2008年7月11日金曜日
病院へいく2:目にゴミが
● AFTER HOURS SURGERY
まるで、小さな住宅レベルの大きさ。
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病院へいく2:目にゴミが
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ここからまじめに本題に入ります。
本当にマジメに進むだろうか。
最初に病院に行ったのは白目に血管が浮いて、目が真っ赤になったとき。
「2日もすればなおりますよ」とは医者の言。
念のための血液検査をしておきましょうと、ごっそり血を採られた。
血を採るところは病院ではない。
3,4軒先の場所。
ここは何でも分業だ。
ジーンズとTシャツで鼻歌を歌いながらゴツイおっさんがこちらの嫌がる顔を楽しみながら、腕に注射器を差し込んで試験管に何本もとる。
白衣すらも着ていない。
終わったかなと思ったらもう一本。
やっと終わったと思ったらもう一本。
このオヤジ、張り倒してやろうかと思ったほど。
でも相手は、デカイおやじ、70キロは楽に超えるだろう。
50キロそこそこの体で、勝てるはずがない。
献血をしているわけではない。
異常があったら連絡しますとのこと。
連絡はなかった。
2回目もやはり目。
芝刈りでゴミが入った。
モワー(芝刈り機)は「ビクタ:Victa」のスパーパワー。
ちょっとのことではエンストしない。
そのかわり、ガソリンをやたら喰う。
そういえばそれから1年後に壊れた。
パワーが強すぎマフラーがいかれたため。
そういえば前のモワーもビクタ。
これもマフラーがいかれて、オシャカになった。
2台ともマフラーがエンジンの出力にもたなかった。
新しいのはホンダ。
価格はやたら高いのにパワーがない。
すぐにエンスト。
エンジンが芝に負ける。
そして刈ったシバがメチャコン飛ぶ。
でも安全。
ガソリンも喰わない。
でも、こいつは注意しないといけない。
また、病院行きになる。
● HONDA芝刈り機:パワーがない
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昔のホンダは、オートバイでもメカ能力一杯までパワーを絞りだしたものだが。
昨今はそういう設計思想はないらしい。
あの私の知るホンダがこれだけのパワーしかない。
ウソだろうと思う。
ほどほどのところにリミットが設けられており、それ以上はいかないようになっている。
日本の設計は何でもかんでも「省エネタイプ」にできている。
それが「日本を救う」。
偽善標語の王者、「愛は地球を救う」。
ウソと分かっていながら、みんながそれにのってウソを楽しむ余裕。
「私はウソは言いません」というのが、ウソ標語ナンバーワンというが、それと同じ。
みんなウソだと知っていながらワイワイやっている。
トラブルを起こす現況は「愛」。
感動的な心を清らかにしてくれる美しい「愛」。
美しさ、清らかさをかけた「愛の戦い」。
これが世界を破滅させる。
「神聖なる愛は、世界を滅ぼす」。
そうと知っていながら、「愛は地球を救う」と言って楽しんでいる。
空恐ろしいほどの、奥の深さ。
というより、深さがない。
底抜け、無限。
「無限は大極に通ずる」なんてのが、どこかにあったな。
正善標語、「ウソは日本を救う」。
話がすぐにそれる。
悪いクセだ。
といいながら、面白気分でやっている。
読まされる方のことも考えろ。
大丈夫、「クリック一発で画面は消える」
そして、タダ。
いやなら消してしまえ。
便利な世の中になったものである。
ひと晩寝ればゴミもおちるだろうと思ったが大間違い。
「地獄行き」の決まっている人間のサガか。
痛くて、夜も眠れず、夜中に何回も起きて目を洗ったがだめ。
突き刺さってしまったようだ。
痛いのは嫌いだ。
ここの医療対応はだいたい3つである。
一つは近くにある医者にコンタクトをとる方法。
いわゆる「ファミリー・ドクター」といわれているもの。
名前ほどのことはない。
日本の行きつけの医者なら往診してくれるが、ここはダメ。
「ファミリー」という語にだまされ易いが、単なる診療所の先生。
日本の医者の方がはるかにファミリー的。
まして町内の先生なら圧倒的にファミリー的。
これはいわゆる、普通の医者。
ただ表現方法がないので、「ファミリー・ドクター」と言っているだけ。
診療所のガラスドアにファミリー・ドクターと表記して、その下に5人の名前が書き込まれている。
名前でだまされる。
単なる「簡易医師」。
「イージー・ドクター」では権威がつかない。
見立てだけ、薬は近くのスーパーマーケットの薬屋で。
