● アイアン・シェフ: ジャパネスクかクール・ジャパンか
[Wikipedia]より
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文化発信大国日本6:よみがえるがいい、アイアン・シェフ!
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鹿賀丈史の呼びかけで三人の調理人がせり上がってくる。
「料理の鉄人:アイアン・シェフ」
先月からまた放送が始まりました。
私の覚えているかぎりでは、これで4回目の再放送。
一年ほどお休みでした。
もちろん、日本で放送されたすべての番組が放送されるわけではない。
ですから4回も再放送できる。
日本文化がここまで「しつこく再発信」されるのも珍しい。
というより「唯一」だろう。
4回目ともなれば、内容はだいたい覚えてしまう。
それでも、土曜日の8時半になるとSBSにチャンネルを合わせてしまう。
しつこさに呆れているのだが。
でもやはり、文化的面白さは満ち足りるほどにもっている。
もちろん、英語の吹き替えであるが、司会のド派手な鹿賀丈史が喋る部分のみは日本語である。
テレビで日本語を聴けるのは、早朝30分ほどのNHKニュースを除けば、これ一本。
「よみがえるがいい、アイアン・シェフ!」
これ、日本語。
Wikipediaで調べてみる。
『
料理の鉄人は、アメリカでもケーブルTV専門局FOOD NETWORKで放送され大好評となった。
吹替えで放送されたが、主宰の鹿賀丈史が喋る部分のみ字幕となっていた。
また、レポーターの太田真一郎が福井謙二に呼びかける際の「福井さん!」という部分はそのまま "Fukui-san!" とされた。
陳建一の苗字は中国語読みが採用され "Chen Kenichi" となった。
「料理の鉄人」はオーストラリアでも、SBSで放送されている。
SBSはオーストラリアの多民族・多文化主義にのっとり、海外のテレビ番組を主に放送するテレビ局で、アメリカで放送されたものをSBS が輸入した形となっている。
放送時間は毎週土曜日20:30~21:15。
CMをカットしているためノンストップで45分間放送される。
オーストラリアでも料理の鉄人の知名度は高く、Iron Chef公式ブックも発売されている。
』
SBSは現在CMが入り、ノンストップではありません。
また、「Fukui-san」は「フクイさん」ではなく「フクさん」と聞こえる。
ずっと「フクさん」だと思ってきたが、聞いてみたらやはり「フクさん」である。
フクイさんは呼びにくい。
フクさんに縮めているのではないかと思う。
オープニングは同じ。
『
★ 料理の鉄人OP
http://jp.youtube.com/watch?v=7c7MjiYLTVM&feature=related
』
フジテレビのサイトから。
『
★ 料理の鉄人
http://www.fujitv.co.jp/jp/b_hp/rtetujin/
“美食アカデミー”の主宰・鹿賀丈史が国内外から超一流シェフをキッチンスタジアムに招き、和・フレンチ・中華・イタリアンの鉄人に料理の腕を競わせる。
毎回、異なるテーマ素材が与えられ、1時間で料理を完成させるのがルール。
テーマは本番で主宰・鹿賀丈史が発表するまでは絶対秘密。
制限時間の1時間も厳守される。
この厳しい条件に耐えうるだけの技をもった料理人だけが、キッチンスタジアムに足を踏み入れることが許される。
この緊張感溢れる本物の戦いから、毎回ドラマが生まれている。
そう、この番組は料理格闘技番組ともいえるであろう。
』
放送開始は1993年10月だが、これは30分番組である。
翌年1994年4月からは45分番組となり、これは1999年9月24日まで続いた。
この間の放送期間は5年半である。
今は2008年10月であるから、この番組は「ちょうど9年前」に終了していることになる。
まさに「よみがえるがいい、アイアン・シェフ」そのもの。
SBSで放送されるのは45分番組であるから、この期のものである。
再放送であるが、時に「これははじめてだ」という番組が入っているときがある。
おそらくは、SBSが適宜にチョイスして放送しているのではないかと思われる。
よって今回は、新しいものかなという興味でチャンネルを回しているということもある。
SBSで出てくる鉄人は4人である。
和食では道場六三郎と、その後をついだ中村孝明。
フレンチと中華は各一人だけ、坂井宏行と陳健一。
ところが、ナレーションでは三人とは別にもう一人せり上がってくる鉄人がいる、イタリアンの神戸勝彦。
だがである。
不思議なことに一度として彼が出演した番組を見たことがない。
再放送されるとき、今度はイタリアンが入ったものが追加されるのではないのかと期待に胸を膨らましているのだが、いまのところ出てきていない。
見てみたいのだが。
神戸勝彦が第4のジャンルとしてイタリアンの鉄人に名を連ねたのは1997年6月ということである。
道場六三郎が病気で入院し、欠場しているときの呼び出しは
「二人だけよみがえるがいい、アイアンシェフ!」
でした。
病気の道場にかわって、中村孝明が二代目和食の鉄人としてデビューしたのは1996年3月という。
そして彼が1997年末に行われた「神田川本店」の神田川俊郎とのアラ対決の前に「もしこの勝負で負けたら引退する」と宣言、背水の陣で臨んだが敗れ、唯一の不名誉な3連敗を喫し、公言どおりに引退したという。
このときのバトルはまだ放送されていない。
ということは鉄人在任期間は2年弱。
中村にかわっての三代目は森本正治。
登場は1998年2月。
ということは鉄人在任期間は1年半強。
彼が最後の和食の鉄人ということになるが、もちろんまだ放送されていない。
この名前聞いたことがあると思ったら、アメリカテレビ版"料理の鉄人"である「Iron Chef America"(アイアン・シェフ・アメリカ)」に出ていた。
これは放送されたので、見たことがある。
見ていて思ったことは、「これ和食か」という疑問。
と同時に「これが日本食なのだ」という納得。
こちらに純和風の日本料理店を開く人は多い。
そして、みな失敗。
すごすごと引き上げていく。
大いに結構、大枚の開店資金がこの国に落ちる。
