婦たちは医師を「ドクター大腸菌」と呼んでいた。
2005年3月、トニ・ホフマン看護婦の内部告発から野党議員が州議会でパテル医師の問題を取り上げ、花火のように華々しく事件のいっさいが明るみに引き出された。
約2年の間に診察した1,200人の患者のうち、「87人」が死亡しており、うち「30人」は確実にパテル医師の医療過誤だとされており、17件の患者死亡事件だけが立件された。
しかし、事件発覚直後にパテル医師は、クイーンズランド州厚生当局の負担でファーストクラスに乗ってアメリカに逃亡してしまっていた。
この事件で州政府の大臣ゴードン・ナットル議員が失脚している。
一般市民にはアメリカでの厚生当局の対応の遅さ生ぬるさ、クイーンズランド州厚生当局の失態はほとんど信じられない。
』
というようなことで「インド人医師」というと、どうしても構えてしまうのです。
急激な人口増加に見舞われたこの州では、医師の供給が追いつかない。
なにしろ医学部のある大学が州に1校しかなかったのだから。
「州」とは「共和国」である。
州政府とは「共和国政府」である。
ということはつまり、共和国に医学部がある大学はたった一校だけということになる。
間に合うわけがない。
医学部の新設があちこちで許可された。
計4校が医学部を持つことになった。
でもそこから新米の医者が出てくるまで6年かかる。
それまでの穴埋めをやっているのが外国人医師。
インドは英国が作り上げた医療システムを持っているため、そのままここで通用する。
実をいうとインドは医療大国なのです。
「
インド政府観光局は「メディカル・ツーリズム」の促進のため、インド各州の観光局に優れた病院施設と治療が提供できるパッケージを提案するよう要請。
「インドの伝統医療システム」を紹介するCD-ROMを制作し、世界各地で配布している
」。
「ボイス・オブ・インデイア」の記事。
下記のサイトでみられます。
『
★ Voice Of INDIA - インド、メディカル・ツーリズムで世界のハブへ
http://www.voiceofindia.co.jp/artdisplay.php?art_id=200705292110&art_aid=2111&art_sid=16&art_ssid=48
』
「インド医学」の体験談がありましたので、載せておきます。
『
★ インドニュース・トラックバック: 2005年09月 アーカイブ
http://www.inmaru.net/news/archives/2005/09/index.html
2005年09月20日
インドは世界的な医療大国なのだ!
「饒舌な国インド」(石川好)【日本経済新聞05年9月18日付朝刊36面】
【ジャンル】作家の石川好さんの寄稿
──────────────────
【概略】
石川さんは2年前に血行障害とリウマチがあわせ重なった難病に苦しみ、病院を転々とするうちに、若いインド青年の勧めでインドの病院に入院することに。
インドに行ってみて驚いたのは、「インド医療の実力」。
石川さんの病状が大きく改善したことのみならず、欧米の患者が年間数千人単位で入院中であるという事実。
インドの医師は、その理由のひとつをこう説明する。
「インドにはヒマラヤから熱帯まであらゆる自然があり、スコールが原因の疫病もある。
あらゆる自然があればあらゆる死が存在し、そういう土地では医者の技術がためされる」
ドイツ医学の根っこにあるのは、古代インドの医術やヒマラヤ山系の薬草を侵略者だったアーリア人が持ち帰ったことにあるという歴史も(真偽の程は不明だが)あるとか。
【ここがすごい!】
「アメリカを困らせるためなら、テロなど行わず、アメリカの医療機関で働くインド人に帰国命令を出せば、アメリカの医療システムはパニックに陥るだろう」
というインド人の言葉にびっくり。
「国際会議の名司会者とは、インド人を黙らせて、日本人をしゃべらせられる人」
との箴言には思わず感心!
