2008年10月7日火曜日
文化発信大国日本4:竜のひらめき
● 新日本様式:ホンダ・アシモ君:技術と高品質
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文化発信大国日本4:竜のひらめき
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電化製品を買うと、1年のワランテイ(品質保障)がついてくるのはどこでも同じ。
また、価格の十数パーセントから二十パーセントを支払うと2年保障に延長される。
もちろん、そんな保障には金は出さない。
故障には「初期不良」と「ランニング不良」がある。
初期不良は1年以内に出てくるもので、これに対する保障が1年のワランテイである。
ランニング不良は使用することによって発生する部品の老化現象が主なので3年以降とみていい。
通常は初期不良が出てしまえば2目から3年目にかけて故障はないものと見ても大きな間違いはない。
もし、そこで出てくるようなら、その製品は四六時中故障に悩まされる製品となり、不良品とみて差し支えない。
そういう製品は1年ワランテイで排除されているはずである。
初期不良は結構ある。
「髪に優しい柔らかい風が出てくるドライヤー」の売り出しがあったので購入した。
数ヶ月でヒーター部分から火が出て、バチーンという音とともに焼き切れた。
日本では考えられないことが起こる。
それが普通の生活。
日本が大幅に違いすぎるのだ。
製品保証書というのはない。
領収書をもっていけば販売店で処理してくれる。
日本なら、同じ製品を製造元から取り寄せてくれる。
もし、ささいな故障なら、販売店を通じてメーカーに修理を依頼することになる。
ここではそうはいかない。
販売店は「ただ売るだけ」
何しろ、電化製品だとアメリカ、日本、韓国、その他のその時期輸入された品物を店に並べて売るだけ。
数カ月前のストックなどもっていない。
同様にメーカーとの関係ももっていない。
商社あるいは、輸入業者までしかコンタクトはとれない。
メーカーはすべて海の向こう。
同じ製品との交換など、絶対に不可能。
同じようにメーカーへの修理依頼も絶対に不可能。
ただ、店にある同じ値段のものと交換するだけ。
それが「1年ワランテイ」の仕組み。
もちろん、ピッタリ値段が一致する製品などありはしないし、あってもデザインあるいは仕様が気にいらないということもある。
よって、値段の違う別のものを選ぶことになる。
選んだものが安ければ、差分の金額がバックされるかと思うのだが、これはできない。
ユーザーの損。
高いものを選んだら、当然その分費用負担になる。
これもユーザーの負け。
「髪に優しいドライヤー」は普通のドライヤーに変わってしまった。
ところが、このドライヤーまた1年たたずに動かなくなってしまった。
頭にきたのだが、ついていないときはついていない。
今度はその領収書が見つからない。
あきらめて、Kマートで安物のドライヤーを買ってきた。
もう1年を過ぎているが、これは故障していない。
いやになってくる。
なを、ワランテイを過ぎたものが故障したらどうなるか。
「ここで買ったのですが」と領収書を持っていっても相手にしてくれない。
「修理は承っておりません」というのが答え。
販売店とは販売するだけの店、修理の取次ぎ所ではない。
ではどうするか。
「じかに修理屋さんにもっていってください」と言われる。
修理屋の住所と電話番号を書いてもらって、地図をたよりに修理屋を探すことになる。
よって、販売店には消費者の意見のフィードバックはないことになる。
なぜなら、売っているものは外国製品が主なのだから。
先日、冷蔵庫が故障した。
前に乾燥機を修理してもらったことがあるので、白物専門の修理屋を知っていた。
電話をしたら翌日の夕方来てくれた。
修理してもらったが、でもすぐにまた冷蔵庫が動かなくなってしまった。
どうも部品がイカレたらしい。
GEの製品で部品を取り寄せて、最終的に直るのに、なんと2カ月もかかった。
その間、代替で小さな冷蔵庫を置いていってくれたが、これがこの国のメーカーが作ったとんでもないシロモノ。
霜がビッシリとからみつき、2週間おきくらいに、いったん止めて霜取りをしないといけない。
面倒なので冷凍庫は使わないことにしたが、その凍った部分が下の冷蔵庫にも広がり、まったく作動しなくなってしまった。