経済を潤す。
だいたい、ここで本場の日本料理を食べられるほどのお金持ちなら、時差という生理的面倒のない国では
「ちょっと、***の料理が喰いたくなったので、日本へ行ってくるから」
ということになるのが普通。
よって、ここでの和食は二流でよく、値段も手ごろで、かつ常に地元向け、オーストラリアン向けでないといけないのである。
「時差のない社会」というのは、お金持ちにとって、沖縄県の向こうにある「豪州県」といった発想しかない。
沖縄に住んでいて、そこで純和風料理を食べようとは思わないでしょう。
食べたかったら、本土にいけばいい。
飛行機代などは、そういう富裕層にとっては行動を縛る要因にはならないのです。
お金持ちのオーナー経営者は日本の「和食」を持ち込もうとする。
それが最高だと信じて疑わない。
かれらは日本の「和食」しか知らない。
世界という社会の中での日本食を知らない。
誰かの本に書いてあったが、ここにいる板前は日本で食いつめて流れてきた連中だと。
それでいいのだ。
彼らが、地域に根を生やしたとき、そこから「クール・ジャパン」がはじまるのである。
三代目鉄人就任当時は「NOBU」総料理長を務めていたという。
ここで「NOBU」というレストランだが、もちろん我々一般人が入れるようなレストランではない。
よって、実体はしらないが、世界では著名なレストランということになっている。
先の朝鮮日報では「NOBU」がクール・ジャパンの尖兵としてとり上げられているのです。
『
★ 刀を置き、花を手にしたサムライたち 朝鮮日報 2008/05/25
http://www.chosunonline.com/article/20080525000021
─────────────────────────────────────────
「クール・ジャパン」を取材するにはどこに行けばいいのか、と複数の日本人に聞いてみたところ、一番多かった答えは「NOBU」だった。
「NOBU」は世界的に有名な日本料理店だ。
ニューヨーク・ロンドン・ミラノ・香港など世界10都市以上に27店舗を展開しており、東京支店は都内の中心地・虎ノ門にある。
◆食でなく文化を売る
───────────
「NOBU TOKYO」の蒔田浩巳マネージャーは、客がいない閑散とした午後に取材に応じてくれた。
海外進出の初期は生魚に対する抵抗感をなくすため軽く火を通したり、サラダにしたりと、いろいろ工夫してみたそうだ。
だが、「今は欧米でも“すし”と“刺し身”は低カロリーの健康食として市民権を得ました」と話す。
「NOBU」は日本人シェフの松久信幸氏(59)がハリウッドの名優ロバート・デ・ニーロとコラボして立ち上げたレストランのブランドだ。
もともと二人はシェフと常連客という関係だった。
松久氏がロサンゼルスで経営していたすし店にデ・ニーロが通い詰め、意気投合しレストラン・チェーンを作った。
ミラノ支店には有名デザイナーのジョルジオ・アルマーニも参加し、話題を集めた。
西洋社会において「NOBU」は高級なイメージを持っている。
米ニューヨークのマンハッタン支店はセレブが集まる店として有名だ。
レオナルド・ディカプリオ、グウィネス・パルトロウ、ブルース・ウィリス、アン・ハサウェイ、サラ・ジェシカ・パーカーといった人気俳優たちもよくやって来る。
世界各地に27店舗を展開する「NOBU」のチェーン店は、どこもその国の上流層をターゲットにしている。
いろいろな話の中でも、特に蒔田マネージャーの「"箸"文化論」は興味深かった。
「海外店ではフォークとナイフも用意していますが、常連客はたいてい、"はし"を使います。
米国社会では、"はし"で日本料理を楽しむのが「上流層のシンボル」のようになりました。
米国のエリートたちは、"はし"の使い方が若い日本女性よりも上手ですよ」
つまり、「NOBU」は料理そのものではなく、日本文化を売っているのだ。
「NOBU」だけではない。
「すしレストラン」は世界のどの国でも高級なレストランとして知られている。
すしや刺し身のような日本食には、「ウェルビーイング」(健康と美容にいいライフスタイル)のイメージもある。
』
クール・ジャパンの最前線にある料理店の総料理長が最後の「和食の鉄人」として登場してくる。
和食の鉄人なら、日本の名のある料亭に星の数ほどいる。
なのに、「何故、海外から」来たのか。
テレビ番組「アイアン・シェフ」はクール・ジャパンの先取りをしていたのだろうか。
テレビ・デイレクターという職業は、社会の動きを敏感に察する能力を要求されるというのは確かなことだろうが。
Wikipediaから森本正治を調べてみる。
『
三代目:森本正治(もりもと まさはる)<英語版Wikipedia解説>
先代の中村の引退直後、1998年2月に「ニューヨークからやって来た鉄人」の触れ込みで番組に登場。
コスチュームカラーはシルバーに赤線というウルトラマンのようなもので、背中には日米の国旗を結わえた絵柄が入っていた。
番組では「料理界の織田信長」と称されている。
かつては寿司職人だったが、ニューヨークへ渡り、「ソニークラブ」総料理長を経て、鉄人就任時は「NOBU」総料理長を務めていた。
道場、中村とはまた違った「ニューヨーク仕込みの和食」「地球料理」を見せつけ異彩を放った。
ただし、道場の頃とは違い、審査員も多様化、また評価を厳しくしており、とくにこの時期、準レギュラー的に審査員を務めていた加納典明とは審査中もしばしば料理への考え方の違いで衝突するなど、苦労させられたようである。
坂井宏行が若手フレンチ集団「クラブ・ミストラル」と対立したように、かつて坂井をタコ対決で倒した関西料理界の重鎮、太田忠道は森本正治の「創作和食」を激しく非難。
自身が主催する「太田天地(あめつち)の会」から次々と会員を挑戦者として送り込むなど、因縁の戦いを繰り返した。
2001年11月、フィラデルフィアに「MORIMOTO」を開店、オーナーシェフを務めている。
2005年からアメリカ合衆国で放送されている"Iron Chef America"でも鉄人を務め、同じくアメリカ版の鉄人となっている。
』
「創作和食」
「地球料理」
ついに出てきた、クール・ジャパンの切り札。
文化庁がいやがりそうなヤツ。