』
ついでにビデオもどうぞ。
10分と長いです。
でも、あなたの明日について考えるとき、価値があります。
『
★ YouTube - インド医療ビジネス
http://jp.youtube.com/watch?v=88R5K2_aDus
』
【 ■■ ちょっと余談を ■■ 】
このビデオを見ると懐かしい車が走っている。
「ダイハツ・ミゼット」。
乗用車ではない、軽三輪トラック。
それが、最新の4WDとならんで近代病院の中に列をなして消えていく。
なんとも感激。
これだけで、ダイハツ・ミゼットが「名車中の名車」であることがわかる。
「コニー復元クラブ」で書きましたが、ミゼットは1955年に発売されている。
ということは、ビデオで登場するミゼットは「半世紀、走り続けている」ことになる。
たったわずかに「250cc」のエンジンしか搭載していない車。
「250cc」とは、一般用オートバイのエンジンの大きさである。
エンジンは50年前のものだろうか。
車体は。
疑問はつきない。
でも、うれしい。
この健気にちょこちょこと走っている姿をみると、涙がホロリ。
「思い出の名車」が路上で生きている。
コニーは復元という作業を必要とするのに、ミゼットは現役である。
ちなみに、「軽三輪トラック、コニー360」は復元作業に入っている。
2005年末に第3話「やる気満々」で終了。
やっと、2年余の月日を経て、満々が再開された。
工場の片隅で朽ち果ててしまうのではないかと心配したが、ちゃんと作業に入っていた。
でもなぜ、2年も非公開でぽっぽらかしになっていたのだろう。
これは当事者しか知らない謎。
現在、第7話まで、これもこれからが楽しみである。
なを、「どういうわけか、そういうわけか」しらないが、「コニー復元クラブ」で検索すると、当然トップにコニーの復元記事が出てくる。
これは当たり前のこと。
その後に出てくるのが、この稿のはじめに書いた情報会社の情報。
もしかしたら、この情報会社の無言の圧力が、2年目にして復元記録の公開を促したのかもしれない。
もし、そうだとしたら復元に携わる人にとって、「いいことをしたのだろうか、それとも悪いことをしたのだろうか」
どうもこの情報会社の情報は、復元クラブの名をあちこちにばら撒いているような気がしてならない。
クラブの方々にとっていいことであることを祈るのだが。
でも、踊らされているような気がしないでもない。
少しばかり考えさせられてしまう。
■■■
話を元に戻します。
息子の州立高校の同級生にチェコ・リパブリックからの移住者がいた。
プライベート校なら親の収入の粒が揃っている。
パブリック校だと中から下。
ハイスクールとは「中学高等学校」。
よほどでなければ中学から持ち上がりで高校へ入れる。
日本のように入学試験はない。
都立高校を落ちたから私立高校に入る、といったことはない。
よって、プライベートとパブリックの差はほぼ「親の収入」で決まる。
ビンボー人の子どもがプライベートにいくということは全くといっていいほどない。
子どもにビンボー人の同級生を持たせたくないという収入のある親は、必ずプライベートに入れる。
ということは、自分はパブリック・スクールの先生をしていながら、わが子はプライベート・スクールへいれるのが、ごくごく当たり前の「先生の一般常識」となる。
先生は知的な職業。
ビンボー人の職業ではない。
「先生」といってもきれいごとで働いているわけではない。
ごく一般の庶民。
ごく一般の庶民が、ごく一般の庶民行動をしても、後ろ指をさされることはない。
それだけの収入が得られれば、子どもをプライベートへやって何の不思議もない。
プライベート・スクールの学校行事は日曜日にある。
これは日本と同じ。
例えば運動会。
子どもの運動会を親は楽しみにしている。
ところが、パブリック・スクールの学校行事はウイーク・デイに行われる。
どうして、日曜日でないのか。
これでは、誰も見にいかれないではないか。
その理由。
パブリックの先生が、
「日曜日は子どもの学校行事がありますので」
といって、「日曜日の出勤を拒否」するから。
他人のガキより、わが子が可愛いのは当たり前のこと。
非難される筋合いはない。
