2008年10月17日金曜日

ウラン2:今世紀いっぱいのエネルギー

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ウラン2:今世紀いっぱいのエネルギー
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 石油枯渇と天然ガスをやっているとき、意識的に触れないでおいたものがあります。
 「地球温暖化」の問題です。
 いま最も話題になっているテーマなのですが、これをからめると化石燃料の問題、すなわちエネルギー問題が環境問題にすり替わってしまうため、蓋をして見ないようにしました。

 「ウラン」をやるときも同じものがあります。
 「安全性」です。
 原子力発電の問題は常にこのテーマに集約されてきます。
 危険なものであることは重々分かっているが、ここではあまり深くふれずに「エネルギーとしてのウラン」にのみ焦点を当てて見ていきたいと思います。

 なをあらかじめお断りしておくことは、石油や天然ガスは一般人でもアウトラインを理解することはさほど難しくありません。
 しかし、原子力となると非常に専門的・技術的になり、素人の先走り論理は大きな間違いを生ずる可能性が問題となってきます。
 ここでやっていることはサイトのデータを検索して、それを基本知識として整理することです。
 それ以上のことができる専門的知識を持っているわけではありません。

 サイトの内容あるいはデータ本体が正しいか誤っているかどうかは残念ながら、素人ではどうにも判断がつきかねます。
 ただ、収集したデータを使って、現時点で可能性のあるであろうものを抜き出し、とりあえず納得できる形にピースをはめ込んでいくだけのことしかできません。
 素人の骨董無形な飛躍の論理になるかもしれませんが、可するか非とするかは読まれる方の自由です。

 「無知な」ということに終わってもいいと思っています。
 とりあえず、大学生のレポートぐらいになっていれば「よし」としています。


①.石油と較べて付加価値がない
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 Wikipediaで「石油製品」「合成樹脂」などを検索すると、いやになるほどの製品が出てくる。
 つまり石油とはエネルギーであるまえに、「原材料、素材」なのです。
 机の周りを見渡してみても、現在この文章を打ち込んでいるキーボードそれにマウス、スピーカー、モデムなど、CDのプラスチクケース、買い物へいけば品物を入れてくれるビニール袋など、数え切れないほどです。

 しかし、これは石油があまりに万能でありすぎるということで、他のエネルギーの能力が低いということでははありません。
 実際、「天然ガス製品」をWikipedia調べてみても、エネルギー製品を除けば合成製品など出てきません。

 重要なことは『いかに石油が優れているか』ということなのです。
 このことを深く認識しなければいけない、ということです。

 石油だけが「例外中の例外」なのです。

 あまりにも「石油は万能選手でありすぎる」ということです。
 野球選手にして、スキーのプロ、そして水泳の選手とオールラウンダーなのです。
 でも、そんな選手がちまたにごろごろ転がっているわけではないのです。

 ところが、そういう石油を普段見慣れてしまうと、それが当たり前のように思えて、他のモノにも相応の期待をしはじめてしまうという間違いを、人間がおかしはじめているということなのです。

 そして、そのようなまちがいの典型的な例が「原子力」なのです。

 天然ガスも同じです。
 これは、つまり空気です。
 「天然ガス合成製品」なるものもありえない。
 せいぜいの「擬似ガソリン」を作るぐらいなもの。
 エネルギーとしての利用しかできていない。
 そして、期待されているメタンハイドレードも天然ガスなのです。

 石炭も同じです。
 「石炭合成製品」なるものはありえない。
 石炭は「石ころ」で、エネルギーとしての
擬似オイル、擬似ガソリンを作る程度。
 これからみてもわかるように、いかに「石油が偉大か」ということです。
 その「偉大な原料」を、湯水のように燃やし続けているのが、昨今の世界。
 だからこそ、偉大な文化文明、経済成長が可能になった、ということでもある。

 人はそれを「当たり前のこと」に思ってしまっているということである。
 石油と比較して、他のものを「無能」というのは間違いなのです。

 では、なぜ石油だけが「偉大」なのか。

 なぜ、石油だけがマルチプレイヤーなのか。
 説は多々ありますが、今の時点では次のものが説得力があります。
 石油とは「海洋生物の堆積物」である、ということ。
 つまり、石油とは海の生物の死骸等が長い間に地球の変動を受けて変化したものだということ。

 残念なことに「地上生物の死骸」は堆積しない。
 他の動物のエサになるか、太陽の熱を受けて干からびるか、あるいは腐るかしてしまうからです。

 「地上植物の堆積」は可能である。
 それが石に変わり、植物からとれる「炭の性質」を担って、石炭になったといわれています。

 よって、石油の出るところとは昔、海であった可能性が高いということになる。

 「生命の起源」は海にあり、海から陸に上がっていったという。
 石油はその「生命のエッセンス」を受け継いだもの。
 ゆえに、石油はおのずとマルチプレイヤーのエッセンスを内蔵していると言われているわけです。