以前に、どこかのお役所が「正しい寿司」を普及させるために、とかなんとかいった運動を始めよう、というのをテレビみたことがある。
アホらしさもここまでくると、二の句が告げない。
『インド政府が「正しいカレー」の普及に』
乗り出した、というのを聞いたら、どう思います。
「カレーの王子さま」が「カレーのおシャカさま」になるではないか。
日本の純和食が食いたければ日本にいけばいい。
食はその「地域社会文化に根付いたもの」である。
それが受け入れられてクールになる。
単一の地域社会では「ホット」なのである。
世界の日本料理であればいいのである。
世界に承認されて、クールになる。
もちろん、「クールはいやだ、ジャパネスクがいい」というのもありますから、選択肢は多いほうがいいということになります。
受け入れられなければ「消えてゆくだけ」
クールに冷ややかに、社会の流れを見ていけばいいこと。
なにも、「しがみつく」ことはない。
去り行くものは去り行くだけ。
強いて、押しとどめることもない。
ちなみに、これうる覚えなので間違ってはいけないと調べてみました。
農林水産省の「正しい和食認定制度」あるいは「日本食レストラン認定制度」というのだそうです。
やはり、「ふくろ叩き」にあったようです。
あうでしょうね、当然のこと。
あわなかったらウソになる。
根源からしてお役所の考えそうなこと。
霞ヶ関のヒエラルキーの中でしか思考できない人たち。
文化発信の意味を「表層」でしか理解できない枠組みに慣らされた秀才たち。
『
★ 産経新聞 2006/12/10
http://www.sankei.co.jp/seikatsu/shoku/061210/shk061210000.htm
【ニューヨーク=長戸雅子】
日本の農水省が世界にある和食レストランを「正しい和食」と認証する新制度の導入を検討していることに、和食ブームが続く米国のメディアが次々に反応している。
ワシントン・ポスト紙が「国粋主義の復活」と報じれば、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)は「日本がスシ・ポリスを派遣する」と揶揄(やゆ)、巻き寿司の「カリフォルニア・ロール」発祥の地ではロサンゼルス・タイムズ紙が「論争の火種になる恐れがある」などと警告し、
さながら“日米食文化摩擦”の様相だ。
農水省は認証制度の検討について「食材や調理法が本来の日本食とかけ離れた料理を提供している日本食レストランが増えているため」と説明。
現在全米に「日本食」を掲げるレストランは9,000店あり、10年間で2.5倍に増加。
このうち日本人、日系人がオーナーの店は10%以下に過ぎず、経営者の多くが中国、韓国などアジア系の移民という。
和食激戦地のニューヨーク市マンハッタン・ミッドタウンにある小さな和食店もそのひとつ。
オーナーをはじめスタッフは全員中国人で、顧客の9割以上は米国人という。
スタッフの一人は
「日本政府の好みに味を合わせても意味はない。
レストランは地元産業。
地元の人が好む味に合わせ、創作するのは当然」
と認証制度の意義に首をかしげる。
米最大の和食のメッカであるカリフォルニア州では、ロサンゼルス・タイムズ紙が伝統的な和食でない「カリフォルニア・ロール」などを挙げながら米国人が好む和食と農水省の判断に違いが生じる可能性を指摘。
「米政府がアフリカや香港や韓国でアメリカ料理の認証をやろうとするだろうか」という韓国系米国人の和食店オーナーの声を紹介している。
』
「カレーの王子さま」を「カレーのおシャカさま」にしてはならないのだ。
よみがえるがいい、アイアン・シェフ[ビデオ]
『
★ Iron Chef Roll Call
http://jp.youtube.com/watch?v=2u7tt55w6m4
』
アメリカ版、料理の鉄人について。
『
★ IRON CHEF AMERICA(料理の鉄人USA版)
http://www.fujitv.co.jp/cs/program/7215_058.html
1993年10月から6年間フジテレビで放送されていた人気番組「料理の鉄人」。
「アレ・キュイジーヌ!」料理の格闘番組として日本で人気を誇ったこの番組は、1999年からその180本以上が米国ケーブルテレビのフード・ネットワークで放送され、その料理に対する真摯な情熱とエンターテイメント性は、国境を越えて視聴者の心を掴んできた。
さらにフード・ネットワークは、フジテレビの「料理の鉄人」のフォーマット権(番組の構成やアイディアを提供する)を購入し、2004年春にアメリカ版料理の鉄人「アイアン・シェフ・アメリカ」を制作。
日本の制作スタッフが監修にあたったこの番組は2004年4月に米国で放送され、同局の「最高視聴率」を記録した。
フジテレビ721では、そのアメリカ版「料理の鉄人」を逆輸入!ノーカット日本語字幕版で放送する。
初回放送日 : 2005/04/11
放送内容
「アメリカの鉄人」となっているのは、日本の「料理の鉄人スペシャル」で和の鉄人森本正治と2度戦い、日本の視聴者にもおなじみのサウスウェスタンのボビー・フレイ。
ニューヨークのレストランは予約困難なことで有名なイタリアンのマリオ・バターリ。
そして六本木ヒルズのレストランでおなじみのカリフォルニア料理のウルフギャング・パック。
全米で50以上のレストランを展開し、アカデミー賞公式パーティーの総料理長も勤める人気シェフである。
そしてアメリカ版で彼らと対戦するのが、和の鉄人森本正治とフレンチの鉄人坂井宏行。
対戦が日本人との対決となっているため日本の視聴者にも分かりやすい内容となっている。
番組の構成やアイデアからセットのデザインまでを提供する契約のため、番組は「料理の鉄人」そのもの。
日本版では鹿賀丈史が扮していた主宰者を、アメリカ版では俳優でもあり世界的な武道家でもあるマーク・ダカスコスが鹿賀の甥という設定で登場する。
料理解説は人気料理番組の司会者でシェフのアルトン・ブラウン。
審査員は「ダイ・ハード2」など映画やテレビドラマで活躍する俳優、デニス・フランツなど有名ゲストが出演する。
放送したフード・ネットワークでは同局の最高視聴率を記録したというアメリカ版「料理の鉄人」、日本版の持ち味を活かしつつ、アメリカ版はどのように作られているのか!?