もちろん、パブリックの学校でも運動会は行われる。
平日に。
父母はよほどのヒマ人でない限り、見にいかない。
「見にいけない」
なにしろここは共働きの世界である。
参観者はヒマ人の家族がわずかに、あちこちにちらほらいるだけ。
運動会とは近所の時間をもてあました老人の楽しみ行事。
パブリックの親は、子どもの学校での姿を見ることはない。
学校行事に出向くこともできない。
親は「子どもの運動会」など、長い子どもの学校生活の中で一度として見ることはない。
圧倒的な差別の中で、パブリック・スクールの子どもは育っていく。
これが「平等原則」。
それが、世の中と知っている。
日本のように甘くはない。
「厳しさ」
それが「社会のテーゼ」
それに対して誰もグタグタ言わない。
それがいやなら、プライベートへいくしかない。
もし、子どもの運動会を見たかったら、プライベートへいれろ。
でも、「ビンボーなんだから仕方がない」。
特別な考え方を持つ親の子でない限り、パブリックの生徒はビンボー人の子どもと言って大きな間違いはない。
「ビンボー人はビンボー人」であり、正解であって間違いはない。
ビンボー人はビンボー人らしく生きていくしかない。
この同級生は全校ナンバー・ツーの生徒。
歯学部にいき、歯医者になった。
ビンボウだって頭のいいヤツはいる。
初任給「700万円」。
ちなみにナンバーワンは工学部を出て、年収550万円で企業に入った。
なんと大卒のフレッシュマンの初任給が「550万円」ということになる。
優秀と目をつけた人材を企業は金で買っていく。
今では年収「700万円」という。
日本のように横並び一線ではない。
これも「平等原則」。
二十代終わりまでに財産を作るヤツもいる。
同級生でインターネットがらみのソフトを売りさばき、既に家持ちになっているのがいる。
先般、稼いだ金でガールフレンドと一緒に1カ月の世界旅行に出かけた。
ガールフレンドの方はその後、日本でワーキングホリデイをやるという。
「平等」とは、生きる能力をもった生物としての平等である。
エテ公のボスが力で入れ替わったところで、それを不平等とは言わない。
能力のないやつは、その能力分しか稼げない。
エサを獲れないヤツは飢えるしかない。
当たり前の自然の、そして「生物の法則」
「平等」とはつらい原則。
それをできるだけ凹凸の少ないようにしようというのが社会の役目。
これは平等ではない、「平準」である。
平等なら弱肉強食の世界で、弱いヤツは息絶える。
「機会平等」である。
「適者生存」の「進化論の世界」になる。
平準だから弱者も生き延びられる。
それが社会というもの。
「ミスター・カウンセラー」という人望高き同級生は工学部を出て陸軍に行った。
小隊長で少尉殿。
プライベート出身で軍人になるヤツはまずいない。
軍隊にい続けて、准将クラスに名を連ねるか、それとも佐官クラスで退役し、政治にうって出て、共和国議員(州議会議員)になるか、運がよければ連邦議員か。
「RSL」という「退役軍人連盟」のパワーは圧倒的に強い。
ちなみに、息子のハイスクールの友だちでは三人が軍隊へ行った。
以下の医者の話は歯医者になったこのナンバーツーの話。
チェコ人で有名なのはあの「ルービック」を作ったルーブス。
ルーブスにはチェコに2系統あり、同級生はルービックでないほうのルーブスだという。
おばちゃんはお城をもっているという。
本当だろうか、それにしては貧乏。
移住してきたときは、床にジュータンが敷けずにコンクリートムキダシのままで過ごしたという。
おやじさんはタクシーの運ちゃんからはじめて、いろいろな職種を渡り歩いたという。
ナンバーワンとナンバーツーはパブリック・ハイスクールの卒業年報に肩をならべて映っている。
ただし、背は子どもと大人ほどの差がある。
医者というのは、つまるところ時間いくらの賃金労働者。
医者の時間給に年齢といった加味はない。
医者なら誰でも同じ。
よって長時間働いた医者が最もお金をかせぐことになる。
ということは、稼げるのは公立病院。
公立病院は医者が不足している。
でも病人は次から次へとやってくる。
よって長時間労働になり、収入もよくなる。
若いとき公立病院で稼いで、そこそこの資産を作ったら、のんびりの私立病院に移っていくのが一般のお医者さんのルート。
