2008年9月24日水曜日

文化発信大国日本1:サクラの下で結婚式を


● サクラのしたで結婚式を:招待状1
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 文化発信大国日本1:サクラの下で結婚式を
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 息子に日本から結婚式の招待状が届いた。
 来年4月である。
 まだまだ先のことである。
 場所は大阪。
 とりたてて珍しいことではないだろう。
 でも、ちょっと出かけるには遠いいが。

 が、
 「とてつもなく奇異なことなのである」

 なぜなら新郎新婦ともにオーストラリアンなのである。
 こちらに自分たちの持ち家もある。
 親類家族、すべてこちらに住んでいる。

 この9月から、新婦に当たる女性は、小学校で英語を教えるために日本へ行った。
 ついでに、フィアンセもワーキング・ホリデイーをとって日本にいった。
 二人とも日本に知り合いはいない。
 記入書類に「日本での連絡先」という項目があったため、東京にいる娘のアドレスを書きこんだという。
 ちなみに、娘は新郎のパブリック・ハイスクールの後輩に当たる。
 でも、直接は知らない。

 最初の滞在場所は1カ月契約でワンルームのリースマンションである。
 不動産屋との行き違いは、日本から電話をもらって、息子が不動産屋と交渉し処理した。
 ワンルームにエクストラ・ベットを入れてもらった。
 そのくらい狭苦しい街、日本。

 その日本で、結婚式を挙げるという。
 ということは、式に出る連中は皆、こちらから出かけていかねばならぬ。
 何という身勝手なことを。
 3月から4月の休みに帰ってきて、挙式してもいいではないか。
 1年ビザなので、もうちょっと待てばイヤが応でもこちらに帰ってくる。



●大阪:サクラの下で:[outbound 2008後期版]より
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 ここは「パートナー文化」だ。
 なにもあえてすぐに結婚式などしなくてもいい社会だ。
 それなのに何故。
 なぜに無理を押し通す。

 「サクラの花の下で結婚式を挙げたい」
 でもそのころはサクラは散っているかもしれないぞ。
 でも、

 「日本で結婚式を挙げたい」

 どうなっている。
 なんでそうなる。
 ちなみに、新婦は「マック食文化」の申し子みたいな人という。
 日本のことはほとんど知らない。
 それで、日本に子どもに英語を教えに出かけて行く。

 もちろん、人生経験だからそれでいい。
 臆していたら、先へは進めない。
 踏み切れる力が若者の特権。


● 大阪ハイアットで:結婚式招待状2
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 でも結婚式は別ものだろう。
 まわりに人の都合も考えなくてはならないだろう。

 まさか、和風で新郎は袴羽織、花嫁は文金高島田ではないだろうな。
 すごく似合うかもしれないが。



● YOUR JAPAN:[outbound 2008後期版]より
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 日本のホームページには韓国の三大新聞のニュースがそろって載っている。

 どれを読んでも、なかなか興味深い。
 ちょっと離れられない魅力に満ちている。
 2日読まないと、3日目にはどんな記事があるかなと、わくわくしながらページを開くことになる。
 一種の麻薬である。

 ここまで卑屈にならなくてもいいのではないか、と思うほどの内容だが、第三者的にみるとこれが「哀愁を誘う」
 それがページを開けさせる。
 いたいけな「劣等感にさいなまれ」続け、それを覆い隠すために大言壮語に走る悲しさは、読むものの共感を呼ばずにはいられない。
 なんとも切ない。
 ときに、涙が出てくる。
 もう少し、肩から力を抜いたら、と言いたくなる。

 日本を侮蔑し、辱め、劣等とみなし、そうすることによってやっとなんとか民族的精神的な支柱を見い出している。
 一本の邪険にされる杖にすがりながら、健気に頑張っている。
 それ以外には、なすべき手段がないのだろうかと思うほどに、「繊細にして、弱々しい」
 なにかにつけ日本を意識せずにはいられない、「やるせなさ」が深く染込んでいる。

 中国がすこぶる男性的なら、韓国はすこぶる女性的である。

 我を押し通す傲慢さが中国の文化的特色なら、論理もなくヒステリックにキャンキャン騒ぎ、それに自己陶酔する奢慢さは、「女々し過ぎる」ほどの民族的特色を放っている。

 「韓日もし戦わば」などという特集を「まじめに」だと思うが書いている。
 とてもマトモな脳味噌ではついていけないのだが、またこれがひどく面白い。
 「字で書いたマンガ」だと思えば納得できる。
 人口からして日本の4割なのである。
 韓国と日本の差は、ぴったり日本とアメリカの差に比例する。
 どうみても国力がまるで違うだろうと思うのだが、そういう知的な冷静さには目をつむってしまうようだ。