さらに、アメリカでは2005年7月から新シリーズの放送が決定!721では今回のシリーズ放送終了後引き続きノーカット日本語字幕版で放送予定。
』
最後の「和食の鉄人」が日本国内から選ばれずに、海外から連れてこられたという、この持つ意味は大きいのか、バカバカしいのか。
「文化発信大国 ニッポン」
だから、「日本は面白い」
ということになるのですが。
NHKの番組に「Cool Japan」というのがあるそうです。
もちろん、こちらでは放送されていないので、これまで一度も見たことはありません。
なを、NHKの電波は空を飛んでいます。
よって、昔はパラボラアンテナを立てれば、見ることができました。
ところが、日本人が受信料を払って見ているのに、「外国人がタダで見れる」というのはけしからんということで、国会で取り上げられました。
NHKのFMラジオ放送は世界中で聴くことができます。
それは、日本という国を知ってもらうためのささやかな取り組みです。
テレビともなれば、映像文化です。
音声だけのラジオにくらべれば百倍もの日本の情報を世界に流すことができ、それで日本を知ってもらえるとなれば、ぜひぜひやるべきことでしょう。
日本を世界に発信する「大いなる取り組み」だといえます。
でも、ケシカランという国内の反対にあって、ポシャリました。
電波にスクランブルがかかってしまいました。
「テレビ鎖国」をやってしまったのです。
このスクランブルを外す装置を購入し、受信料に見合う金額を年々納めないと見えなくなってしまうことになったのです。
日本語を知らない海外の人が、番組をみるのに、誰がお金を払って装置を買いますか。
映像だから、日本語が分からなくても見ていて楽しい、それによって日本という国を、社会を、文化を、民族を知るようになるのです。
スクランブルとは「文化鎖国」なのです。
これで分かるのですが、日本人は誰もが
「少しでも日本を世界の人たちに知ってもらいたい」
などとは、露にも考えていないということです。
というわけで、我が家には残念なことにこのスクランブル解除装置がないので、NHKは見られないのです。
なを、昨今はインターネットがブロードバンド(超高速大容量)になったため、ニュースは早朝のSBSのワールドニュースにチャンネルをあわせなくても、インターネットで好きなときに見られようになりました。
早晩、一般番組もその方向をたどっていくのではないかとは思っているのですが。
大河ドラマとか紅白歌合戦などは見たくもありませんが、「NHKスペシャル」と「ロボコン」だけはぜひとも見たいと願望しています。
NHKの存在理由はこの「NHKスペシャル」にある、と私は思っています。
あとは民放に任せても十分だと思っているのですが。
クール・ジャパンではないですが、「文化の閉鎖性」は時代の中で消えていくのではないでしょうか。
「和の心」などという禅問答は歴史のかなたに置き去りにされるのではないかと思っています。
ところで、その中に台所と料理についての番組があったらしいのです。
それに対するまるで違った感想がサイトに載っていましたので、ちょっと抜粋させていただきます。
『
★ NHK「クールジャパン」は、とてもカッコワルイ! 余丁町散人(橋本尚幸)
2008年9月10日
http://yochomachi.blogspot.com/2008/09/cool-japan.html
─────────────────────────────────────────────
夕方見ていたNHKの番組「Cool Japan」。
「ニッポンはカッコイイのだぞ~!」となんでもニッポンの風習を正当化してしまうのが番組の趣旨。
ゲストの「傭われ外人」から手放しの「ニッポン賞賛発言」を引き出して自己満足し、少しでも「ちょっとおかしいのでは~」という趣旨の発言が出ると司会のオヤジが高圧的に封じてしまうのがいつものやり方。
今日は日本の台所は狭いくせにやたらに物で溢れすぎているのではないかと言うことについて。
ちょっと考えさせられた。
日本家庭の台所は狭いくせにやたらに食器が多すぎるのではないか、とても雑然としているという「外人」のコメントがあった。
食器にしても包丁にしても、数と種類が多すぎてとても収納できない状況になっているというのだ。
やや同感。
中国の家庭では包丁は一本、鍋は中華鍋だけ。
ドイツの家庭でも包丁は通常一本で済まし、お皿の種類の一種類。
それなのになんで日本の主婦はあれほど多くのお皿と包丁を買い集め狭い台所に収納しようとするのかと「外人」は疑問を呈する。
普通の日本家屋としてはとても贅沢な家屋である新宿の林芙美子記念館を見ればよい。
彼女が凝りに凝ったという台所はとても質素だ。
現代日本の台所の方が異常なのだ。
戦後、マカロニグラタンというものが日本に持ち込まれ、家庭の主婦はこぞって「グラタン皿」という一人前のグラタンを供する舟形のお皿を家族の数だけ買ったことがあった。
アホだ(あんなものは日本以外では見たことがない)。
それをいまだに引きずっていて外国料理にはそれなりの食器が必要だと思いこんでいるのだ。
また日本の中でもきわめて特殊な料亭料理の真似を家庭でしようとしていることもある。
台所が食器であふれるわけだ。
