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ウラン3:高速増殖炉開発不能
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人はどの程度の未来を考えて行動しているのだろうか。
免許更新の時に「事故で脳死したとき、臓器を提供しますか」という問いに、うろたえたことがある。
死について、さほどに身近に考えたことはそれまでなかった。
人はどちらかというと、こういう問いはできる限り回避したいものです。
それが本音でしょう。
恐怖とは向かい合いたくない、誰でも思うことです。
今の楽しさだけで「コロッと」逝きたい、そう思うのがあたりまえです。
でもこの問いは、それを微塵にも砕いてしまいました。
「なんだ、そんなことも考えていなかったのか、ならオマエはなんで生きているのだ」
対応する答えはこうなるしかありません。
「ごめんなさい」
なんとも惨めである。
人は未来をどの程度のスパンで考えているのだろうか。
おそらくは死の問題と同じで、「ほとんど考えていない」というのが正解でしょう。
ところがいやなことに、「適正人口」なるものをやってしまった。
そして判ったことは、こういうこと。
「自分が死んだあとも、人類は生きている」
自分の死んだあとは「SFの世界」になるかもしれないというオボロな予想があった。
強いていえば、自分の死んだあとの世界を、そういう世界に押し込んで、考えないようにしていた、ということです。
ところが適正人口をやったために、それが崩れてきた。
自分と同じヤツが生きているのが未来だ、ということになってきた。
ちっとは環境が変わったが、人間的にはまるで変わっていない。
メシも喰うし、エネルギーも使う。
「おじいさんは山へしばかりに」ではおさまらない世界である。
百年のスパンで考えれば十分モノはある。
それは孫の死までのことであり、何となく見通せる。
その先はわからない。
適正人口もそこまでである。
が、この問題「その先も、人類は生きていますよ」というテーゼを突きつけてきた。
OECDの「オイル商品論」は「需要供給の経済学」で未来を見る。
分かりやすい。
今自分が生きている社会で考えればいい。
その後のことは「まったく考えなくていい」。
数十年のスパン。
「予測可能な未来において化石燃料は枯渇しません」という論理は、孫の代までを見ている。
それから先、そんなこと「分かるか!」で押し切れる。
百年のスパン。
適正人口は百年後を見るが、その後も「数十億」という膨大な数の人類が生存しているという大前提がドデーンと腰を据えている。
ここでは「予測可能な未来」などは「子どもだまし」になる。
そんなこと「分かるか!」だけではちょっと押し切れない。
「メタンハイゾレートがあるさ」なんてノーテンキなこと言ってすますにはちょっと荷が重い。
どうやって、コイツラを食わせ、生活させるか。
そのくらいのこと考えろよ、「オマエ、人間だろう」、首の上に頭がついているのだろう。
オマエはそのときは死んでいるんだから、今は考えるだけでいいんだ。
ええ、そうですが。
「また惨めになってくる」
そのスパンはいかほど。
そんなこと、いくら繰り返し考えても答えのあるものではない。
こうなると「悟り」の境地が必要になってくる。
でも、とりあえずなんとか自分を納得させないといけない。
でないと、どうにも思考がおさまらず、イライラがつのってくる。
薄ぼんやりでも納得させるものを探してみた。
見つけたのはサムライの世界。
江戸幕府成立から崩壊まで「264年」
日本の歴史のなかで、かくも「安定した時代」はなかった。
諸般いろいろあったたとしても、少なくとも、日本人の社会、歴史を展望して思考の中でしっくりする時代であることに間違いない。
安定した時代が264年続いたということは、それが見渡せる時間の限界かもしれない。
いくら社会の発展が急激であろうと、そのくらいは視野に入れておかねばならないだろう、ということなのかもしれない。
終戦後から264年というと「1945年---2209年」になる。
すなわち、21世紀、22世紀。
来世紀一杯はその視野に入ってくる。
「200年」のスパンで考えろ、ということか。
来世紀にも我々と同じ人類が生存しているということ。
人類史からいえば200年なんて、鼻くそみたいなもの。
「予測不可能な未来」に我々とそっくりな人類が住んでいるということ。
そいつらは、同じようにメシも喰うし、エネルギーも浪費する。
当たり前だが、その当たり前を納得するのが難しい。
その程度のことが考えられなくてどうする。
考えるだけでも当たり前だろ。
実際にどうなるかは、オマエの死後のこと。