 実に読むものに「アワレさを喚起させる」内容に満ち溢れているのだが、ときに
 「こんなことを韓国の新聞が書いている」
と、びっくりすることがある。


★ 朝鮮日報 2008/05/05
http://www.chosunonline.com/article/20080505000025

「魅力」を売るクールな日本
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 一人の女性が畳の部屋に正座している。
 華麗な着物を身に着け、顔には厚くおしろいを塗っている。
 京都・祇園の料亭で見かけるような芸者の姿だ。
 面長な顔のラインが出ていなければ、外国人だということに気付かないところだった。
 数カ月前に外信で入って来たこの写真から、記者はしばらく目を離すことができなかった。

 主人公は、「西洋人初の芸者」となったオーストラリアの女性学者だった。
 舞・楽器・茶道・話し方などの厳しい修練を経て、ついに難関を突破した。
 月10万円の授業料を払い、「値段は自動車1台分」という着物も購入したという。
 彼女は「オックスフォード大学で博士号」を取得している。
 それほどのインテリが、芸者のどんな魅力に惹かれたのだろうか。

 日本の文化的魅力を取材しようと心に決めたのは、この写真のせいだけではなかった。
 それまでにも似たようなニュースが続き、記者の好奇心を刺激していた。

 世界的な権威を誇るフランスのレストラン格付け本『ミシュラン・ガイド』は、東京を世界最高の「美食都市」に挙げた。
 伝統ある美食強国フランスを退けたのだ。

 そうかと思えば、ヨーロッパの若者たちの間で「日本の伝統的な結婚式がブーム」だというニュースもあった。


 この記事、日本ではそこそこ有名なものですので、読まれた方も多いのではないでしょうか。

 以前、読んだときは当たり前のことを当たり前に書いていると思っただけで、とりたてての感想はありませんでした。
 しかし今回、読み返してみて、先の結婚式の招待状ということに当てはめると、「そういうことだったのか」と、やにわに事の意味が氷解してきました。

 でもまさか、この花嫁、金襴緞子に身を固めたいわけでもあるまいな。
 出身が美術科系というから、ありそうなことではあるが。



● ニセコ:[outbound 2008後期版]より
 日本でのクリスマスは「ニセコ」で過ごす予定とのこと。
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 もう少し、この記事の内容を抜粋で載せてみましょう。


 日本に対する「欧米の熱狂ぶり」は、韓国人の想像を超えている。

 「日本」と聞くと、韓国人は経済大国を連想する。
 トヨタ自動車やソニーの電子製品に象徴される製造業強国というイメージが絶対的だ。

 一方、日本文化に対しては、「倭色」として質の低い「B級」の扱いをする。
 韓国人は日本の「文化・生活様式・美意識・価値観」などについては低く見る。

 しかし経済的な観点だけを見ても、21世紀の日本を正しく理解することはできない。
 韓国人が意識しない間に、日本は経済大国を脱皮し、「文化大国」に変身した。

 今、日本は「世界で最も魅力的な国」として通じている。
 ただ魅力を発散するのではなく、金を稼ぎ、富を創出する「ソフトパワーの経済モデル」を作り出した。

 米紙ワシントン・ポストが「クール(Cool)な帝国・日本」という特集記事を掲載したのは、4年前のことだった。
 記事は日本について、「地球上で最もクールな国だ」という賛辞を贈った。

 「日本製文化商品」の躍進には目を見張るばかりだ。
 日本は、既に「工業製品輸出国」の段階を過ぎ、「文化輸出大国」に移行した。
 このような日本を、製造業強国であるという伝統的な物差しだけで計り、正しく理解することができるのだろうか。

 「国民総魅力」(GNC)という指標がある。

 米国ニューアメリカ財団のダグラス・マッグレイ研究員が、外交雑誌『フォーリン・ポリシー』(2002年5・6月号)に発表した論文で提示した。

 文化という「無形の価値」を総合し一国の国力を評価しよう、という新しい試みに乗り出したわけだ。

 国民総魅力とは、国民総生産(GNP)に倣った名であることは言うまでもない。
 一国の国力を評価する際、韓国人はGNPを尋ねる。
 GNPとは、商品とサービスの生産を通じ創出された経済的価値を数値化したものだ。

 ならば何故、「文化的パワー」は概念化され得ないのか、とマッグレイ氏は反問する。
 重要なのは、マッグレイ氏が「国民総魅力の概念を提示した理由」が、まさに「日本にある」ということだ。