ハウスメーカーはこぞって台所の収納に工夫をしてやたらになんでも収納できるようにするが、マッチポンプで追いつかない。
包丁の数にこだわるというのは、ニッポンの悪しき職人文化だ。
その職人の真似を家庭の主婦がしている。
これでは救われない。
現代ニッポンの「おいしいもの」への「拘り」は、遡れば江戸時代の食い物オブセッションにつながる。
江戸時代の金持ちは、いくらお金を儲けても身分制度のおかげで己の地位の向上の機会が断たれていたため、やむなく大金をばらまく「刹那的」な消費(初物食い)などに逃避したという。
現代日本でもこのような「逃避的」な消費性向が見られると云うことは、悲しいことである。
このどうでもいいことへの異常な「拘り」は、------貴重な資源を浪費してしまうことに繋がった。
おかげでニッポンはすっかり貧しくなってしまったのである。
このような「ちょっとおかしい」ことは、外部(第三者)からでないと見えない。
「ちょっとおかしいのでは……」という外人発言をNHKが高飛車に押さえつけているようでは、ニッポンの発展はないように思う。
』
同じ番組への別の方の感想。
『
★ 「クールジャパン」 ”台所-kitchen” 2008/09/13
http://54820276.at.webry.info/200809/article_13.html
──────────────────────────────
★システムキッチン
外国のキッチンは広くて明るい。
それに引きかえ、日本の台所は狭い。
でもその狭さの中に実用的な収納や、知恵が随所に見られ、外国人が使ってみると意外に便利だという。
日本のシステムキッチンの流しで使われているのは、ステンレスが多い。
それは高温多湿のため、水や火を使う場所は、湿気を防ぐために、使われた事から、ステンレスにあっという間に変わっていった。
ボタン1つで昇降する棚、水を出しても音や衝撃を吸収する流し台・・・
これでもかというくらい考えられたキッチン。
見学した2人は「クールだ」と絶賛していた。
外国は”火”を使うことを考えて作られているので、大理石等が使われている。
日本は”水”と”切る”という事を念頭に置かれているという教授の説明に、なるほどと納得してしまった。
★食器
一般家庭の台所を訪問したフランス人は、いろんな調理器具が台所に出ているのを見て、驚いていた。
調理器具も沢山あるし、食器はなんと訪問した家庭では様々な種類のものが350もあった。
外国と違って日本では、いろんな国の料理を「家庭で」作っている。
その作った料理の為に、食器があるというわけだ。
沢山の調理器具を使いながら作り上げた夕食は、実にバラエティに富んだ物だった。
中華風サラダ、グラタン、インゲンのごまあえ他など。
てきぱきといろんな調理器具を使う姿に、見学者のフランス人は驚いていた。
★和包丁
大阪の堺市は和包丁の産地で、日本ではほとんどの包丁はこの地で作られているという。
堺の鍛冶屋を訪ねたイスラエルのアナトは、実際に作られていく様をつぶさに見て、なぜ和包丁がよく切れるのかという事を実感したようだ。
彼女は「和包丁一本あれば、一生使える」と鍛冶屋さんに言われて、納得したようだった。
日本料理では実に様々な用途のための包丁が、作られている。
同じ用途の包丁でも薄刃にしたり・・・料理人が使いやすいようにといろいろ工夫する包丁職人の技と心意気みたいな物を感じた。
日本料理は仕込みが大切で、そのために調理器具も沢山ある。
ここまで「拘る」・・・というのは他国では例を見ないことなのか。
ノルウェーだったか北欧の人が、自国の料理の種類は10くらいで、よく切れるナイフといつも使う小さなナイフを使うだけで、よく切れる和包丁のような物はないと言っていた。
日本人と結婚した彼は、夫人が6~7本、値段の高い包丁を持っていると言い、実家におみやげとして和包丁をプレゼントしたとか。
その後、彼の実家ではよく切れる和包丁を使うようになったそうだ。
何を切るのも和包丁らしい。
確かに包丁は切れないとね。
私は父から包丁を研ぐための砥石を買ってもらい、包丁の研ぎ方を習った。
最低でも1ヶ月1回は研ぐようにといわれ、それを守っている。
切れ味が違うし、研ぐ暇がない時は、茶碗や湯のみの底を包丁をこするととっさの場合に良いと教えてくれた。
今回もそうだけど、いつの回も日本人の「こだわり」に感心する。
それは実用的な物であっても変わらない。
底にあるのは”美意識”なんだろうか。
自分の体の中にも、そんなDNAがあるんだろうか。
こうして外国人の眼から見ると、日本人って面白いなぁと思った。
後世に残るような芸術品じゃなくても、市井の職人のこだわりや技を惜しみなく出して作り上げる日用品の数々。
』
どちらも正当な意見のようですが。
日本人の持つ異常な「こだわり:拘り」
それを「日本人固有の美意識」と感じるのか、それとも過去の歴史からみる「日本人の性癖である浪費」とみるのか、それぞれのようです。
私自身は料理はしないのですが、時に家族が日本行きになると一人暮らしになり、玉子焼きくらいは作りますが、包丁一本というのはどうでしょう。
「包丁一本、さらしに巻いて、旅へ出るのも、板場の修業」