②.発電用に使われるだけのものである
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 「原子力は発電以外何の役にも立たない」代物なのです。

 それが、原子力なのです。
 原子力は軍事的利用を除いて「電気を起こすこと」それ以外の仕事は請け負っていないのです。
 電気を使ってどうするかは、人様が考えることであって原子力が考えることではない。
 それ以外を期待する方が間違っている。

 なんでもかんでもできると錯覚しているのは、錯覚している人の無知に由来している。
 しかし、間違いなく電気を起こすことはできる。
 大いなる仕事が一つできることでも、優れ資源であるといえる。
 二つも、三つもできなくていい、一つだけで十分に価値がある。

 アシモ君を動かすこともできるし、インターネット網をオペレートできるのです。
 新幹線を走らせ、海水を淡水化できるのです。
 食糧を実らせ、その種子を未来に引き継ぐことを可能にしているのです。
 遺伝子を保持し、動物の種の保存すらも可能にしているのです。

 過剰な期待をすべきシロモノではないのですが、必要な役割は思う以上にこなしているのです。


③.自然資源エネルギーであり、枯渇が見えている
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 人類が使用している世界の大規模エネルギーは下記の4つです。
  ①.石炭
  ②.石油
  ③.天然ガス
  ④.原子力

 石炭は可採可能埋蔵量で最低で「200年」といわれていますので、いまのところ無尽蔵という表現でいいと思います。
 石油は先に述べましたが「約70年」、天然ガスは「約100年」という発表です。

 なを、2007年の「BP統計」では「石炭147年」「石油41年」「天然ガス63年」となっており、統計のとり方によって違って、えらく大幅なちがいが出てくる。


 Wikipediaを見てみる。

 可採埋蔵量(かさいまいぞうりょう)は、地下に存在する原油や天然ガスなどといった地下資源の埋蔵量のうち、技術的・経済的に掘り出す事ができる埋蔵量のこと。

 油田、ガス田に存在する地下資源の総量は「原始埋蔵量」といい、可採埋蔵量がゼロになったからといって地下資源が採掘されつくしたことにはならない。
 すなわち技術力の向上や産出物の価格上昇に伴って技術的・経済的に採掘が可能になる資源が増加することで、可採埋蔵量は増加する。
 さらには単純に新たな油田、ガス田などが発見される事で、原始埋蔵量も増加の可能性がある。

 「可採埋蔵量」は、回収の確実性によって高い順に「確認埋蔵量(または確定埋蔵量)(proven reserves)」、「推定埋蔵量(probable reserves)」、「予想埋蔵量(possible reserves)」に区分される。

 確認埋蔵量をその年の生産量で割った数字が「可採年数(reserves/production ratio)」である。

 可採年数=確認埋蔵量/年間需要

 主な地下資源の可採年数は、石油が41年、石炭が147年、天然ガスが63年、ウランが85年とされている。



 グラフで見ることができます。

★ IAE 財団法人 エネルギー総合工学研究所
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data1008.html

 世界のエネルギー資源埋蔵量(2007.06.05)

●石油、天然ガス、ウラン等は、資源量に限りがある。
●石油、天然ガスは埋蔵地域に偏りがある。

 解説:
 石炭の可採年数が100年以上であるのに対して、石油、天然ガス、ウラン等のエネルギー資源の可採年数が数十年となっており、このままの利用を続けていれば21世紀中に資源が不足し、利用できなくなる可能性があるとの説もあります。
 ただし、資源開発努力により、もっと資源を入手できるとの説もあります。

 石炭も資源量には余裕がありますが、地球温暖化の問題があり、適切な利用を考えなければいけません。
 石油、天然ガスは埋蔵地域に偏りがあり、これらを輸入に頼る日本にとっては不利な条件となっています。



 内閣府原子力委員会(Japan Atomic Energy Commission)のホームページから。


★ 核燃料はどのくらい埋蔵量があるのですか:学生、男性
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/qa/iken/iken-q78.htm

○ご質問の内容:
──────────────
 化石燃料はCO2の排出とともに、より重大な問題は資源の有限性です。
 原子力はCO2の排出が発電の際、火力発電より少ないことは長所ですが、資源としてはやはり有限です。