 彼は「日本が1980年代の経済大国を凌駕する"文化強国"となった」と分析し、「日本を説明するための道具」として国民総魅力を提示した。

 「経済」より「魅力という文化的価値」が、「21世紀の日本」を説明するに当たってより有用な指標となり得る、というわけだ。

 日本経済は、もはや製造業だけの経済ではない。

 「無形の国家魅力」と「文化的価値」で金を稼ぐ「ポスト・モダン経済」に転換した。



● 白馬:[outbound 2008後期版]より
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 なを、「西洋人初の芸者」については、広く報道されましたので多分ご存知のことと思いますが、参考のためそのウエブサイトと記事を転載しておきます。


★ SAYUKI 花柳界歴史上初の外国人芸者
http://
www.sayuki.net/
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国籍 オーストラリア

 日本の400年の歴史上において初めて異国の外国人女性として花柳界への扉を開き「紗幸:さゆき」の名で芸者デビュー、極めて異例の出来事である。
 2007年12月19日、東京浅草においてお披露目される。

 日本で活躍する外国人女性として初の試みに加え、肩書きも異例で、海外の国立大学での講師などを務め、主な学位としてオックスフォード大学でMBAを取得、のち博士号「社会人類学」を取得、ならびに経営学の修士を取得。
 最初の学位は日本の慶応大学「心理学」で白人女性として初めて授与される。

 また、テレビプロデューサーの顔も持ち、おもに比較文化的ドキュメンタリーの制作の監督を務め、NHKをはじめBBCなど海外メディアで数多くのドキュメンタリー番組の監督、司会、ナレーションを日本語で行う。
 ファイナンシャルタイムス、ジャパンタイムスなどの記者として記事を寄稿。
 また、共同通信、ロイター通信の記者としての活動もこなす。

 日本文化の著作を3冊海外で発表し、民族研究・経営学の研究著作は海外で話題を呼ぶ。
 日本の伝統文化・花柳界を海外メディア、日本のメディアを通して発表し、ドキュメンタリー番組の制作なども手がけていく予定。





★ 25today
「日本が誇る伝統の業を伝えたい」 [2008/5/05]
http://top.25today.com/interview/post_215.php

 史上初の外国人芸者 紗幸さんインタビュー
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 昨年12月19日、東京・浅草で史上初の外国人芸者が誕生した。
 芸名は紗幸。
 メルボルン出身のオーストラリア人女性だ。
 慶応大学、オックスフォード大学での学歴を持ち、日本を専門とする社会人類学者として研究をしながら、著作物出版やドキュメンタリー映画作成を行ってきた才媛でもある。
 その彼女が芸者になろうと思ったきっかけ、修行、芸者としての今の暮らしについて、流暢な日本語で話してもらった。

■きっかけは映画『SAYURI』
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 「西洋人は芸者に対して、男性の言う通りになって決定権が何もないというような間違ったイメージを持っているんです。
 実際はまったく違います。
 芸者は独立したワーキング・ウーマンなんです」。
 芸名・紗幸こと、フィオナ・グレアムさんは芸者という仕事についてこう話す。
 踊りや三味線など伝統芸能の高度な技を持ち、客が楽しめるよう心配りを怠らない、エンターテイメントとサービスのプロフェッショナル。
 「他国にはほとんど例を見ない、日本伝統のすばらしい職業です」。

 彼女が芸者になることを考えたのは、アーサー・ゴールデンの小説『さゆり(原題:Memoirs of Geisha)』を元に、ハリウッドが映画を製作するという話を聞いた時だ。
 西洋男性が作る「ゲイシャ映画」が「間違った」イメージで凝り固まり、真実からかけ離れたものになることは彼女には明らかだった。
 映画はあくまでフィクションであり、真実の芸者の姿を伝えるものではない。
 が、芸者の世界を知らない西洋人がこれを観た時、現実と勘違いしかねないのも事実だ。
 それは学者として日本社会を研究してきた彼女には耐えがたいことだった。
 『さゆり』のイメージを払拭するために、真実の芸者の姿を伝える人類学的なドキュメンタリー映画を作らなければならないと思った彼女は、自ら芸者になって花柳界に入り、撮影をしようと決めた。

■正座が一番つらかった
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 フィオナさんが芸者になる場所として選んだのは、東京・浅草の花柳界。
 自身が長年東京に住んでいたこと、また浅草の花柳界が数百年という長い歴史を持つことや、昔の東京の姿を残す風景が撮影で絵になると思ったのが理由だ。
 いずれにせよ、浅草の花柳界はフィオナさんの申し出にさぞ驚いたことだろう。