という藤島恒夫の歌がありましたが、やってみると小さいのと中くらいの2本は必要に思いますが。
板前さんならスチールになりますが、家庭ではステンレス包丁でしょう。
もし、魚を料理するなら、絶対に背の厚い魚包丁が必要ですから、3本は欲しくなります。
ステンレスでは心もとない。
大きな魚をやっつけようとすると、デバがいる。
必要に応じて包丁は増えていく。
まあ、家庭ではデバはいらないでしょう。
欧米人は魚を食べないとすれば2本で間に合うかもしれません。
もしかしたら1本で済むのかもしれない。
肉文化か魚文化かで、包丁の数は変わってくる。
ちなみに、包丁は私が研いでいます。
料理の出来不出来については関心はあまりありませんが、切れ味についてはうるさいです。
「切れる」ということに「こだわり」を持っています。
「切れない包丁は、包丁とはいわない」
サイトの余丁町散人(Le Mondeの抄訳をされた方)が言われるように、中華はアイアンシェフの陳健一の料理を見ているとあのデカイ中華包丁一本ですべてを済ましているようです。
中華包丁で刺身を作ろうと思ったら、これは包丁修行に時間がかかりそうです。
その修行時間を節約するために、道具に凝ってしまうのかもしれません。
その道具に凝れば、種々の料理が居ながらにして、家庭ででき、そして味わえることになる。
つまり、板前職人に頼らずとも、有名なレストランや名のある料亭に出向かなくても、高級とまではいかないが中級くらいの料理は自分で作れることになる。
なんでもそうですが、オペレーションの半分は「道具のよしあし」に依存します。
日曜大工は好きなのでよくやりますが、まずこれは道具に依存する。
いい道具、必要な道具がないと何もできない。
お手上げ。
料理ならなんとか何とかつじつまを合わせられるが、相手が木材・金属ともなるとそうはいかない。
ということは、「世界の料理」が道具に凝ることによって、素人もどきの腕しかなくても、「自分の手で作る」ことができ、味見することができる。
とすれば作ったものを、その料理用の食器に盛るのは当然のことになる。
日本ソバをラーメンドンブリで食べても美味くはない。
その分、お皿が増え、道具が増え、「凝りやこだわり」が激しくなるということになる。
でも、「見知らぬものを作る喜び」から、うれしさへとつながってくることは、ありうることである。
世界の料理が最低のレベルであっても「家庭で味わえる」こと、作れること、この意味は十分に大きいと思います。
「アイアンシェフ」が再放送を繰り返し、人気があるのは、確かにバトルの面白さもありますが、もしかしたら秘伝かもしれない世界の一流料理の作り方を、眼前に引き出してきているのではないか、と思うところにあると思います。
そして分かることは「秘伝」などない、素材は別にして、作り方さえうまければ、そこそこ「素人にもできそうだ」、という印象を与えることにあるのだろうと思っています。
そいう印象をもてば、見よう見真似で家庭で作ってみようということになる。
そこから未知への展望が開けてくる。
何もしなければ、何も生まれない。
モノがないというのは合理的かもしれないが、貧しさである、とは言える。
貧しいとは、「昨日も今日も明日も同じで済ます」ということになり、展望への道をふさいでいるということにもなりかねない。
「知らないものを知らないで済ます」ことも一理ですが、興味というのはあった方がいいと思います。
「知らないものを知ってみよう」というのは大切なことだと思います。
食器にこだわるのは、時間的に読めもしない本を買って、書棚に「積んどく」というのと同じ現象です。
男なら書籍、女なら食器、その差はない。
本なら知的、食器なら愚的といったものでもない。
ただ、食器は本に較べて確かにスペースをとりすぎる。
取り扱いが面倒である。
本を集めるのはそのうち読むだろう、使うだろうといった心理です。
読めないかもしれないが本は図書館の棚より自分の本箱にあった方がいいと思う。
「何時かは読める」「何時でも読める」という心の豊かさが必要です。
読みたい本は図書館で、というのは合理的ですが、それが手近かな図書館にあるとは限らないし、取り寄せてもらうと時間がかかるし、決して「すこぶる合理的」とはいえない。
手元に置けるなら置いておきたいと思うのは、本好きの習いです。
遠くの図書館から取り寄せ、手元に届いたときは読む気力が失せていたり、必要なくなったり、興味が別の方にいったりしていることはよくあることです。
もちろん、過剰な道具・食器というのはご免こうむりたいものです。
でも、少なければ合理的というのも考え物です。
適度というのはあっていいと思います。
「ドイツの家庭でも包丁は通常一本で済まし、お皿の種類の一種類」
肉料理だけなら確かに一本で済ませることはできるかもしれません。
でも、それでは料理の発展、大言壮語するなら「明日の文化」が見えてこない。
いつも、一本一皿で済ます料理になってしまう。
それだけの料理で事足りてしまう。
創造が生まれてこない。
料理など、昨日と同じものを食っていればそれで十分というなら別ですが。
もう一つ似たようなサイトがありましたのでちょっと長いですが、抜粋させていただきます。
『
★ ゲイ・サイエンス 2008年01月26日