一度、電源を切って、乾燥させてから再使用になった。
修理期間の2カ月は、この代用品の動きをヒヤヒヤ眺めながら、じっとガマンの子であった。
こういう社会に住んでいると、品質なんてものは「縁遠く」なる。
「がまん、がまん」と「ノー・プロブレム:問題ない」、それが口癖。
なるようにしかならない社会。
でも、日本では品質ということに、神経質すぎるほど気を使う。
それが「maide in Japan」という日本製品のブランド名を生んだ。
『
★ 新日本様式協議会 福川伸次 座長
http://w3.bs-i.co.jp/globalnavi/bigname/061223.html
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「made in Japan」はかつて大変なブランド力があった。
しかし、それも昔話になりつつあるようだ。
中国ブランドや韓国ブランドも、単に価格が安いだけでなく、機能やデザインなどでも力を付け始めている。
中国・北京の家電量販店で携帯電話売り場を覗くと、人気を集めているのはサムスンやノキア。
日本製品について来店客に聞くと「あまり良く知らない」「価格が高い」「韓国製のものよりデザイン性が乏しい」等々、どうも評価が低い。
日本国内では、メイド・イン・ジャパンこそ高機能でデザインが良いと多くの人が信じているのだから、かなり温度差があると言わねばならない。
こうした状況への危機感を背景に立ち上がったプロジェクトがある。
それが「新日本様式協議会」。
これは日本ならではの商品を選定し海外に積極的に紹介していくという「メイド・イン・ジャパン再生プロジェクト」で、新日本様式として認定を受けた商品には「Jマーク」が与えられる。
この協議会を取り仕切っているのが福川伸次座長。
大平内閣の総理秘書官や通産事務次官を歴任。
更に神戸製鋼副会長、電通総研研究所所長を経て今は機械産業記念事業財団の会長を務めている。
2006年、第一回の新日本様式に選ばれた商品は「53点」。
その中には薄型大画面テレビ「ビエラ」や加熱水蒸気による健康調理器「ヘルシオ」、日本が開発した世界食「カップヌードル」、更には季節毎に色を変え四季の移ろいを楽しむ太宰府天満宮のおみくじが選ばれた。
選ばれた商品に共通するコンセプトは「日本人の和の心」だ。
こうした「感性を製品に繋げる工夫が足りない」のではないか、というのが福川座長の考えだ。
Jマークを勝ち取った商品には、日本が誇る「匠の業」が生きているモノもある。
例えばキャノンの「イクシー・デジタル80」のデザインは日本刀をイメージしているが、それをそのまま製品に仕上げるには非常に高度な加工技術が必要だ。
海外ではなかなか作ることが出来ないまさに日本の技術とデザイン力が生んだ商品と言える。
● 新日本様式116選:キャノン・IXY
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また、インテリア好きから支持を集めるブランド、プラマイゼロ社も注目を集めている。
今回、同社の「プラスマイナスゼロ」シリーズが新日本様式に選ばれたが、ブラウン管を模したデザインの液晶テレビやドーナツ型の加湿器など個性的なデザインが高く評価された。
「日本の強さは日本であること」。
お隣の韓国では韓国カルチャー・アイデンティティに力を入れ、映画などで韓国文化の再認識をしている。
日本人も本来歌舞伎や着物など伝統的な文化を持ちながら、今の日本人はすっかりその心を忘れてしまっている。
経済中心できた日本が取り戻すべきは、こうした感性なのではないか。
イギリスはここ数年、「クールブリタニカ」という標語を掲げ、経済成長の柱としてミュージカルを始めとするコンテンツビジネスに注力。
ハードからソフトへシフトし、14年連続のプラス成長を達成している。
こうしたイギリスの国家戦略に日本も見習うべき点があるのではないか。
そして、そのとき問われるのは「日本ならではの力」。
福川座長はこれを「ジャパナビリティ(Japan+ability)」と名付けていた。
最後に福川座長に新日本様式のキーワードを挙げてもらった。
それが『融知創新』。
知識を合わせて新しいモノを作っていくという意味で、まさに今回のプロジェクトを表す言葉だ。
「日本人が本来持っている感性」を生かしたものづくりに「メイド・イン・ジャパン」の活路がありそうだ。
』