 「外国人が芸者になるというのは歴史上初めてですから、当然簡単には受け入れられず、花柳界の皆さんを説得するのにかなりの時間を費やしました。
 幸い慶応大学のOBの方など、顔の効く方たちが応援してくださったんです。それがなければとても入れない世界です」。
 フィオナさんの熱意と周りの人々の援助により、門が開いた。
 置屋(芸者を抱え、求めに応じて茶屋・料亭などに差し向ける家)を紹介してもらい、芸者修行を開始した。
 戦前、芸者になるには、子どものころから置屋に入り長い修行時代を経ることも多かったようだが、フィオナさんによれば浅草の花柳界で芸者になるまでの修行期間は、現在通常1年ほど。
 その期間、料亭で仲居の仕事をしながら芸者の仕事を観察したり、お茶、踊り、太鼓、横笛の稽古、そのほか数限りない慣習や礼儀作法を置屋の「お母さん」から叩き込まれる。
 もちろんフィオナさんが外国人だからといって特別扱いを受けるようなことはなかった。
 「芸者は芸者。外国人だから大目に見てもらえるということはありません」。
 生まれの違いを甘えにしていたら、続かない世界なのだろう。
 彼女が修行時代一番つらかったというのは、正座。
 「芸者衆は座布団を使いません。お座敷は最低2時間、その間しびれても何もできないので、早く慣れるしかない。体重が1キロでも余計にあるとつらいと年配のお姐さんが教えてくれて、痩せる努力もしました」。
 芸の中では横笛が最も自信があったが、苦労はそこにもあった。
 「フルートをやっていたのできれいに音は出せるんですが、邦楽のタイミングは洋楽と違うのが難しくて…」。
 日本に長年住み見事な日本語を話すフィオナさんにとっても、予想以上に大変な修行時代だったが、ひと通りの芸と作法を身に着けた昨年12月18日、ついに芸者としてのお披露目を果たした。
 芸名は、伝統としてお母さんの名前から「幸」の1文字をもらった。
 先輩芸者のお姐さんたちや置屋、料亭など、浅草花柳界の関係者100件以上に朝から晩まで挨拶して回った。
 こうして芸者「紗幸」が誕生した。

■プロジェクトとして、業として
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 現在、紗幸さんの毎日は、昼間に師匠と一緒にお茶や踊りなどの稽古を1、2時間行うほか、自分1人での稽古、練習会や浅草で行われるイベントに参加、夜は多い時にはお座敷3カ所に出るという多忙さだ。
 「芸者」とは、すなわち「芸」を持つ者。
 プロとして芸は一生磨き続けなければならない。
 紗幸さんはそんな日本伝統の業に誇りを持って、日々精進している。
 またドキュメンタリー映画の方はというと、忙しい合間を縫って芸者としての自らの生活を撮影している最中で、完成したらオーストラリアを含む数カ国で公開の予定だ。

 そのほか芸者文化を紹介するプロジェクトの一環として、浅草の芸者衆と来豪も考えている。
 「大学の日本研究学科を訪ねたり、日本関係のフェスティバルに参加したりして、芸者文化を公開したいです。
 スポンサーの応援があると助かりますので、皆さんご紹介をよろしくお願いします」とのこと。
 最後に気になる質問を1つ。
 社会人類学のプロジェクトのためになった芸者、映画完成の暁にはすぐに辞めてしまうのだろうか ? 答えは、否。
 「最初はプロジェクトとして始めましたが今はそれ以上に没頭しています。歴史上初めてのケースとして芸者になれたので、すごくありがたいことですし、がんばって一人前の芸者にならなければと思います」。
 紗幸さんを指名してお座敷遊びをしてみたいと思った人は、「紗幸」のウェブサイトを通して連絡すれば手配できるとのこと。
 東京に行く機会のある人は、日本伝統の業に励む紗幸さんの活躍ぶりを見ることができるだろう。


 紗幸プロフィル
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 本名 フィオナ・グレアム。メルボルン出身。
 15歳の時交換留学生として日本に渡り、現地の高校を卒業。
 慶應大学で心理学学位を取得後、英国オックスフォード大学でMBA、社会人類学の博士号取得。
 2007年、浅草花柳界で芸者になるための修行を始め、同年12月19日芸者として正式にお披露目を行う。







【追記:年明けの中央日報 2009/01/17にも出ていました】

オックスフォード大で博士号取得した外国人芸者



 <つづく>



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