2008年11月15日土曜日

ケンボッキ島


● ケンボッキ島地図
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 ケンボッキ島
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 「ケンボッキ島って知っていますか」
 「ヒョッコリひょうたん島のとなりだろう」

 「行ったことありますか」
 「行けるわけないだろう」


 お話はこういう具合にすすみます。
『
 大字琵琶瀬村 字ケンボッキ島 六番地

 登録用紙に書き込むとき、手が震えて、書き損じてしまった。
 だが、それも記念になるだろうと、そのまま提出することにした。
 印を押し、書類が完成した。
 すると役場の人が口々にいった。
 「おめでとうございます」
 「あの島で住民登録をしたのは、あなたが地球はじまって以来です」
』
 「地球はじまって以来です」
 なんともダイナミック。

 さらに、「琵琶瀬村」。
 反面、なんとも優雅な地名である。
 ドキドキしてきた。
 こういうのが好きなのである。

 これまで地球上に住民登録した人がいないのに「六番地」という番地がある。
 ウーン、これも"なんとなく"「らしい」。

 そして、主人公とその家族(妻と娘)はケンボッキ島に住むことになったのである。
 上の地図の下の左側の「ゴロウの家」がそれです。
 隣に馬小屋があります。
 そのさらに横に「OK号」というのがあります。
 これなんだと思います。
 通常なら、島へ渡るためのヘリコプターとなるでしょう。

 ところがなんとなんと、これ「船」なのです。
 何故、陸に船があるのか、と疑問を持たれた方は、なかなか鋭い頭脳の持ち主です。
 もしこれ、本当の船なら「丸」でなければならないはずだからです。
 それとも空飛ぶ船なのだろうか。

 この稿のお話は「OK号」を手に入れる物語なのです。
 もちろん、本の中身を忠実に、且つ特大の皮肉を交えてみていくのが、その仕事となるのですが。

 ちなみに、地元では「ケンボッケ」と呼ぶそうである。
 もちろん最後の「ボッケ」は「ボケ」のことでしょう。
 よって俗称は「ケンボケジマ」になります。


 まずは、このお話の主人公がケンボケジマへいく舟を手に入れたときの様子からみていくことにします。
 この舟はOK号ではありません。
『
 「モシモシ」
 「はあはあ」
 「売りに出ている船はないでしょうか。
  ‥ええ、島まで渡る舟です」
 「舟ですか」

 ‥‥

 「あるそうですよ、手ごろな舟が」
 「買いましたよ、それを」
 「なんでも、"人が乗っても沈まない"といっていますよ」
 「ははあ、ますます気に入りました。どうかゆずってください」
 かくて、たちまち舟長になった。

 ここで断っておきたいが、船長ではなく、舟長である。
 あくまで舟である。

 どうか皆さん、舟長(しゅうちょう)と呼んでいただきたい。
』
 "人が乗っても沈まない舟"があるという。
 そんな珍しい舟、広い世にはあるもののようである。


 だがである。
 突然、それに続いて変なストリーが出てくる。
『
 マスコミ界の巨星、大宅壮一老が南の島の酋長(しゅうちょう)に就任されたと聞いたとき、どんなにうらやましかったことか。
 おそるおそるそのいきさつをおたずねしてみた。
 すると大宅酋長は、かのバセドウ病的巨眼をカッとみひらいて、就任式のさい食卓に並べられた世にも「めずらめずら」の料理について語るのだった。

「それがだね、君イ。
 長くて、モヤモヤしてツルツルしておる。
 気味が悪いからこれは何じゃと訊ねたら、地元の酋長が、カエルの卵じゃが、精力がつくと説明した。
 こんな丼にいっぱいじゃったが、精がつくもんなら食わにゃならん。
 そう思って食ってみたら、これが珍味じゃ」
「おいしゅうございましたか」
「ま、珍味じゃった」

 ああ、煙と消えてしまいたかった。
 もし枝ぶりのいい木が手じかにあったなら、本当に自殺してしまっただろ。
』
 「しゅうちょう」は"しゅうちょう"でも"しゅうちょう"が違うではないか。

 この作者、手前勝手にゴロ合わせを楽しんでいる。


 ところがこれ、まだ続くのである。
『
 ともあれ、舟長に就任して発狂寸前になった私は、迷惑もかえりみず、日ごろから尊敬おくあたわぬ北杜夫氏に手紙を書いた。
 それも便せん一枚だけの報告だったが、封筒ではカンロクがないので小包にした。
』
 便箋一枚の手紙を小包にするという、これで個人名「北杜夫」がお話の世界にいざなわれていく。
 つまり実名を登場させることによって、妙にリアリテイっぽくなるというわけである。