 選択肢としては
 1].有限な原子力を利用可能な時期まで利用する。
 2].高速増殖炉を再運転・増築する。
でしょう。

 が、高速増殖炉は現在行き詰まっているようです。

 1]を選択するとなると問題になってくるのは資源としての期間です。
 なので埋蔵量がどのくらいあるのかということ、それから何年くらい運転可能なのかシュミレーションがあれば知りたいです。

○回 答: 
──────────────
 ご質問の「ウラン資源量がどれくらいあるのか、それが何年程度需要を満たしうるのか」ということにつきましては、最新の知見の1つであるOECD/NEA&IAEAの”Uranium 2003”(2004)によると、以下のとおりとされています。

 在来型既知資源量は「約460万トン(459万トン)」です。
 これは「2002年推定世界需要量」の「約85年分」に相当します。

 これに未発見資源量を加えると、「約1,440万トン」で、これは2002年の「推定世界需要量」の「約270年分」に相当します。


[注1]
 「推定世界需要量」とは
 発電電力量10億kWh当たりの天然ウラン必要量について20.7万トンに基づき推定
(ワンススルーの場合。出展:”Trends in the Nuclear Fuel Cycle”(OECD/NEA(2002)))

[注2]
 在来型既知資源量= 確認資源量+(推定追加資源-区分1の量)
 未発見資源量  = (推定追加資源量-区分2の量)+(期待資源量)

a). 確認資源:
  その大きさ、品位及び形状が明らかになった既知の鉱床中に存在するウラン資源

b).(推定追加資源-区分1):
  主に直接の地質学的事実に基づいて、よく探鉱された鉱床の拡張部か、地質学的連続性は明らかになっているが、鉱床の拡がり、鉱床の特性に関する知見などの特定データが確認資源として分類するには不十分な鉱床中に存在すると推定されるもの

c).(推定追加資源-区分2):
  主に間接的な事実に基づき、よく解明された地質トレンド中あるいは既知鉱床に伴う鉱化作用が認められる地域に期待されるウラン資源

d). 期待資源:
  主に間接的事実や地質学的外挿に基づき、既存の探鉱技術により発見可能な鉱床中に存在すると考えられているもの


 なを、より新しい「Uranium 2005」によれば「474万トン」となっています。
 15万トンほど増えていますので、可採年数も「88年」ほどになります。

 ということは、最新統計の石油の「約70年」、天然ガスの「約100年」の中間あたりということになります。
 統計のとり方で違いが出てきますし、まして未来のこととで断言できることはありませんが、いまのところ推測できることは、「今世紀いっぱいはウランはある」、ということになります。

 逆にいいますと「今世紀いっぱいのエネルギー」だということです。

 上の原子力委員会の回答でハテナマークがつくのが、
「これに未発見資源量を加えると、「約1,440万トン」で、これは2002年の「推定世界需要量」の「約270年分に相当します。」
 という文言。
 この数字「最終可採埋蔵量」ともいわれている。

 「270年」といえば、丸めると3世紀。
 とてつもないバラ色に輝くエネルギーになる。
 21世紀、22世紀、23世紀とウランに不足はないことになる。
 とすれば、世界の電力事情は万々歳となる。
 が、どうも言葉の彩にだまされているように思われてならないのだが。

 つまり、「あるかもしれないですよ」というだけ。
 そしてもしあれば
技術的に採掘できますよ、ということのようであるのだが。
 数値的にいうと
未発見資源量が「約1,000万トン」あることになる。
 すごい量である。

 でも、ウランというのは採掘できるだけではダメなのである。
 それを利用できる形に加工する必要がある。
 石油なら小規模でもなんとか精製可能である。
 小さい精製装置を開発すればいい。
 少しでも使い道はある。

 しかし、ウランはそうはいかない。
 危機管理には万全を期さないとならない。
 コストはバカ高い。
 安全性、工程規模から考えてそれだけの資金を投入して採算のとれるものでなければ成立しない。
 そして、使えるところは原子発電所のみ。

 つまり、採算割れしたら即、採掘が停止されるという性質をもっている。
 そして、採掘が停止されると、ウランはあっても無価値になる。
 つまり、ある量まとまった形で、かつコスト的にあわなければ採掘されないということになる。
 原発が動かなくなったときは、即お払い箱のエネルギーである。

 もちろん、鉱石だけでいいですよ、加工は私の方でやりますから、というのは当たり前の話だが。
 だが、それでも石炭ほどには安易には採掘できない。
 まず軍事転用を規制する安全管理から入っていかねばならない。
 あることは判っていても、採掘条件がひじょうに厳しいものだということ。