オマエに責任があるわけじゃネエ。
だから、考えろ。
考えなかったら「当たり後」になるぞ。
と、言われても。
強いていえば、人間の限界、思考の限界を超えるということ。
そして「2209年」といえば、「23世紀」の入り口にあたる。
SF風にいえば「維新の風」が吹き荒れそうな雰囲気を濃厚にもっているかも。
なんだか勝手につけたような論理。
「いい加減さ」もここまでくるとイヤになってくる。
でも、そうでもしないと未来のこと、おさまりはつかない。
どうでもいいから、自分に納得させなければならない。
ものを考えるというのは、なんとも不可解なこと。
「予測可能な未来」で十分ではないのか、十分だろう、ナッそうだろう。
そうに決まってるさ。
ウーン、でも。
④.高速増殖炉の開発は見通しがたっていない、おそらく不能
───────────────────────────────────────
ところで問題の「高速増殖炉」とはいったい何なのか。
Wikipediaで抜粋で見てみます。
『
高速増殖炉(こうそくぞうしょくろ Fast Breeder Reactor:FBR)とは、 高速中性子による核分裂連鎖反応を用いた増殖炉のことをいう。
原子炉で使用される前の「MOX燃料」は、燃料となる「プルトニウム239」と「ウラン235」が微量と、あとは核分裂をほとんど起こさない「ウラン238」で占められている。
高速増殖炉とは、この核分裂をほとんど起こさないウラン238を燃料となるプルトニウム239に転換するのに適した原子炉である。
プルトニウムの燃焼による発電をしながら、使用前以上に増やすことが出来る原子炉である。
もちろんすべてのウラン238がプルトニウム239に転換され尽くし、それが燃え尽きると終わりである。
通常、「軽水炉」では燃料棒中のウラン235を「熱中性子」により核分裂させ、エネルギーを生成する。
この核分裂により燃料棒中の核燃料は減少する。
熱中性子は高速中性子よりもウラン235やプルトニウムの核分裂を誘起しやすいが、燃料棒中のウラン238に捕獲されてプルトニウム239を生成する確率は低い。
逆に高速中性子はウラン235やプルトニウムの核分裂を誘起しにくいが、ウラン238に捕獲されてプルトニウム239を生成する確率が高い。
この性質を利用して、消費した燃料以上のプルトニウムを生成するように設計されたものが高速増殖炉である。
高速増殖炉の「高速」は、利用する中性子が「高速中性子」であることに由来する。
高速増殖炉では、ウラン238をプルトニウムに転換させるため、ウラン資源を事実上数十倍にできる。
このため「夢の原子炉」と言われ、日本、フランス、中国など国内でのエネルギー使用量に比べ資源が少なく、エネルギー使用量の多い国で開発が推進されている。
』
つまりこういうことのようである。
「
原子炉の燃料は「ウラン235」と「プルトニウム239」である。
ところが、この燃料にはムダな物体である「ウラン238」が含まれている。
一般の原子炉では核分裂を誘引するに「熱中性子」を使うために、それに反応しないウラン238はムダな燃料になる。
だが、「高速中性子」を使う原子炉では、このウラン238が高速中性子に反応し、プルトニウム239に変身してくれる。
変身したプルトニウム239は当然のことながら原子炉の燃料に使える。
よってこれまでムダであったものから、有効な燃料を抽出できるということになる。
」
Wikipediaを続けます。
『
核分裂を起こしやすいウラン235は天然に存在するウランの0.7%程度にしか過ぎない。
約99.3%は核分裂をほとんど起こさないウラン238である。
よって、エネルギー源として利用できるウランは、ウラン資源の1%にも満たないことになる。
しかし、高速増殖炉によってウラン238をプルトニウムに転換することができれば、核燃料サイクルが実現し、理論上ウラン資源の「約60%」をエネルギーとして使用することが出来るため、ウランの利用効率を飛躍的に高くすることが出来ると考えられる。
』
単純にいうと、原子炉燃料はたった「0.7%」しかウランに含まれていない「235」を使っている。
つまり、現今の原子炉は含有量1%以下のウランに依存しているということである。
残りの「99.3%」は「238」というムダなものである。
このウランの大半を占める「238」をエネルギー源として使えるようになれば、85倍(60%/0.7%)ものエネルギーを取り出すことができ、万々歳、夢の出来事になるというわけである。
でも世の中そうはうまくはできていない。
簡単に問屋は卸してくれない。
理論的に実験的に可能であっても、それを実用化するとなると月とスッポンくらいの差がある。