私立病院は所定人数以上は診ない。
時間制限も厳しい。
日本だと開業医になるのが憧れ。
ここでは数人が組んでファミリードクター診療所を開く。
お医者さん稼業はもともと実入りがいい。
グダグダいう患者を相手にストレスも溜まる。
そのため休暇をよくとる。
夏休み1カ月のバカンスはざら。
でも自宅で開業し、1カ月休みます、とは言えない。
自宅開業には休暇はない。
だから自ら一人で「自宅開業」などという日本風な「アホなこと」はしない。
数人で組んで開業し、仕事を家庭に持ち込まないようにする。
ここではすべてに「ファミリー」が優先する。
その優先が壊れたら「離婚」が待っている。
「ファミリー」と「離婚」は刑務所の塀の上を歩くようなものだ。
僅かなバランスを崩すだけで、どちらかにたおれ込む。
診療所の先生は固有の部屋をもっている。
そこに入って驚くことがある。
机の上に子どもと女房のポートレートが何枚も飾ってある。
それだけで足りないのか、壁中ベタベタ写真が貼ってある。
日本ならこうだ、「仕事部屋に家庭を持ち込むな」。
そんな忠告は、ここでは糠に釘を打つようなもの。
数人のローテーションで休暇を回していく。
自宅で開業なんてことは、地獄に足を突っ込むようなもの。
そう、仕事は楽しむためにするもの。
もし、24時間働きたかったら、公立病院にいくのがいい。
仕事はいくらでもある。
働いた分だけ銀行通帳にお金が溜まっていく。
時間分、お役所はお金を払ってくれる。
これが「平等原則」。
医者は自らの技量を時間給になおして「患者に奉仕する賃金労働者」。
決して所属する「組織に忠誠を誓うサラリーマン」ではない。
ちなみに、医学部の増設により市内の公立病院全体では2012年までには医者が「400人」になるという。
これは2005年を規準にすると約70%アップという。
ついでに、看護士が40%増、医療技師が34%増。
猛烈なスピードで増大している。
ドクター・デスの続報を載せておきましょう。
『
★ 25today.com 2008年3月12日
http://www.25today.com/news/2008/03/post_2022.php
「ドクター・デス」パテル、米で逮捕
────────────────────
QLD州で患者17人の死に関与の容疑
QLD州バンダバーグ・ベース病院勤務中に重大な医療過誤で17人の患者を死なせたとして、過失致死と重大な傷害など16件の容疑で指名手配されていたインド出身の外科医ジャヤント・パテル容疑者が3月11日(現地時間)、アメリカのオレゴン州ポートランドでFBIに逮捕された。
3月12日(豪東部時間)、QLD州のリアン・クレア検事総長(DPP)は、アメリカ当局に対して、ジャヤント・パテル容疑者逮捕に感謝の意を表した。
同日朝発行の声明で、QLD州検察庁は、パテル逃亡で中断していた事件処理がこれで再開できるようになったと安堵を述べると同時に、オーストラリアの政府機関がこれ以上発言することはパテル裁判で予断と偏見を招くことになると警告した。
アナ・ブライQLD州首相も、「パテル容疑者がQLD州で裁判を受けることを心待ちにしている州民は多いと思う」と述べた。
パテル容疑者はオレゴン州の裁判所でオーストラリアへの引き渡しの審理を受けると見られている。
この審理では慎重に準備し、厳格に試された証拠を提出しなければならない、としている。
』
<つづく>
【Top Page】
【 〇〇〇 追稿 〇〇〇 】
━━━━━━━━━━
インドでダイハツ・ミゼットが走っていると書きました。
エンジンや車体はどうなっているのだろうと調べてみました。
Wikipediaを抜粋で載せておきます。
『
インドではオート・リクシャー、パキスタンでは単にリクシャー、バングラデシュではベイビータクシー、ネパールではテンプー、インドネシアではバジャイと呼ばれている。
最有力メーカーはインドのバジャージ・オート(Bajaj Auto)である。
原型となったのは、イタリアのピアジオが生産したベスパカーで、当初から後部に二人乗り座席を設けたモデルが用意されていた。
インドで1959年から1974年までライセンス生産され、契約終了後もバジャージのブランドで販売されている。