 北杜夫の小説は持っているが、幸いと言うべきか不幸と言うべきか、まだ読んでいない。
 でも「どくとるマンボウ航海記」と「怪盗ジバゴ」は読んだことがある。
 こういうタイプの人だから、使いようによっては"リアリテイ"を生み出すのに結構"すぐれモノ"になる。

『
 と、返事にいわく。
 ───ゴロウ大村長殿
 これでタイトルがふえた。
 大舟長であり、大村長なのである。
 得意満面、気分爽快。
』
 どうもこの主人公「大」と「長」がつくと何でも感激するらしい。

 とすると、その舟の名は、
『
 「これ、水夫ども、しがない半端労働者ども‥‥舟の名前はどうすべきかよ」
 「ぜったいにゴロウ丸にすべきよ」
 ムスメは目も上げずに答えた。
 「ウン。そうだな」
 「そうよ」
 半端労働者にしては、頭の回転がよい。
 近ごろは教育が普及し、半端労働者まで知識をふり回すので、経営者や大村長がこまるのである。
』
 やはり舟は「丸」でないといけない。

 めでたしめでたし、である。


 ところがである。
 また、「ところが」が出てくる。
 この得意絶頂の主人公に、恐ろしい不幸が襲うのである。
 やはり"人が乗っても沈まない舟"がこの世にあるわけがない。
『
 「この調子じゃ、冬に行き来するのは大変ですなあ」
 と、舟を世話してくれた人にいった。
 「もちろんです」
 その人は大まじめでうなずき、
 「たいしたむずかしいことですね。
  冬の海で死んだ人はたくさんいますから」
』
 なんとなく、背筋のスーと寒くなる予感が忍び寄ってくるでしょう。
 これはホラー童話か。

 海で顔なじみになった漁師が、船大工を連れて来てくれた。
 この船大工が微塵のケガレもなく言う。
『
 「命が惜しかったら、あのタヌキ舟には乗らないことですね」
』
 おお、なんと、大舟長のはえあるゴロウ丸がタヌキ舟になってしまった。

『
 「ま、三千円でも買い手が現れないでしょう。
  本来なら流してしまうところです」
 「流す‥‥」
 「もやいをはずして海に放ってやるのです。
  プカプカ浮いておさらばです」
』
 なんという「ミジメ」なことだろう。
 あの大舟長を生んだゴロウ丸が「葬送される」

 舟大工はいとも淡々とひどく乾いた言葉で、非情にもさらに続ける。
『
 「意地はって乗り続けたとして、舟が沈んでも、間違ったってあの舟の板には"つかまっちゃダメ"です。
 あの木なら、"水に浮かぬ"はずです」
』
 ウー。

『
 ゴロウ丸は、島に定着しないうちに、轟沈してしまったのであった。
』
 なるほど、"水に浮かぬ木"で造ってあるので、「なんでも、"人が乗っても沈まない"といっていますよ」というセリフが出てくるわけである。
 ヒネリを加えているようだ。
 推理小説なみに、行間を読んでいかないと、落とし穴があるというわけである。


 ではこの特大のバカバカしくもミットモナイお話の後で、いよいよ陸に鎮座している変な船、OK号を手に入れたいきさつはどうなっているのか。
 それがこの話のメインです。

 OK号の正式名称は「オトキッス号」である。
 船の名前は常に「****丸」でなければならない。
 ご存知かと思うが、これは日本の「船舶航行法」に定められている。
 なのに「****号」とはなんぞや。
 罰金モノである。
 でも大丈夫、この船、浜に鎮座しているだけで、ゴロウ丸と同じく水に浮かばないから。
 ちなみに空は飛ばない。

 でも、本当は、これ浮くのである。
 もともとの名前は「ほうりう丸」という。
 やはり「丸」がついていた。

 ただでは起きないのがこの物語の主人公。
 不幸を幸に変えてしまうという天性のオポチュニスト。
 ちなみに幸を不幸に変えてしまうという恐怖的楽観主義者でもある。
 ミスター・ビーニズム。
 「ビーニズム」って何。
 ミスター・ビーンて知らない?