実験で可能であったからとて、それで実用化できるわけではない。
『
炉心を冷却し熱エネルギーを取り出す冷却材として、一般原子炉である軽水炉では中性子の減速材を兼ねて軽水を利用する。
これに対し、高速増殖炉では、高速中性子を減速させないように加熱溶融した液体金属(主に金属ナトリウム)を使用する。
冷却剤として使用される金属ナトリウムは酸化されやすく、空気に触れると発火し、水に触れると爆発をする。
しかも、軽水は透明だが金属ナトリウムは不透明であり、これを用いると内部状態の計測が難しくなる。
冷却材である金属ナトリウムの管理が難しく、容易に発火するため、取り扱いには極めて高度な技術を必要とする。
現在「もんじゅ」が停止を余儀なくされている理由は、この金属ナトリウムの漏出が原因である。
また、特にタービンに繋がる系統に熱を伝える二次冷却系は、軽水と接触する可能性が高いため、大きなウイークポイントとなると考えられている。
さらに、冷却系の取り扱いの難しさから、同型炉での事故例が多く、既に事故を原因として廃炉になった炉もある。
金属ナトリウムが漏出したときのために、循環系の設置される区域は窒素ガスが充填される。
そのため、人間が容易にその区域に入ることが出来ず、緊急時のメンテナンス性が損なわれている。
また、プルトニウムの炉内での挙動に未解明な点がある。
フランスのフェニックス(Phe'nix)では、原因不明の出力低下があり、その原因は未だに解明されていない。
これがフランスがスーパーフェニックスから撤退する理由の一つであった。
加えて、燃料加工やプルトニウムに対応する炉などに費用が掛かる。
通常の原子炉よりも費用がかかることや、現在開発中の高速増殖炉の多くが何らかの事故を起こしていることなど、経済性や安全面、政治的な問題から開発を断念する国が少なくない。
』
つまるところ、先進国が逃げ出すほどに技術的に相当困難なもののようである。
「ウラン1」で見てきた「愚かな核」によれば
『
日本の原子力開発長期計画による高速増殖炉の開発が初めて言及されたのは1967年でした。
その時の見通しによれば、高速増殖炉は「1980年代前半」には実用化されることになっていました。
ところが実際には高速増殖炉ははるかに難しく、----2000年の長期計画では、ついに数値をあげて年度を示すことすらできませんでした。
2005年の「原子力政策大綱」として改定された計画では、「2050年」には初めての高速増殖炉を動かしたいと書かれていますが、そんなことが実現できる道理がありません。
』
とあります。
この「原子力政策大綱」の概略を電気事業連合会のホームページでみてみる。
『
★ 電気事業連合会【でんきの情報広場】
原子力政策大綱 - 原子力政策
http://www.fepc.or.jp/future/nuclear/seisaku/seisakutaikou/index.html
─────────────────────────────────────
原子力政策大綱は、2005年(平成17年)10月に、今後10年程度の原子力の基本方針として閣議決定されました。
原子力政策大綱における原子力発電、原子燃料サイクルに関する主な方針は次のとおりです。
原子力発電、原子燃料サイクルに関する主な方針
───────────────────────────────● 原子力発電は基幹電源
原子力発電は、地球温暖化とエネルギー安定供給に貢献しており、基幹電源として位置づけて、着実に推進していく。
● 2030年度以降も現在の水準程度かそれ以上
原子力発電は、2030年度以降も総発電電力量の30~40%程度という現在の水準程度か、それ以上の供給割合を担うことを目指す。
● 原子燃料サイクルの確立
使用済燃料を再処理し、回収されるプルトニウム、ウラン等を有効利用することを基本とする。
● プルサーマルの推進
使用済燃料を再処理し、回収されるプルトニウム、ウラン等を有効利用するという基本方針をふまえ、当面、プルサーマルを着実に推進する。
● 高速増殖炉は「2050年頃」からの導入を目指す
高速増殖炉は、ウラン需要の動向や経済性等の諸条件が整うことを前提に、2050年頃から商業ベースでの導入を目指す。
● 使用済燃料の中間貯蔵
使用済燃料のうち、再処理能力の範囲を超えて発生したものについては、中間貯蔵し、その処理の方策は2010年頃から検討を開始する。
● 放射性廃棄物の処分
放射性廃棄物は、適切に区分を行い、それぞれの区分ごとに安全に処理・処分することが重要である。
』
同じく【でんきの情報広場】から抜粋で。
『
★ よくあるご質問 原子力政策大綱とは、どういう計画か?