「made in Japan」とは「いにしえのブランド」だという。
「価格から品質へ」という時代にはブランド力があった。
しかし、世界のどこで作っても、そこそこ一定の品質が保障される今日では、このブランド力にかげりが見えている、ということのようである。
なら「made in Japan」を新たなブランド力にするには、どうすべきなのか。
『コンセプトは「日本人の和の心」』という。
「和の心」とは。
こういう表現は、分かったようでまるで中身が見えてこないもの。
ちょうど、禅問答。
具体性にまるで欠ける。
人を迷わす。
日本人同士ならいいかもしれないが、世界がからむとき「最悪の言葉」になる。
異文化相手には絶対に「使ってはいけない言葉」。
分かりやすいのは、
『日本が誇る「匠の業」』
『日本人が本来持っている感性』。
つまるところ、「こだわり」「凝り性」「のめり込み」。
前稿で朝鮮日報は
『日本企業が「伝統的に得意」だったのは「高品質戦略」だ。それがまさに「品格」だ』
といっているが、高品質が品格たりうるだろか。
品質であるかぎり、「世界どこで作っても高品質」になりうるはずである。
高品質とは品格の基本条件に過ぎない。
なら「品格」とはなにか。
イメージでいくなら「天かける竜のひらめき」、とはなにかになる。
この言葉、「日本人の和の心」と同じくらい、なにを言っているのかサッパリわからない。
当たり前のこと、マンガに出てくるもの。
強いて言えば、「こだわってこだわってこだわって」乾いた雑巾から絞り出してくる一滴の創造力。
ちょっと、長くなりますが、サイトを援用させていただきます。
このサイトはひじょうによくまとまっており、かつ分かりやすいです。
全文コピーさせてもらいます。
『
★ MACS 毎日新聞社広告局 本格化する日本ブランド戦略
http://macs.mainichi.co.jp/space/no355/03.html
●重要になる国際社会における日本ブランド
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近年、日本ブランド確立の必要性を問う声が大きくなってきている。
「日本」というブラン ドは国際社会において産業だけでなく外交や人々の交流など、実に様々な場面に影響を及ぼす。
そのため日本ブランドを確立し、その価 値を高めることにより人、物、金、情報といった資源を自国に有利に誘引すること、国際社会における日本の需要を高めることは大きな 意味があると言えるだろう。
なぜ今になりそのようなことが言われるようになったのだろうか。
一つは「国際関係に寄与 したい」ということが挙げられる。
日本のアイデンティティー、価値観を国際社会に効率よく伝え、より良い関係を築く手段にしようというのである。
もう一つは産業における「新たなメイド・イン・ジャパンの付加価値の必要性」である。
グローバ ル化の波が押し寄せる中、日本は今まで低価格高品質を実現することで国際競争力を発揮してきた。
しかし、近年中国を始めとする アジア圏の急激なキャッチアップによりその優位性は失われつつあり、日本の産業構造は大きな転換期を迎えているのである。
日本ブラン ドを確立することにより、新しい付加価値を武器に日本産業の差別化を行い国際競争力の維持、拡大を図ろうというのである。
●各国にて行われる国家ブランディング
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このような国家ブランド確立の動きは今に 始まったことではない。
イギリスでは1997年に、ブレア政権下で「クールブリタニカ」というキャッチフレーズの もと文化政策による国家ブランド戦略が行われている。
当時のイギリスを覆っていた「老大国、老朽化、衰退、失業、退屈」などといったネガティブなイメージを払拭し、イギリス産業、社会の活性化を実現するために、国家ブランド戦略を開始したのである。
では実際に何をしたのだろうか。
この国家ブランド戦略ではイギリスの「格好よさ、新しさ、若々しさ」などといった新しい国家イメー ジを伝えるために、それらの文化を生み出している産業として「クリエイティブ産業という概念」を作り、最重要産業として育成した。
ここで言うクリエーティブ産業とは具体的にはデザイン、音楽、建築、ファッション、映画、演劇、アート、工業ソフトウェア、コンピューターゲーム、 テレビ、ラジオ、広告、出版のことである。