サムロー(????????)はタイ語の単語で三輪自動車(オート三輪車)を意味する言葉。
日本ではサムロとも言い、特にタイの三輪自動車を指す言葉として使われる。
また、俗にトゥクトゥク(??????????)と呼ばれる。
起源は大型バイクを改造したものであるが、日本から輸入したダイハツのミゼットなどのオート三輪をタクシーに改造したものもあった。
日本の郵政省が郵便収集車として使用していたダイハツの三輪トラック『ミゼット』を、四輪トラックに変えた際に、中古のミゼットをODAとしてタイに輸出したのが始まり。
』
よって、インドで走っている車の原型はミゼットではないということです。
ひじょうによく似たスタイルなので間違えてしまいました。
タイの「トゥクトゥク」がミゼットに近いようです。
『
★ いとしのトゥクトゥク | 旅の光景 2008/01/17 22:04
http://myhome.cururu.jp/himuka288/blog/article/91001742248
トゥクトゥクって聞いたことあります?
知る人ぞ知る、タイの三輪タクシーです。
元は日本のダイハツ・ミゼット(軽三輪トラック)を改造した三輪車だったのですが、車体はどんどん改造されて、ほとんどタイのオリジナル。
今ではタイから近隣諸国やアフリカに輸出されるまでの存在に。
このスタイルがめっさ可愛いのです。
エンジンの音がトゥクトゥクと聞こえるから、そう呼ばれるようになったらしいのですが、エンジンも改造されて出力が上がっているので、実際乗るとトゥクトゥクどころかバリバリうるさい。
風はもろに受けるし、曲がるときはポールをしっかり持っていないと振り落とされるし、目の上(座席の上の屋根)にウインカーやブレーキランプがついてるからチカチカとまぶしくてしょうがない。
』
「トゥクトゥク」は「TukTuk」と書きます。
エンジンはダイハツの軽自動車「ハイゼット」のもののようです。
ということは「660cc」のエンジンということで、いにしえのミゼットの250ccではないということになります。
やはり、250ccエンジンは終末を迎えていたということのようです。
日本の軽自動車のこの排気量はエアコンすら動かせるものですから、ミゼットとは段違いということになります。
それが「うるさい」となると、どこかが違うのでしょう。
『
★ お気に入り登録・トラックバック・一言コメント禁止部屋Ⅱ
http://blogs.yahoo.co.jp/inoopyponponsp/folder/1495232.html
』
上のサイトでは日本人向けに「トゥクトゥク」を販売している'様子が写真にあります。
中ほどです。
【 〇〇 別稿(2008/08/28) 〇〇 】
━━━━━━━━━━━━━━━
『
★ 毎日新聞 2008年8月27日
http://mainichi.jp/hokkaido/news/20080827ddlk01010276000c.html
──────────────────────────────────
札幌市:税滞納で差し押さえの10点、ネット公売 目玉は国産オート三輪 /北海道
◇参加申し込み受け付け中
●拡大写真
札幌市が税滞納で差し押さえネット公売する国産オート三輪
札幌市は市税滞納者から差し押さえた乗用車など計10点のインターネット公売への参加申し込みを受け付けている。
9月4日午後5時まで。
今回の目玉は国内製のオート三輪「ヂャイアント・コニー」。
最低入札価格は52万円。
市によると、1959年製のクラシックカーで、軽四輪移行のため60年に製造中止となっている。
生産台数は7,350台と少なく、国内には数台しか残っていないという。
公道を走るには整備が必要だが、エンジンは始動する。
入札は9月10~12日午後0時半。
参加できるのは、ネットで名前、住所、保証金の支払い手続きを登録した人のみ。
下見会は8月30日午前11時~午後2時半、市本庁舎。
問い合わせは011-211-2265。
』
「オオー」、コニー軽三輪トラックです。
運転免許をとって、はじめて運転したヤツです。
我が家にやってきたはじめての「自動車」です。