http://blog.livedoor.jp/gayscience/archives/51175483.html
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NHKの『クールジャパン』で、日本伝統の「飾り包丁」の妙技が紹介されていた。
築地本願寺の板長さんが披露したのだが、この長島さんという板長は、この分野の第一人者だそうだ。
さて、いつものように日本在住の外国人たちが感想を述べたが、スペイン人の男性が興味深い批評を述べた。
曰く、
「野菜は飾っても飾らなくても、味は同じではないか。しかも実際に食べるわけではないから、野菜の飾りなんて、浪費ではないか」。
欧米流合理主義の典型である。
食に関して、この合理主義を突き詰めれば、最も合理的なのは動物であるということになる。
およそ「高度な食文化」とは、「過剰と浪費」であって、それを否定することは文化そのものの否定である。
すべての合理主義とは「還元主義」であって、野菜を桜の花びらの形に切らなくても、味や栄養価に変わりがないことは確かだ。
欧米的合理主義の論理で云えば、宇宙食やサプリメントこそ合理的であり、素材をそのまま必要な分だけ食べる牛はさらに合理的であろう。
どうりで、欧米料理は貧困なわけだ。
さて、その意味では「日本料理は浪費」であろう。
しかし、浪費にも良し悪しがあると思う。
日本的浪費とアメリカ的浪費である。
そもそも、浪費が可能であるためには、豊かでなければいけない。
過剰さ・豊かさのみが浪費されるのだ。
しかし、良い浪費とは、浪費される豊かさと、その目的が「価値生産的」な点にある。
長島さんが云っていたが、飾り包丁の目的とは、「もてなしの心」にあるそうだ。
つまり、浪費されるのは、もてなしの心という豊かさであり、その目的は野菜の飾りにその心を表現することである。
「もてなしの心とは、浪費である」
しかし、聖なる浪費である。
浪費が可能であるためには、豊かに溢れるもてなしの心がなければならないわけで、日本料理のもてなしは、この豊かさを前提にしているわけだ。
しかも、その心の豊かさは、高価なモノを通して表現されるのではなくて、大根や人参というありふれたモノを通して表現される。
ここがポイントである。
しかし、およそ人生で忘れられない行為のすべては、「過剰さの浪費」である。
母親の愛情や、仲間の友情や、犠牲的行動や、英雄的行動は、常にその過剰さ・豊かさが歴史を変えたり、人の心を打つわけで、最小限の「コストパフォーマンス」を重視する欧米的合理主義からは出てこない。
この世から浪費が消えれば、何の面白さもなくなるだろう。
およそ創造というものも出てこない。
浪費とは不合理であるが、人生の貴重な瞬間を支えているのは、じつは「不合理な浪費」である。
「モノは作られたもの」でありながら、私たちの心を感動させる「作るモノ」でもある。
「モノが表現」であることを知り抜いていたのが、日本人である。
大根は、もてなしの「心を表現できると信じる点」に、日本人のユニークさがある。
季節ごとの風流を、飾り包丁で表現するというのは、大根というありふれたモノに、作者の「魂を表現できると信じる点」がユニークなのだ。
たんに栄養価以上の表現として食事を作ることも不合理だし、「もてなしたい」という過剰も不合理である。
しかし、その過剰な不合理は豊かさからしか出てこない。
欧米的合理主義には、モノが表現的であるという思想が乏しい。
欧米人が、モノに心の表現を込めるとき、それは貨幣に還元されて価値を換算された場合だけである。
ダイヤモンド贈ることは、心の証である。
でもそれは、それが貨幣に換算されるとき、「高価だから」という合理的・還元的理由による。
しかし、大根という安価なモノを飾ることがもてなしの心になるのは、
「凡てのモノは表現的である」
という日本的伝統を抜きにしては理解できないだろう。
欧米と日本の中間点にあるアジア・アフリカ圏は、客人をなけなしの家畜をつぶして接待するが、ありふれたモノに接待の心を表現するのは、海外生活が長い小生にしても、日本ぐらいだろう。
心の豊かさの過剰さは不合理であり、それをモノで表現することも不合理である。
しかし、なんと豊かであることか。
『クールジャパン』のイスラエル女性が、「食の"美"に関しては、日本人に匹敵する民族はいない」と、ボソッと付け加えたが、そのへんをうまいこと直感している。
ちなみに、日本人には「もったいない」という言葉もある。
それはある種のモノの浪費が、いかなる精神的表現も生産しない場合のことを云う。
アメリカ的浪費である。モノが、たんに物として消費される文化・・・。
モノの浪費が、貨幣に換算された限りでの浪費。
俗な浪費である。
モノが、精神的表現であることができない浪費。
つまり使い捨て。
しかし、アメリカ人個人が、偏狭な合理主義という意味ではない。
アメリカ人は、ある面では日本人以上に不合理な善意の豊かさがあり、イラク戦争もその過剰な一面ではある。
いまどき、大義のために戦争にいける国は、アメリカぐらいだろう。
アニメのフィギュアーからデコ系の携帯電話に至るまで、「モノとここまで親しく表現的に接する」民族が他にいるだろうか?
聖なる浪費といえば、言い過ぎか?