 つまりウランは「ありますよ」、というのと「使えますよ」というのはまるで違うということ。
 原子力発電所というバカ高い建造物があってはじめて価値が出るもの。
 それがなければ、ただの石ころ。
 それをあたかも、並べて書かれると、利用可能と錯覚してしまう。
 よくある、文章テクニックではあるが。
 でも、
未発見資源量が「約1,000万トン」あるというのは驚き。


 ところでこの問いだが、

 原子力は資源としてはやはり有限です。
 選択肢としては
 1].有限な原子力を利用可能な時期まで利用する。
 2].高速増殖炉を再運転・増築する。
でしょう。
 が、高速増殖炉は現在行き詰まっているようです。

 1]を選択するとなると問題になってくるのは資源としての期間です。

 という形をとっている。


 この問い自体、原子力委員会が作ったものだが、読んでみるとこう言っていることがわかる。

 「高速増殖炉は行き詰っており、なら有限資源であるウランの可採年月はどのくらいですか」

 この裏には「ウランがコスト的に採掘できなくなったら、原子力は終わりです」
と、いう原子力委員会の了解事項を暗に含んでいる。

 ウランは今世紀をもって採取不能となる。

 石油や天然ガスのように、少量出るならそれに対応する「少量生産」し、地場で「少量使用」を考えればいい。
 でもウランはそうはいかない。
 そのままでは使えるシロモノではないのである。
 バケツに一杯とってきて、火をつければ燃えるといったたぐいのものではないのである。
 灯油ストーブとか練炭とかのように、家庭で使えるなんてことは金輪際ありえない資源である。

 科学の英知を集めた精細な原子炉で、それに見合うように加工されてはじめて価値の出るものなのである。
 ということは採掘不要となったら、本当にパタリと採掘しなくなる可能性が高い。
 他の3つのエネルギー資源のように、チビチビと採掘して、チビチビと使えるような資源ではない、ということである。

 いいかえれば、最も明瞭に資源の枯渇(採算不能な採掘)が現れてくるのが、ウランだということです。
 そして、そういう意味で「最も先に枯渇する」のがウランだということです。

 ウランの枯渇とは、石油のようにその本体がとり尽くされてなくなる、ということではないのである。
 よって最終可採埋蔵量は一つの目安にしかならないのである。
 採算にあって採掘できるか、原子力発電所がそれを必要としている規模でありうるか、といった別のファクターがからんでくる可能性が大きいのです。

 石油や天然ガスは保存に回してもいい。
 特に石油はこれから、どんどん保存傾向が強まっていくでしょう。
 できる限り、来世紀まで、できたら再来世紀までも持たせたい、という願望を担っている資源なのです。

 しかし、ウランは枯渇(採算不能)の年月を計算しながら原子力発電所をつくり、枯渇と同時に原発も幕を閉じるというコスト的合理性に基づいて動いていく資源なのです。
 保存にまわしたら、そのまま石ころになってしまう可能性がすこぶる大きいものなのです。
 よって保存にまわすというのは、選択肢の大きさからいくとバクチに近くなります。

 最新鋭の原子力発電所を造ったがウランがない、ではどうしようもない。
 が、ウランは採掘したが、原発が老朽化し、稼動状態にはないではサマになりません。
 原子力発電所を造るに、あるいはリフレッシュするに予算がない、では話にならないのです。

 ウランの採掘状況をにらみながら、原発の耐用年数を検案して、処理していかねばならないのがこのエネルギーの最も微妙なところなのです。
 ウランは採れるが原発が動かない、原発は最新鋭であるが肝心のウランの供給が間に合わない、なんてことはあってはならないのです。
 投下資本の大きさからいって、ウランの採掘終了と原発の終了とが、ほぼ同じ時期に重なるようにしなければいけないという、コスト管理が要求されるのです。

 言い換えると、

 こういう利用するのに変動の激しいエネルギーは「まずは早めに使用する」
 うまくやりくりして今世紀のエネルギーはできる限り「ウランで間に合わせる」
 そして石油のように手ごろで使いやすいマルチタイプの資源は、少しでも多く「将来未来のために」温存していきたい

というのが、「本音」ではないかと思うのです。

 つまり、あまりにパワーがありすぎて、危険で、取り扱いに面倒だが、ウランというエネルギーが使えるだけでも、とんでもない「めっけもの」ということ。
 マイナス分は補って十分にオツリがくるという資源なのです。
 「人類史の流れ」のなかでは、思ってみなかった降って沸いたような「余禄」といえましょう。

 よって、うまいとこ使って、本来エネルギーである化石燃料を先延ばしに保存できれば、これにこしたことはない、といったところではないでしょうか。

 まずは「利子」から先に使っていき、元金はなるべく手をつけないで手元に置いておきたい、ということだと思います。
 


 <つづく>




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