───────────────────────────────────── 我が国における原子力の研究、開発及び利用は、原子力基本法に基づき、平和目的に限り、安全確保を前提に、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術進歩と産業振興を図り、人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的としています。
原子力委員会は、-----1956年以降ほぼ5年毎に原子力の研究、開発及び利用に関する「長期計画(原子力長計)」を策定し、基本的施策の方向を示してきました。
2004 年から改定作業が進められてきた原子力長期計画は、名称を原子力に関する施策の基本的考え方を明らかにし、各省庁における施策の企画・推進のための指針を 示すとともに、原子力行政の関わりの深い地方公共団体や事業者、さらには原子力政策を進める上で相互理解が必要な国民各層に対する期待を示す、「原子力政 策大綱」として、2005年10月にとりまとめられました。
その後原子力委員会は2006年4月に政策評価部会を設置し、原子力政策大綱の基本的考え方に基づく政策の妥当性評価などを行っています。
』
この「原子力政策大綱」は下記のサイトになりますが、219ページという膨大なものです。
『
★ 内閣府原子力委員会 原子力政策大綱
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/taikou/kettei/siryo1-3.pdf
』
つまるところ、2005年に作成されたこの大綱で述べていることは「45年後」あたりから導入を目指すということです。
この科学が発展している時代に45年後ということは、大綱を作った「誰もが、導入できるとは考えていない」ということを示している、ということです。
石油が枯渇するとか、人口減少がどこまで進むかといったことなら、おぼろげの姿を見ることはできます。
でも「科学技術の45年後」などといったものに現実性を見出せるとはとても考えられないでしょう。
ということは、
『原子力政策大綱は自ら、高速増殖炉の開発は「不能」と宣言している』
とみて差し支えないと思います。
大綱とは政府のリップサービスと見ておいたほうがいいと思われます。
その月日と同じくらい昔のこと、大学の講義で現代科学論とかいった授業がその分野の著名な先生を招いておこなわれました。
そこで聞いた話ですが、このようなものがありました。
「ガンはおそらく、ウイルスであると思われるが、早晩その正体はつきとめられ、それによって十数年もすればガンは克服されるであろう」と。
ところが、四十数年たった今、ガンは克服されたかというと、まるで昔と変わってはいません。
対策は「早期発見、早期除去」しかない。
広がらぬ小さいうちに物理的に除去する以外に処方がない。
ということは、この四十年間を超える医学あるいは科学のもたらしたものは、「発見の技術と除去手術の精妙さ」だけであったということになる。
抗ガン剤というのがある。
一時、ガンの成長を抑えるが、体に対する副作用はすこぶる大きく、すぐにガン細胞はそれを越えて繁殖する。
少しばかり寿命を延ばすだけのものでしかない。
ガン本体にはまるで効き目がないシロモノ。
では、なぜその筋の専門家が「ガンは十数年もすればガンは克服されるであろう」といった発言したのであろうか。
この時期、すなわち1960年代は科学技術にたいする絶対の信頼があり、それが信仰にまで高まっていた時代だったのです。
すべてのものは科学の前にひれ伏す、技術をもって不可能なことはない、自然は科学によって解明され、人間こそが最大の英知である、そんな思想が世界をおおいい包んでいたのです。
ナイジェル・コルダーの「20年後の世界」という本が出版されました。
これは各分野の専門家に20年後の世界の様子を想像して記述してもらったものを編集したものでした。
なにしろ古い昔のことで、うつろ覚えなのですが、たしか宇宙旅行が可能になる、といったことも書かれていたような気がします。
1961年に「地球は青かった」という言葉を残したガガーリンの宇宙飛行が成功しており、遅れたアメリカは同じその年、ジョン・F・ケネディが「1960年代中に月への有人飛行を行う」と宣言し、1962年にジョン・グレンが有人飛行をしている。
この本はその後の1966年の翻訳出版になりますから、20年後には宇宙旅行もおこなわれているだろうという設定は滑稽なものではなく、ありえる姿と思われました。
でも、20年後に宇宙旅行はなされず、45年後の今日、やっと訓練を受けた専門家による宇宙ステーションへの行き帰りが可能になっただけで、宇宙旅行は普通人にとっては夢の夢の物語にすぎません。
この「科学信仰」がピークを迎えようとしたとき、「原子力開発長期計画」による高速増殖炉の開発がスタートしていきます。
ちょうど20年後の宇宙旅行が可能であろうと想像されたとまったく同じように、「20年後の1980年代に高速増殖炉は実用化されている」だろう、というわけです。
しかし、45年後に宇宙旅行は端緒についたが、ガン征圧は見通しがたっていない。
高速増殖炉についてはまったくもって闇の中。
ためにさらに「45年後に実用化したい」という、リップサービスで終わっている。
なをこの時期にガンに対してこのような希望的発言ができたのは、すこぶる確固とした背景があるのです。
それは「結核」です。
長い間、「不治の病」と言われた結核が劇的に征圧されたという歴史がり、それを踏まえてのガンも征圧可能という見通しがつけられたのです。