現在、クラブで復元中のものです。
オープンカーになっていますね。
屋根と荷台側の壁は幌でしたので、なくなってしまったのでしょう。
端はちょうどテント張りをするようにフック金具で止めていました。
一度でも金具をはずすと、もう二度とテント張りはできなかったほどにきつく張ってあった。
ドア上の窓枠は硬質のプラスチックフレームで、それに薄手のプラスチック透明板を差し込んで窓としていました。
ところが冬場でこのフレームが硬く収縮すると、透明板が差し込めなってしまいます。
しかたがないのでフレームの上端に近い縦溝部分の縁をナイフで切り取り、そこからムリに透明板を押し込んで窓にしていました。
初期のダイハツ・ミゼットにはドアもなく、窓もありませんでしたので、強風のときは雨が吹き込むことがあり、雨具を着て運転していた人もいました。
もちろん、配達のことを兼ねてでしょうが。
コニーにはお手軽でもちゃんとドアとマドがついており、エンジンから暖気が流れるようになっており、冬場は助かりました。
「コニー」のエンブレムがついています。
もう「ない」と思っていたのですが、あるのですね。
博物館や復元クラブの写真以外で見るのははじめてのこと。
チョコレート色です。
復元クラブのものもチョコレート色ですが、我が家のは黄色系統でした。
ちょうどカタログにあるのと同じ色だったと思います。
塗装が新しいところを見ると、塗り替えたようですね。
●復元中のコニー:[コニー復元クラブ]より
入札最低価格「52万円」だそうです。
高いのか安いのか、わかりません。
この車、よほどのマニアでないと知らないのではないでしょうか。
買い手があるのでしょうかね。
個人が持っていて楽しめる、といった車種ではないように思えるのですが。
どこかの博物館にでも寄贈することになるのではないでしょうか。
落札価格はいくらになるのでしょう。
あと半月ほど、楽しみになりました。
「売れ残ってしまった」ということもありえますが。
【 〇〇 続稿(2008/09/14) 〇〇 】
『
★ 毎日新聞 2008年9月13日 地方版
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20080913ddlk01040237000c.html
───────────────────────────────
ニュースフラッシュ:札幌市のネット公売でオート三輪156万円で落札 /北海道
札幌市が市税滞納者から差し押さえて、インターネット公売にかけていた国産のオート三輪「ヂャイアント・コニー」が、最低入札価格(52万円)の約3倍の156万3000円で落札された。
国内に数台しかないといわれる1959年製クラシックカーで、秋田県の男性が競り落とした。
』
売れました。
「156万円」
どうするのでしょうね。
見ていて楽しい車には見えないのですが。
【 〇〇 続稿(2008/10/20) 〇〇 】
勝手ながらサイトをコピーさせていただきます。
『
★ 日本に3台しかない車 - ミニクロ(モンテ)の記録
2008/10/11
http://blog.yahoo.co.jp/hoku20060522/18193965.html
先日、妻と子供たちが北海道から帰って来たのですが、
その際、フェリー乗り場で見たこともない車を撮影!
妻が調べた所、愛知機械工業製コニーと判明。(三輪自動車ジャイアントAA27 1959年 )
コニー復元クラブ
[http://www.aichikikai.co.jp/club/]
その車は苫小牧からフェリーに乗って秋田下船(家族と同じ経路)
札幌の競売で出品されて、東北の人?に落札されて、届けられた所だ思われます。
【コメント】
足跡残していただきありがとうございます。
末永くどーぞヨロシク願います。
2008/10/14 [ カトちゃん ]
』
運送中のコニーですね。
エンジンは始動するとは、構内なら走れるということのようです。
自走でフェリーに積み込むようですから。
運転されている方か、あるいは後ろに立っている方が落札されたのでしょうか。
「コメント」の[ カトちゃん ]とはその落札された方でしょうか。
【Top Page】
_