これらの産業を世界に輸出し、イギリスブランドを強めることを図ったのである。
そのために政府は官民様々な有識者からなる「クリエーティブ産業タスクフォース」を組織し、国家ブランド戦略を策定し、「クリエーティブ輸出グル ープ」「デザインパートナーズ」「文化遺産、観光グループ」「舞台芸術国際展開グループ」と、各分野ごとに専門グループを立ち上げ、ター ゲット市場を選定し、官民が一丸となって戦略的に海外展開を後押ししたのである。
その結果、イギリスの芸術文化、ポップカル チャーなどが注目されるようになり、「クール」な国としての世界的評価は高まった。
それに より企業進出やイギリス製品の世界市場のシェア拡大に成功し、また当時注力された観光施設や文化施設は新たな名所となり観光客誘致に繋がったのである。
韓国では1998年、金大中大統領が21世紀国家基幹産業として文化産業を育成するとの「文化大統領宣言」を行い、コンテンツ産業発展に向けた法や支援体制の整備が急速に進展している。
ゲーム、アニメ、音楽、キャラクター、映画の5分野に対し優先して支援した結果、1997年には約50万ドルであった映画輸出量が2004年には約6,000万ドルという爆発的な成長をみせている。
また今や世界のオンラインゲーム市場の「4割」を韓国が占めるに至っているのである。
日本において「冬のソナタ」を始め、 矢継ぎ早にドラマや映画、音楽などのコンテンツが供給され、韓国語を習う人や韓国旅行者が急増し文化交流にまで発展した「韓流ブーム」が巻き起こった背景には、国家支援と いう強力な後押しがあったのである。
●注目される「クール」な日本
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近年日本は若者を中心に世界から「クール=かっこいい」と見られるようになってきている。
これは官主導の国家戦略によるものではなく、個々の企業や産業のボトムアップによるものである。
その中核を担っているのがコンテンツ、中でもマンガやアニメ、ゲームなどの「ポップカルチャー」という「大衆文化」である。
この日本のポップカルチャーが世界で「クール」として広まっているのである。
今や世界で「マンガ」と言えば日本のマンガを指し、「アニメ」と言えば日本のアニメを指す言葉として世界共通語とまでなっている。
経済産業省によると世界のテレビアニメの6割が日本製であり、アメリカにおける日本アニメ関連市場は2004年には48.4億ドルに達したという。
フランスにおいては、フランス人の企画による日本のポップカルチャーを紹介する「ジャパンエキスポ」が、7回目の昨年は過去最高の6万人もの人を3日間で集客した。
また、マンガのキャラクターのような髪型を実現するヘアスタイリング剤が発売され、ユーザー向けにマンガの聖地東京1週間の旅プレゼントキャ ンペーンまで行っているというから驚きである。
ポップカルチャーは欧米だけでなくアジア圏においても浸透している。
現在の「日本のポップカルチャーの浸透」には 目を見張るものがある。
「ポップカルチャー」は多くのコンテンツを持つ文化であるがゆえに 大きな影響力、伝播力を持っており、また「ライフスタイルなどの文化的要素と結びつきやすい」。
「クール」という概念は、ポップカルチャ ーを中心に幅広いジャンルに急速に広がっているのである。
日本の食事やファッション、音楽、ライフスタイルにとどまらず、日本そのものが「クール」であると見なされるまでになってき ているのだ。
今はまだ特定セグメントにおいてではあるが、ここには日本企業にとって非常 に大きなビジネスチャンスが存在していると言えるだろう。
台湾やタイなどにおいては、商品名などに日本語を入れていると売上が伸びるという。
文化を通して日本が「クール」であるという 付加価値がついたことにより、消費者自らが日本の「モノを差別化」してくれるのである。
実際にポップカルチャーを活用したマーケ ティング戦略も行われだしている。
昨年11月にオープンした「UNIQLO Soho NY 」である。
このオープン最大の目玉商品は「Japanese P o p C u l t u r e P r o j e c t 」と銘打たれた、日本を代表する34名のアーティストが参加した「Tシャツプロジェクト」である。