明治初期まで結核は労咳(癆?、ろうがい)と呼ばれていたものです。
日本では「国民病・亡国病」とまで言われる程の侵淫を見た病気です。
若い人の死亡率が高く、子どもの頃、血を吐いたとき、きれいな血なら喀血で肺結核、汚れたいたら吐血で胃病だと教わったものです。
今はどうなっているか知りませんが、大学に入るときは入学願書に胸部診断書がついていて、保健所などでレントゲンをとり、その結果を書き入れてもらうと同時に名刺半分くらいのレントゲン写真を添付して提出しました。
同級生に胸を患ったヤツがいて、彼の言うところによると「レントゲンを撮ると小さいがカゲが出るのだが、どういうわけか入学願書のときだけはそいつが写らなかったのだ」と聞いたことがあります。
その頃は入学願書用の写真が費用の関係で小さいものでしたので、見えなかったのかもしれません。
喀血劇で有名なのは新撰組一番隊隊長の沖田総司で、池田屋事件で討幕派数人を切り伏せ活躍したものの、直後に肺結核により喀血して倒れる、とされている。
江戸に静養で戻り、二十半ばで死亡している。
天然理心流の他、北辰一刀流の免許皆伝とされている人斬りのツワモノも労咳には勝てなかったほどの病であったということです。
ところがこの不治の病といわれるものが戦後、劇的に消えていく。
ストレプトマイシンなどの結核菌に効果のある「抗生物質」が発見されたためである。
このステップを踏まえてみると、「ガン抗生物質」が発見され、ガンが早晩克服されるのは科学信仰が蔓延していた時代ではタイムスケジュールに載って当たり前のことだったのです。
ところがドッコイそうはいかない。
ガンはいまだに死因のトップスリーにドンと腰を据えており、その王座はまるで揺るぎそうに見えない。
このガンに対する医学会の落胆により、次に発見された病気については、また昔に戻って「不治の病」という烙印が押されることになる。
いわく「エイズ」
ガンのような楽言は聞かれない。
はるかにシビアで「治療不可」で終わっている。
科学の限界は「ガン」で証明されてしまった。
早期発見、早期除去、いかにも心もとないが、それしか有効な手立てはない。
いまのところ残された手段は、「遺伝子治療」か、宇宙空間での「無重力利用」の治療・新薬の開発であろうか。
高速増殖炉は医療におけるガンと同じ経過を辿っており、いまはエイズの見込み段階に入り込んでいるように思える。
つまり、こういうこと。
「高速増殖炉開発不能」
<おわり>
【Top Page】
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ウラン2:今世紀いっぱいのエネルギー
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石油枯渇と天然ガスをやっているとき、意識的に触れないでおいたものがあります。
「地球温暖化」の問題です。
いま最も話題になっているテーマなのですが、これをからめると化石燃料の問題、すなわちエネルギー問題が環境問題にすり替わってしまうため、蓋をして見ないようにしました。
「ウラン」をやるときも同じものがあります。
「安全性」です。
原子力発電の問題は常にこのテーマに集約されてきます。
危険なものであることは重々分かっているが、ここではあまり深くふれずに「エネルギーとしてのウラン」にのみ焦点を当てて見ていきたいと思います。
なをあらかじめお断りしておくことは、石油や天然ガスは一般人でもアウトラインを理解することはさほど難しくありません。
しかし、原子力となると非常に専門的・技術的になり、素人の先走り論理は大きな間違いを生ずる可能性が問題となってきます。
ここでやっていることはサイトのデータを検索して、それを基本知識として整理することです。
それ以上のことができる専門的知識を持っているわけではありません。
サイトの内容あるいはデータ本体が正しいか誤っているかどうかは残念ながら、素人ではどうにも判断がつきかねます。
ただ、収集したデータを使って、現時点で可能性のあるであろうものを抜き出し、とりあえず納得できる形にピースをはめ込んでいくだけのことしかできません。
素人の骨董無形な飛躍の論理になるかもしれませんが、可するか非とするかは読まれる方の自由です。
「無知な」ということに終わってもいいと思っています。
とりあえず、大学生のレポートぐらいになっていれば「よし」としています。
①.石油と較べて付加価値がない
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Wikipediaで「石油製品」「合成樹脂」などを検索すると、いやになるほどの製品が出てくる。
つまり石油とはエネルギーであるまえに、「原材料、素材」なのです。
机の周りを見渡してみても、現在この文章を打ち込んでいるキーボードそれにマウス、スピーカー、モデムなど、CDのプラスチクケース、買い物へいけば品物を入れてくれるビニール袋など、数え切れないほどです。
しかし、これは石油があまりに万能でありすぎるということで、他のエネルギーの能力が低いということでははありません。
実際、「天然ガス製品」をWikipedia調べてみても、エネルギー製品を除けば合成製品など出てきません。
重要なことは『いかに石油が優れているか』ということなのです。
このことを深く認識しなければいけない、ということです。
石油だけが「例外中の例外」なのです。
あまりにも「石油は万能選手でありすぎる」ということです。