難しいのは、「こちらへ行ってください」と専門医への紹介状を書くだけ。
100%予約制。
よってほとんど使い物にならない。
病気なんてものは「明日、病気になりますから予約しておきます」てなもんではないだろう。
うまく予約がとれても、夕方の最後、それでも半日はダメ。
風邪ていどなら半日待ってもどうということはない。
でも、目の痛みと歯の痛みはやはり早めの治療が欲しいところ。
二つめは救急車を呼ぶこと。
でもここでは高すぎる。
救急車が高いというのはちょっと解せない。
というのは後で述べるように、公立病院は「食事つき無料」なのだ。
この矛盾の大きさは一般理解を超える。
それに目のゴミで救急車を呼ぶわけにもいかない。
三つめは病院に自らで向くこと。
公立病院の一般外来はどういうわけか「エマージェンシー」の名称がついており、名前をみるとすぐにやってくれそうに思う。
でも予約ナシでもやってくれるということだけで、どのくらい待たされるかわからない。
それもそうだ、救急車で運ばれるならいざしらず、大勢つめかければ、救急も普通の内容になってしまう。
それに時間制限がある。
24時間やってくれるわけではない。
24時間対応してくれるのは救急車の入っていくセクションのみ。
エマージェンシーとは「救急外来」ではなく「一般外来」のことである。
もちろんファミリードクターも実際にだらだら涙を流していけば、オフィスが無理やり先生に時間をとってやってくれる。
さほどに不人情ではない。
朝の6時前である。
今日は土曜日である。
それに明日はクリスマス・イブである。
すべての条件がよくない。
だからといって目の痛みは止まらない。
涙がぼろぼろ落ちてくる。
一時やわらぐが、また襲ってくる。
州政府へ電話する。
「目のゴミ」だけで共和国政府を煩わすとは、いい度胸だ。
大げさだがそうも言っていられない。
電話だけだが24時間の受け付けてくれる保険医療相談機関がある。
たまたま、そのパンフレットを持っていた。
急すれば何とかである。
ちゃんとあるのですね、24時間の診療機関が。
日本のそこそこの大病院なら当たり前についている機関です。
昔、子どもが小児喘息で真夜中駆け込んだことがある。
2キロ先でしたが、自転車に乗せて運んで、すぐにみてもらうことができた。
ありがたいことであった。
教えてくれました。
公的機関で予約ナシの救急対応をしてくれる診療所を。
「アフターアワーズ サージェリー[AFTER HOURS SURGERY] ::時間外診療所」。
それが市の数箇所にある。
電話番号はすべて同じ。
住所をいうと最も近い診療所を教えてくれる。
そこへ電話する。
場所を確認する。
片道20キロ、予約の必要はありませんという。
すぐに、息子に運転をさせて向かう。
私はときどき目を開けていられなくなるので、車の運転ができない。
なんてことはない。
公立大病院のまん前である。
平屋の一般住宅より小粒な建物である。
まるで病院らしくない。
この違いは何だ。
● afterhoursdoctor.com
とても公的病院の玄関とは思えない。
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カウンターで手続きする。
しばらく待ってすぐに呼ばれた。
先生は「インド人老医師」である。
ちょっと心配、「大丈夫だろうか」。
ベッドに横になり、瞼をひっくり返してすぐにゴミをとってくれてた。
ほんとにちいさな刈り草のゴミ。
たったそれだけのこと。
アー、苦しみ続けていた痛みが消えた。
やはり「餅屋は餅屋だ」。
インド人、バンザイ。
望遠鏡みたいな拡大器を使って目玉のキズをチェックしてくれた。
傷がついているので、しばらく薬を注入するようにという。
処方箋を貰って数軒先の薬局で薬を買う。
でかい包帯を左目に貼り付けて、7時ちょっと過ぎにはすべてが終わった。
ちなみに、この治療費「タダ」。
「ほんとうにタダ」。
もちろん薬代は保険差額分自腹ですが。
目のゴミをとるだけで、医療行為としてはたいしたことないが、医者の時間を15分でもとれば立派な医療行為。
24時間対応でその費用がタダ。
そういう診療所が数箇所にある。
ここの医療システムはどうなっている。
救急車が誰もが嫌うほどバカ高いのに。
それ以降、芝刈りには透明ゴーグルをつけることにした。
○:救急車の料金については下記で見られます。
『
★ オーストラリアの病院/医療機関
http://www.ausbiznet.com/life/medical.html
』
<つづく>
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