今の東京をテーマに自由な発想でデザインしたものであり、アニメキャラクターなど様々な「クール」なデザインを展開している。
また、ロゴも従来の英語表記だけでなく、カタカナ表記も採用し、日本のブランドを強くイメージさせるものになっている。
会長の柳井正氏は「NY店では服を売りたいのではなく、文化を売りたい」と述べていると言う。
従来の低価格高品質だけではなく「日本文化による差別化」を行おうというのである。
これらのポップカルチャーの世界的な広がりを受け、2004年に政府が発表した「コンテンツ・ビジネス振興政策」においては、コンテンツビジネス振興を国家戦略の柱とすると述べられている。
また昨年の経済産業省の「グローバル経済戦略」においても日本ブランドを発信していくためにコンテンツ産業の国際展開の必要性を説いている。
ポップカルチャーを中心に世界に 広まりつつある「クール」という日本の新しい文化の魅力を国家ブランディングの柱にしようとする、国家としての動きも本格化してきていると言えるだろう。
●「新日本様式」という新たな試み
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昨年には「クール」とは「異なる日本ブランド」 確立への動きも、経済産業省の呼びかけにより始まっている。
それが「新日本様式」協議会である。
協議会自体は「3年」の期限付きのものであるが、オブザーバーとして経済産業省に加え、外務省、国土交通省、文化庁が参加するということからも力の入ったものであることがわかるだろう。
この「新日本様式」協議会は新たな日本ブランドを確立するために、日本の伝統文化をもとに、今日的なデザインや機能を取り入れて、現代の生活にふさわしいように再提言しようというものだという。
つまり、日本の持つ先端技術と伝統文化が持つ日本らしさを融合させ、「新たな日本の価値観を世界に発信」しようというのだ。
そのために協議会は、イメー ジに合う製品やコンテンツ「100選」の選定、大学や大学院での「新日本様式」の講座開講、海外へのPRなど28の多様な行動プログラムを組んでいる。
現在選定されている100選の例を挙げればプリウスや、アクオス、刺しても痛くない注射器、ロールスクリーンの竹スダレなど実に多岐に渡る。
これらは一貫した技術やデザインはないが、一貫した日本らしさ
「たくみのこころ」
「もてなしのこころ」
「ふるまいのこころ」
というアイデンティティーを持っているのだという。
これらの日本の伝統文化が持つアイデンティティーをもとに日本自体をブランディングしようというのである。
伝統文化を柱にした国家ブランド戦略も、新しい「クール」な文化を柱とした国家ブランド戦略も、方向性こそ違うが「日本文化」を新たな付加価値にしようとする点では同じである。
これらの「日本文化」によるブランド戦略は始まったばかりであるが、成功すれば、「日本らしさ」をマーケティングに積極的に取り入れることが、日本企業が世界市場で成功 するための必須条件になるかも知れない。
』
つまりこういうことだ、『品格とは日本文化による差別化』のことである。
「グローバルから差別化へ」、これがキーワード。
クール・ジャパンはグローバル化だと思うが、その反対の差別化が「新日本様式」ということになる。
そして重要なことは、「差別化できる切り口」を日本文化がもっている、ということであろう。
問題は日本文化で差別化したものが、ブランド名までに高められるほどの魅力あるパワーを内在しているか、いうことであろう。
日本は「成長した社会」である。
分かりやすくは「経済成長した社会」と言っていいだろう。
成長のつぎにくるものは成熟である。
「成熟し安定した文化」の発信を求められている社会である。
それが、「成長に飽きてきた世界」に受け入れられた。
尽きせぬ成長を疑問視する世界に、
成長の自転車操業に疲れた世界に、
そして「ちょっと止まって、身の回りを少し豊かにしてみよう」という世界に
受け入れられた。
成長の後に潜むものはなにかを模索するこれから「成長しようという世界」にも受け入れられた。
それがクール・ジャパンである。
高いレベルで「経済成長をやめた文化」が、クール・ジャパンである。
時代を先取りする「若者文化」として発信された。
他人の文化を買えない貧しさが、この大衆文化を生み出したという。
その「貧しさをいかにクールに」(魅力的にカッコよく、そして冷ややかに)見せるか、それがクール・ジャパンであるという。