野球選手にして、スキーのプロ、そして水泳の選手とオールラウンダーなのです。
でも、そんな選手がちまたにごろごろ転がっているわけではないのです。
ところが、そういう石油を普段見慣れてしまうと、それが当たり前のように思えて、他のモノにも相応の期待をしはじめてしまうという間違いを、人間がおかしはじめているということなのです。
そして、そのようなまちがいの典型的な例が「原子力」なのです。
天然ガスも同じです。
これは、つまり空気です。
「天然ガス合成製品」なるものもありえない。
せいぜいの「擬似ガソリン」を作るぐらいなもの。
エネルギーとしての利用しかできていない。
そして、期待されているメタンハイドレードも天然ガスなのです。
石炭も同じです。
「石炭合成製品」なるものはありえない。
石炭は「石ころ」で、エネルギーとしての擬似オイル、擬似ガソリンを作る程度。
これからみてもわかるように、いかに「石油が偉大か」ということです。
その「偉大な原料」を、湯水のように燃やし続けているのが、昨今の世界。
だからこそ、偉大な文化文明、経済成長が可能になった、ということでもある。
人はそれを「当たり前のこと」に思ってしまっているということである。
石油と比較して、他のものを「無能」というのは間違いなのです。
では、なぜ石油だけが「偉大」なのか。
なぜ、石油だけがマルチプレイヤーなのか。
説は多々ありますが、今の時点では次のものが説得力があります。
石油とは「海洋生物の堆積物」である、ということ。
つまり、石油とは海の生物の死骸等が長い間に地球の変動を受けて変化したものだということ。
残念なことに「地上生物の死骸」は堆積しない。
他の動物のエサになるか、太陽の熱を受けて干からびるか、あるいは腐るかしてしまうからです。
「地上植物の堆積」は可能である。
それが石に変わり、植物からとれる「炭の性質」を担って、石炭になったといわれています。
よって、石油の出るところとは昔、海であった可能性が高いということになる。
「生命の起源」は海にあり、海から陸に上がっていったという。
石油はその「生命のエッセンス」を受け継いだもの。
ゆえに、石油はおのずとマルチプレイヤーのエッセンスを内蔵していると言われているわけです。
②.発電用に使われるだけのものである
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「原子力は発電以外何の役にも立たない」代物なのです。
それが、原子力なのです。
原子力は軍事的利用を除いて「電気を起こすこと」それ以外の仕事は請け負っていないのです。
電気を使ってどうするかは、人様が考えることであって原子力が考えることではない。
それ以外を期待する方が間違っている。
なんでもかんでもできると錯覚しているのは、錯覚している人の無知に由来している。
しかし、間違いなく電気を起こすことはできる。
大いなる仕事が一つできることでも、優れ資源であるといえる。
二つも、三つもできなくていい、一つだけで十分に価値がある。
アシモ君を動かすこともできるし、インターネット網をオペレートできるのです。
新幹線を走らせ、海水を淡水化できるのです。
食糧を実らせ、その種子を未来に引き継ぐことを可能にしているのです。
遺伝子を保持し、動物の種の保存すらも可能にしているのです。
過剰な期待をすべきシロモノではないのですが、必要な役割は思う以上にこなしているのです。
③.自然資源エネルギーであり、枯渇が見えている
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人類が使用している世界の大規模エネルギーは下記の4つです。
①.石炭
②.石油
③.天然ガス
④.原子力
石炭は可採可能埋蔵量で最低で「200年」といわれていますので、いまのところ無尽蔵という表現でいいと思います。
石油は先に述べましたが「約70年」、天然ガスは「約100年」という発表です。
なを、2007年の「BP統計」では「石炭147年」「石油41年」「天然ガス63年」となっており、統計のとり方によって違って、えらく大幅なちがいが出てくる。
Wikipediaを見てみる。
『
可採埋蔵量(かさいまいぞうりょう)は、地下に存在する原油や天然ガスなどといった地下資源の埋蔵量のうち、技術的・経済的に掘り出す事ができる埋蔵量のこと。
油田、ガス田に存在する地下資源の総量は「原始埋蔵量」といい、可採埋蔵量がゼロになったからといって地下資源が採掘されつくしたことにはならない。
すなわち技術力の向上や産出物の価格上昇に伴って技術的・経済的に採掘が可能になる資源が増加することで、可採埋蔵量は増加する。
さらには単純に新たな油田、ガス田などが発見される事で、原始埋蔵量も増加の可能性がある。
「可採埋蔵量」は、回収の確実性によって高い順に「確認埋蔵量(または確定埋蔵量)(proven reserves)」、「推定埋蔵量(probable reserves)」、「予想埋蔵量(possible reserves)」に区分される。
確認埋蔵量をその年の生産量で割った数字が「可採年数(reserves/production ratio)」である。
可採年数=確認埋蔵量/年間需要
主な地下資源の可採年数は、石油が41年、石炭が147年、天然ガスが63年、ウランが85年とされている。
』
グラフで見ることができます。
『
★ IAE 財団法人 エネルギー総合工学研究所
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data1008.html