モノをとことん表現的に見て、「こだわり」をとことんそこに「浪費する」。
』
「よみがえるがいい、アイアン・シェフ!」
は、「日本の文化発信」について語るとき、けっこういい素材です。
誰にでも分かる「料理のバトル」という特異性をもっているためでしょう。
そこから手繰っていくと、「エ!」といったいろいろな話題を提供してくれます。
話題を拾っていったらきりない。
なにしろ、再放送、再放送、連発の番組ですから。
やたらと長くなってしまいましたが、最後はお世話になっているWikipediaでしめます。
『
日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米の料理とはかなり異なっている。
同じ米食文化を共有する東アジアや東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる。
しかし、東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きなお皿に盛った料理を皆で取り分ける食べ方が多くみられ、日本では個人専用の食器を使い、個別におかずが出るお膳などで食事をとる、など違う点もある。
また、箸文化圏内で箸しか使わないのは日本だけとされる。(他地域では汁物や米を食べる時にレンゲやスプーンなどのすくうものを使うのが一般的である。)
ほかにも、箸を持っていない方の手で茶碗や皿などの食器を持つ、主食と副菜(ごはんとおかず)を明確に分け交互に食べる(いわゆる三角食べ)など、日本以外では見られない、ようなことも多い。
近年は低脂肪の日本食が評価され、全体で栄養バランスの取れた健康的な食事とも言われる。
外国から見ると、日本人が魚介類や卵を生で食べることは奇異に感じられることもある。
海草を食べることも、諸外国では少ないようである。
また、鍋料理のように、素材のまま出し、食べる人が自ら味付けや調理を行う料理法は、他の国にあまり例がないようである。
』
<おわり>
【Top Page】
【追記 中央日報 2009.01.29】
『
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=110629&servcode=A00%C2%A7code=A00
ニューヨークの和食レストランは小さな「日本文化院」
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米ニューヨークのタイムワーナーセンターの4階に位置する高級寿司店「MASA」。
「銀座スシ幸」のオーナーシェフ、高山雅さんが04年にオープンした同店は、大きな竹のすだれが店内のあちこちにかけられていて、壁には屏風が立てられているなど、完全に日本風であることから「寿司の寺院」というニックネームで呼ばれる。
料理は木器、陶磁器、ガラスの器など高級食器に盛られる。このように日本の文化を掲げたのが成功した秘訣(ひけつ)のひとつとされる。米経済誌フォーブスは06、07年に同店を全世界で最も高いレストランに選んだ。
1人=400ドル(約3万6000円)のディナーメニューもある。レストランに文化を加え「和食=高級」のイメージを植える現場だ。 「MASA」は全米ナンバーワンのレストランガイド「ザガットサーベイ」が選定した「ニューヨークベスト25」に入る和食レストラン7店のうちのひとつ。
ウナギ専門のシェフ、ヤスダ・ナオミチさんが運営する「寿司ヤスダ」は、ワインの代わりに4種類の日本のビールと6種類の日本酒だけを扱い、デザートもモチアイスクリームをサービスするなど和食博物館の役割を果たしている。
寿司専門店「ササブネ」は、調理室のそばに大きな生け花の作品を展示している。またアメリカ人が好むカリフォルニアロール(実は日本 ではなく米国で開発されたもの)や味付けしたマグロののり巻きは売らないという方針を決めている。シェフのマスヒサ・ノブユキさんがハリウッドスターのロ バート・デ・ニーロとマンハッタンで共同で運営する寿司店「NOBU」は日本の料理と文化が米国の主流社会の中に深く入り込んだことを示す。
米連邦政府の弁護士サイラス・ネジャードさん(33)は「最高のレストランで実習生に昼食をおごるのがニューヨークの大手ロー ファームの伝統だが、実習生だった02年の夏に行ったのがNOBUだ」とした後「大人気で非常に有名である上、優雅な和風だったので、そわそわしながら食 事をした」と話した。
フランス・パリのシャンゼリゼ通り付近にある回転寿司の店「ロ・スシ」を夕方に訪問してみると、20~40代の若い顧客で満席だった。テーブルに東洋系の顧客は見当たらなかった。ほぼ100%がフランス人のお客さんだった。
パリの心臓といわれるシャンゼリゼ通り付近とソルボンヌ大学(パリ大学の一部)がある大学街ラテン区にも、ここ数年間で新しい和食レストランが10店もオープンした。推算によると、現在パリには約550~600店の和食レストランが営業中だ。
パリ第1大学に通うノルベル・オーランジュさん(23)は「和食と和風のインテリア、陶磁器、装飾品に会える和食レストランはひとつの‘小さな日本文化院’と認識されている」と話した。
日本食レストラン海外普及推進機構(JRO)の茂木友三郎会長は最近、公式の席上で「日本の食文化は食材と調理法にとどまるものではなく、器と色感、建 築など日本の総合的な文化を反映している」とした上で「全世界の和食レストランは、外国人が多様な形で日本の食文化に接し、共有するための場所と時間を提 供する、日本文化のショールームだ」と述べた。
日本食を海外に普及すると同時に農産物と水産物の輸出を促すのが同機構の目標だ。そうした機構の会長が、日本食の海外への普及は日 本文化の普及にもつながるとコメントしたのは意味深長だ。同氏はしょう油などを主力製品とする食品メーカー・キッコーマン株式会社の会長でもある。
日本食と文化を同時に普及するという狙いがはっきりとわかる場所が、米ニューヨークで07年9月にオープンした「tokyo bar」だ。天井と壁に漫画が描かれ、店内にはアニメーション映画の主題歌が流れる。メニューはオムライスとたらこのパスタなど、すでに日本食に位置付け られた洋食や日本伝統の料理など多様だ。
日本の農林水産省の推算によると、海外で営業中の和食レストランは2万店を上回る。うち約1万店が密集する北米地域では、高級の和 風創作料理からトンカツ、たこ焼きに至るまでさまざまな日本食を提供している。それとともに、店内のインテリアから畳、器、壁を飾る浮世絵、書画、屏風、 着物姿の人形など日本の伝統と現代文化を海外に知らせる尖兵となっているのだ。
』
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