次に、老人が発信しようとしている。
「ジャパネスク」
どう考えても大衆的に受け入れられそうにないネーミングである。
でも老人に好まれそうな響きをもっている。
ちょっと高尚におつに澄ました知的な老人の自己満足に迎合したネーミングといっていい。
クールとは反対に、「豊かさを目一杯」詰め込もうとしている。
華やかさが感じられる。
それを名づけて、「品格」という。
「和のこころ」
ここまで、あからさまに「自己陶酔した表現」もめずらしい。
分かっているのは発信しているものだけ。
受信しているものは、なんのことやらわからない。
もしかしたら、発信者自身も分からないのかもしれないが。
でもその発信の根底にあるものはクールもジャパネスクも変わらない。
言い換えると、日本人のこだわり、凝り性、のめりこみ。
どのように貧しさにこだわり、どのように華やかさにこだわるのか。
それが、『竜のひらめき』ということになるのであろう。
● 新日本様式116選:N700系新幹線
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朝鮮日報は記事をこのように締めています。
『
★ 刀を置き、花を手にしたサムライたち 「21世紀ネオ・ジャパネスク」大解剖)
http://www.chosunonline.com/article/20080525000026
◆あんパンから「アンパンマン」を生み出す国
京都は、街全体が豊かな歴史コンテンツにあふれる「大河小説」のようなところだ。
文化財一つ、建築物一つにも味のあるストーリーが添えられ、その魅力を最大限生かしている。
京都での取材の合間に、「哲学の道」という観光コースに立ち寄った。
ただ、その名前に魅かれて行ってみたのだが、素朴で風情のある小さな散歩コースだった。
著名な哲学者の散歩道だったということで、そうした名前がついたそうだ。
だが、「哲学の道」でなかったら、スケジュールに追われている旅行者たちがわざわざ時間を割いて立ち寄るだろうか。
日本人はストーリーを発掘し、魅力的に見せる天才だ。
日本の大衆文化はなぜ強いのだろうか。
取材の間ずっと抱いていた根本的な疑問は、京都精華大学の牧野圭一マンガ学部長に会ったとき、解けた。
牧野学部長の説明は簡単で明確だった。
日本は「唯一神社会でない」ため、自由な発想が可能で、
マンガ・キャラクター・ゲームといった大衆文化が豊かになったというのだ。
「
日本はあらゆる事物に神がいるという“やおよろずの神”の国です。
石にも、木にも、川にも、水にも神がいると信じています。
森羅万象に人格と生命を吹き込み、自由自在に擬人化します。
だから、あらゆるキャラクターが生まれます。
それにより「大衆文化のストーリー」が豊かになるのです
」
』
「唯一神社会」とは、「神が創りし世界」。
よって、常に「神の御心」という枠組みをもっている。
そこから抜け出ることは、被造物である人間には絶対にできない、というテーゼが厳として控えている。
人は無意識の中で、いつも神の顔色をうかがいながら行動することに慣らされた世界に住んでいる。
言い換えれば、「神の籠の鳥」
自ら井に入ったカワズ。
『天とは、身近にありながらも知りえない世界、を仮想する概念』
モノの数だけ世界があるのが、ニッポン。
アンパンにはアンパンマンの世界が、そしてなんと「バイキンマン」の世界もある。
「バイキンマンの世界?」
唯一神社会ならあってはならない世界、滅ぼさないといけない世界、共存してはならない世界。
それが大手を振ってまかり通る社会。
ちなみに作者はクリスチャンだという。
その「無限数社会」の総称を「天」という。
「神の意思」は善悪にもとづいている。
天は意思を持たない。
よって善悪はない。
善にするか、悪にするかは「人の意思」による。
神が「創ったモノや社会」ではなく、人が「創っていくモノや社会」。
すでに創られているモノを伝統とするなら、それを創り超えていくモノ。
そこを「翔る、竜のひらめき」とは、その乗り越えていく切り口になる。
言わんとしていることは、そういうことのようだが(竜のひらめきは勝手につけただけ)。
確かに、「大衆文化のストーリー」が豊かになるはずではあるのだが。
<つづく>
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