世界のエネルギー資源埋蔵量(2007.06.05)
●石油、天然ガス、ウラン等は、資源量に限りがある。
●石油、天然ガスは埋蔵地域に偏りがある。
解説:
石炭の可採年数が100年以上であるのに対して、石油、天然ガス、ウラン等のエネルギー資源の可採年数が数十年となっており、このままの利用を続けていれば21世紀中に資源が不足し、利用できなくなる可能性があるとの説もあります。
ただし、資源開発努力により、もっと資源を入手できるとの説もあります。
石炭も資源量には余裕がありますが、地球温暖化の問題があり、適切な利用を考えなければいけません。
石油、天然ガスは埋蔵地域に偏りがあり、これらを輸入に頼る日本にとっては不利な条件となっています。
』
内閣府原子力委員会(Japan Atomic Energy Commission)のホームページから。
『
★ 核燃料はどのくらい埋蔵量があるのですか:学生、男性
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/qa/iken/iken-q78.htm
○ご質問の内容:
──────────────
化石燃料はCO2の排出とともに、より重大な問題は資源の有限性です。
原子力はCO2の排出が発電の際、火力発電より少ないことは長所ですが、資源としてはやはり有限です。
選択肢としては
1].有限な原子力を利用可能な時期まで利用する。
2].高速増殖炉を再運転・増築する。
でしょう。
が、高速増殖炉は現在行き詰まっているようです。
1]を選択するとなると問題になってくるのは資源としての期間です。
なので埋蔵量がどのくらいあるのかということ、それから何年くらい運転可能なのかシュミレーションがあれば知りたいです。
○回 答:
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ご質問の「ウラン資源量がどれくらいあるのか、それが何年程度需要を満たしうるのか」ということにつきましては、最新の知見の1つであるOECD/NEA&IAEAの”Uranium 2003”(2004)によると、以下のとおりとされています。
在来型既知資源量は「約460万トン(459万トン)」です。
これは「2002年推定世界需要量」の「約85年分」に相当します。
これに未発見資源量を加えると、「約1,440万トン」で、これは2002年の「推定世界需要量」の「約270年分」に相当します。
[注1]
「推定世界需要量」とは
発電電力量10億kWh当たりの天然ウラン必要量について20.7万トンに基づき推定
(ワンススルーの場合。出展:”Trends in the Nuclear Fuel Cycle”(OECD/NEA(2002)))
[注2]
在来型既知資源量= 確認資源量+(推定追加資源-区分1の量)
未発見資源量 = (推定追加資源量-区分2の量)+(期待資源量)
a). 確認資源:
その大きさ、品位及び形状が明らかになった既知の鉱床中に存在するウラン資源
b).(推定追加資源-区分1):
主に直接の地質学的事実に基づいて、よく探鉱された鉱床の拡張部か、地質学的連続性は明らかになっているが、鉱床の拡がり、鉱床の特性に関する知見などの特定データが確認資源として分類するには不十分な鉱床中に存在すると推定されるもの
c).(推定追加資源-区分2):
主に間接的な事実に基づき、よく解明された地質トレンド中あるいは既知鉱床に伴う鉱化作用が認められる地域に期待されるウラン資源
d). 期待資源:
主に間接的事実や地質学的外挿に基づき、既存の探鉱技術により発見可能な鉱床中に存在すると考えられているもの
』
なを、より新しい「Uranium 2005」によれば「474万トン」となっています。
15万トンほど増えていますので、可採年数も「88年」ほどになります。
ということは、最新統計の石油の「約70年」、天然ガスの「約100年」の中間あたりということになります。
統計のとり方で違いが出てきますし、まして未来のこととで断言できることはありませんが、いまのところ推測できることは、「今世紀いっぱいはウランはある」、ということになります。
逆にいいますと「今世紀いっぱいのエネルギー」だということです。
上の原子力委員会の回答でハテナマークがつくのが、
「これに未発見資源量を加えると、「約1,440万トン」で、これは2002年の「推定世界需要量」の「約270年分に相当します。」
という文言。
この数字「最終可採埋蔵量」ともいわれている。
「270年」といえば、丸めると3世紀。
とてつもないバラ色に輝くエネルギーになる。
21世紀、22世紀、23世紀とウランに不足はないことになる。
とすれば、世界の電力事情は万々歳となる。
が、どうも言葉の彩にだまされているように思われてならないのだが。
つまり、「あるかもしれないですよ」というだけ。
そしてもしあれば技術的に採掘できますよ、ということのようであるのだが。
数値的にいうと未発見資源量が「約1,000万トン」あることになる。
すごい量である。
でも、ウランというのは採掘できるだけではダメなのである。
それを利用できる形に加工する必要がある。
石油なら小規模でもなんとか精製可能である。
小さい精製装置を開発すればいい。
少しでも使い道はある。
しかし、ウランはそうはいかない。
危機管理には万全を期さないとならない。
コストはバカ高い。
安全性、工程規模から考えてそれだけの資金を投入して採算のとれるものでなければ成立しない。
そして、使えるところは原子発電所のみ。