 轟沈したゴロウ丸とはうって変わって、この「丸」のついた船を、ひとのいい正直な持ち主の元漁師を、口先三寸でだまくらかして貰いうけ、勝手に「号」をつけてしまうというとんでもないことをやらかしてしまうのだ。
 その経緯は。

 ゴロウに家を貸してくれている大家さんが、タダで船をまき上げられたそのモト漁師。
 コンブで一儲けしたことがあり、それでこの大きな船を買った。
 でもシケによる遭難にあい、九死に一生を得て生還した大家さんは船を下りた。
 大家さんの口ぐせ、
『
 人間、百まで生きるものでもなし、イキモノとしての人間は海の中では死ぬものだし、こうして、ちゃっこくやってお天道様の光を浴びているほうが、しあわせだべ。
 サケ・マスやったほうが金儲けできるという人もいるけど、他人は関係ねえべ。
』

 主人公が眼をつけたのが、その推進力を失って北の海をさまよった、栄光の船。
 それはいま、廃船となってキリターフの浜で風雨にさらされている。
 これをいかにして、まき上げるか、主人公はいろいろと考える。

 そしてこんな具合に話をもっていく、
『
 「あの船、もうボロだけど、海に浮かぶかしらねえ」
』

 気のいいオヤジは怒った。
 バカこくでねえ、
『
 「何をいうのだ」
 と、彼は青筋を立てて、
 「あれは特別な船だぞ。
  ハマチューの人たちを何度も救助したし、それで記念に置いてあるのだ。
  沈むものじゃねえ。
  なにしろ"ヘノキ"でつくってあるから」
』

 シメシメ、と思うが、ヘノキってなんだ。
『
 「屁の木?」

 「そうだとも。
  ぶっ通しの一枚板でおめえ、十トンの船体が作ってあるなんぞ‥‥‥おい、今どき聞いたことがあるか」
』

 ほうりう丸はヒノキの一枚板で造られた船だったのだ。
 ヒノキなら三十年経っても腐っていないはずだ。
 ますます欲しくなり、これ幸い儲けものと、主人公の役者顔負けの演技が続く。
『
 「困った、困った」

 「困ったか。困ってくれたか。それで、どうした?」
 ヒトのいい大家氏は、とろけるような微笑を浮かべて身を乗り出した。
 「大家といえば親同然、店子といえば‥‥」
 「子も同然」
』
 大家氏の身の上に不吉の影が迫ってくる。

『
 「そこで子からのお願いだけど、あの、ほうりう丸ゆずってくださいよ」
 「え?」
 「むろんタダ。
  それからタダでもらう以上、島までは運んでもらわねばなりませぬ」
 「運ぶって、あの船を‥‥」
 大家は呆れ、実に長い間、まじまじと私の顔をのぞきこんでいた。
』

 いわく、
『
 ついに、店子の権利として十トンの船をむしり取った。
』
 店子にそんな権利があるか。
 単なるサギではないか。

『
 「ヘノキの船を島まで運んで、最後の花を咲かせたらどうかね」
 「ウーン。それもそうなんだけど‥‥あれを動かすには、人手が三十ほど要るべえが」

 信頼している人に訊いたところでは、今どき、あれだけの船を動かすのは至難な業だそうだ。
』

 彼は毎日、浜へ出てほうりう丸を見上げているという。
『
 こういっていたかもしれぬ。
 「ほうりうよ、おめえは何故にそこにいるのだ。
  トットと消えてなくなれ」
』
 と。


 しかし、ついにほうりう丸は主人公のサギ師の元に運ばれることになる。
 その門出のシーンを、
『
 まず、浜の地ならしをし、ブルトーザーでそろそろ下ろした。
 すると浮いたのである。
 およそ十年、陸上に放り出されていた船が、ポッカリと浮き、アカ一つないのである。
』

『
 翌朝、4時半。
 願ってもない快晴、油凪の海面に、ポツリと黒い点が現れた。
 キリターフをほうりう丸が船出したのである。
 5時半───。
 とうとうやって来た。
 静かに、小揺るぎもしないで、オンボロほうりうがやってきた。
』

 エッツ、
『
 やってきたのはたったの四人。
 それも大家氏の息子さんを除いては年寄りばかりである。
 不安になって訊いた。
 「三十人が四人になって、それで大丈夫ですか」
』

 なんとなんとたった四人で、ついにほうりう丸は陸揚げされたのである。
 物語はいかようにでもつくれる。
『
 ともかくめでたい。
 船のキャビンから見る海もまた格別で、これで名実共に大舟長になったのである。
』


 口先三寸で船を手に入れたゴロウは、次にこの船の名前を変えようという、またもや大胆不埒なことを実行しようとする。
 長くなりますので、この部分は省略します。
 ちなみに、この船の利用方法も。


 ところでこの本、いかにして手に入れたか。
 息子が三週間の有給休暇で日本へいった。
 三週間となれば、重役なみのはずだが。
 でも、もっとも近年に入ったペイペイ。
 なにしろやっと1年。
 それで3週間の有給休暇。
 この国そのうち、潰れてしまうぞ。