つまり、採算割れしたら即、採掘が停止されるという性質をもっている。
そして、採掘が停止されると、ウランはあっても無価値になる。
つまり、ある量まとまった形で、かつコスト的にあわなければ採掘されないということになる。
原発が動かなくなったときは、即お払い箱のエネルギーである。
もちろん、鉱石だけでいいですよ、加工は私の方でやりますから、というのは当たり前の話だが。
だが、それでも石炭ほどには安易には採掘できない。
まず軍事転用を規制する安全管理から入っていかねばならない。
あることは判っていても、採掘条件がひじょうに厳しいものだということ。
つまりウランは「ありますよ」、というのと「使えますよ」というのはまるで違うということ。
原子力発電所というバカ高い建造物があってはじめて価値が出るもの。
それがなければ、ただの石ころ。
それをあたかも、並べて書かれると、利用可能と錯覚してしまう。
よくある、文章テクニックではあるが。
でも、未発見資源量が「約1,000万トン」あるというのは驚き。
ところでこの問いだが、
「
原子力は資源としてはやはり有限です。
選択肢としては
1].有限な原子力を利用可能な時期まで利用する。
2].高速増殖炉を再運転・増築する。
でしょう。
が、高速増殖炉は現在行き詰まっているようです。
1]を選択するとなると問題になってくるのは資源としての期間です。
」
という形をとっている。
この問い自体、原子力委員会が作ったものだが、読んでみるとこう言っていることがわかる。
「高速増殖炉は行き詰っており、なら有限資源であるウランの可採年月はどのくらいですか」
この裏には「ウランがコスト的に採掘できなくなったら、原子力は終わりです」
と、いう原子力委員会の了解事項を暗に含んでいる。
ウランは今世紀をもって採取不能となる。
石油や天然ガスのように、少量出るならそれに対応する「少量生産」し、地場で「少量使用」を考えればいい。
でもウランはそうはいかない。
そのままでは使えるシロモノではないのである。
バケツに一杯とってきて、火をつければ燃えるといったたぐいのものではないのである。
灯油ストーブとか練炭とかのように、家庭で使えるなんてことは金輪際ありえない資源である。
科学の英知を集めた精細な原子炉で、それに見合うように加工されてはじめて価値の出るものなのである。
ということは採掘不要となったら、本当にパタリと採掘しなくなる可能性が高い。
他の3つのエネルギー資源のように、チビチビと採掘して、チビチビと使えるような資源ではない、ということである。
いいかえれば、最も明瞭に資源の枯渇(採算不能な採掘)が現れてくるのが、ウランだということです。
そして、そういう意味で「最も先に枯渇する」のがウランだということです。
ウランの枯渇とは、石油のようにその本体がとり尽くされてなくなる、ということではないのである。
よって最終可採埋蔵量は一つの目安にしかならないのである。
採算にあって採掘できるか、原子力発電所がそれを必要としている規模でありうるか、といった別のファクターがからんでくる可能性が大きいのです。
石油や天然ガスは保存に回してもいい。
特に石油はこれから、どんどん保存傾向が強まっていくでしょう。
できる限り、来世紀まで、できたら再来世紀までも持たせたい、という願望を担っている資源なのです。
しかし、ウランは枯渇(採算不能)の年月を計算しながら原子力発電所をつくり、枯渇と同時に原発も幕を閉じるというコスト的合理性に基づいて動いていく資源なのです。
保存にまわしたら、そのまま石ころになってしまう可能性がすこぶる大きいものなのです。
よって保存にまわすというのは、選択肢の大きさからいくとバクチに近くなります。
最新鋭の原子力発電所を造ったがウランがない、ではどうしようもない。
が、ウランは採掘したが、原発が老朽化し、稼動状態にはないではサマになりません。
原子力発電所を造るに、あるいはリフレッシュするに予算がない、では話にならないのです。
ウランの採掘状況をにらみながら、原発の耐用年数を検案して、処理していかねばならないのがこのエネルギーの最も微妙なところなのです。
ウランは採れるが原発が動かない、原発は最新鋭であるが肝心のウランの供給が間に合わない、なんてことはあってはならないのです。
投下資本の大きさからいって、ウランの採掘終了と原発の終了とが、ほぼ同じ時期に重なるようにしなければいけないという、コスト管理が要求されるのです。
言い換えると、
『
こういう利用するのに変動の激しいエネルギーは「まずは早めに使用する」
うまくやりくりして今世紀のエネルギーはできる限り「ウランで間に合わせる」
そして石油のように手ごろで使いやすいマルチタイプの資源は、少しでも多く「将来未来のために」温存していきたい
』
というのが、「本音」ではないかと思うのです。
つまり、あまりにパワーがありすぎて、危険で、取り扱いに面倒だが、ウランというエネルギーが使えるだけでも、とんでもない「めっけもの」ということ。
マイナス分は補って十分にオツリがくるという資源なのです。
「人類史の流れ」のなかでは、思ってみなかった降って沸いたような「余禄」といえましょう。
よって、うまいとこ使って、本来エネルギーである化石燃料を先延ばしに保存できれば、これにこしたことはない、といったところではないでしょうか。
まずは「利子」から先に使っていき、元金はなるべく手をつけないで手元に置いておきたい、ということだと思います。
<つづく>
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