 前に務めていた会社の先輩で日本に戻られた方が「一生で読んでおかねばいけない本の一冊だ」として、取り寄せて贈ってくれたというのがこの単行本。
 奥付は「昭和47年1月25日 第1刷」の「4月10日 第11刷」版。
 ちなみに「発行所 毎日新聞社」とある。
 天下の大新聞である。
 なんと、あの「冬の鷹」よりさらに4年も古い。

 でも、けったいなことに「あとがき」がない。
 「なかがき」というのがある。
『
 そしてまた強風、烈風。
 「ヤセ」、つまり妻が吹き飛ばされ、見事に大地から離れた。
 「しめたぞ。これで飼育の手間がへった」
 そう呟き、バンザイを三唱しようとして気がついた。
 飼育されているのはこちらであり、飼育人は妻である。
 消えてなくなるのはやはり困る。
』

『
 「チビ丸」は、外へ出る時間が少なくなった。
 そこで壁という壁を利用して、新聞や歌やウラナイの結果をはりつけている。
 便所には、各人の座高を考えた劇画がぶら下げられている。
 題して「トイレコミック」。
 マンガがそえられたちゃんとした物語なのである。
 "パパのためのトイレコミック第一号"
 その粗筋は、難破船の死体がある時ケンボッキ島の浜に打上げられ、それがこの便所の位置。
 死体はユウレイとなり、人間の生血を求めているそうだ。
』
 便所の位置というのはなかなか冴えているが、考えると夜、便所にいかれなくなる。
 お尻を出すと、尻の穴から生き血を吸われそうな気分になる。

『
 ゾッとしたつもりで娘に訊ねた。
 「あれ本当だろうか」
 「本当よ」
 「へえ、それでおまえ怖くないのか」
 「それがおかしいのよ。自分でつくった話だと怖くないの」
』

『
 これは"あとがき"ではない。
 中にはさむので"なかがき"である。
』

 つまり、続編があるということである。

 そこでさっそく、偶然にも日本にいる家のモノに「続」を送れとメールした。
 ちなみに、注文してある日本の名著の「空海・最澄」と「荻生徂徠」は後回しでいい、と書き添えて。
 あああ、なんと自堕落になってしまったことか。

 本の後ろにはシリーズもので、「無人島日記」も刊行予定とある。
 ついでにこれもと思った。
 がしかし、検索してみたところ、発売された形跡はない。
 どうもケンボッキ島は「無人島記」の上下巻(あるいは正続)2冊らしい。

 付け加えると主人公ゴロウの"準"名称は「陸奥五郎」です。
 サムライみたいな名前です。
 「陸奥五郎源為五郎」なんちゃって。
 でも、一般にはカタカナ表記されています。


 ケンボッキ島はグーグル写真で見ることができます。
 また、らしいウソをこく?
 残念なことに解像度が悪く、OK号は写っていません。
 やはり、ちゃんと逃げ道をこしらえている。

 このお話から1/3世紀以上はたっていますので、浜で朽ち果ててしまったかもしれませんが。
 ヘノキなら三十年たっても腐らないはずだが。
 もちろん、建造からは更なる歳月が経っています。
 キリターフの浜に放置されて十年ですから、少なくとも四十年、北の海を荒らしまわった年月を入れると少なくとも半世紀の歴史が流れていると思われます。
 うまいこと言うもんだ。



● ゴロウの無人島記

 ところでこのお話、どこまでが本当で、どこまでがジョーダンで、どこまでがパロデーなのだろうか。



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【追記】

『
 大あとがき

 大舟長だから大あとがきを書く。
 懐かしい「大舟長」という称号をこの世にとどめ置くために。

 私は大舟長だから、人にダマされるのは得意だが(?)、私ごとき人間が大舟長だと名乗れるのは、人のいない島だからである。

 困苦欠乏に耐え、水や雪をすすり、幽鬼のごとく痩せ衰えるべきであった。
 ところが住んでみると、島には命がけで生きさせる何かがあった。
 私たちは自然と語る「神がかりの技術」を開拓しつつある。
 私はまた美貌の持主だから一目見たら当分病気にかからないという噂もある。

 さて、島から陸へ上陸したのは、悲願を達成するために島が手狭になったからである。
 結局のんびりしたものしか残せなかったけれど、毎日ぼんやり海を眺め、鼻くそをほじって丸め、
 「生きてるって、鼻くそも生産することだなあ」
と確認した。

 つけ加えて置くけれど、私は簡単には死なない。

 それからゆっくりケンボッキ島に帰るだろう。
 人生の日暮れに帰るにふさわしい島よ、その時まで噴火などせずに待っていてくれ。
 それではいよいよ筆を置く。

 
 昭和四十七年六月    元大舟長・現動物王国大王
』



● 続ゴロウの無人島記



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